第10話 甘さを甘く感じない者たち
【ザガン将軍視点】
「……ぬるい」
魔王城『マグナス城』の大広間。
シャンデリアが煌々と輝く下で、私は吐き捨てたい衝動を必死に抑えていた。
再び開催された魔王主催の饗応。
今回の目玉は、あの人間――タータとかいう補給総監が考案した『砂糖入り白パン』だそうだ。
周囲を見渡せば、地獄絵図ならぬ、天国ボケしたような光景が広がっている。
「おお、甘い! 脳が溶けそうだ!」
「素晴らしい! これぞ至高の快楽!」
かつて戦場で血飛沫を浴びて笑っていた猛者たちが、たかが白い粉をまぶしたパン一つに骨抜きにされ、だらしなく頬を緩めている。
魔王グラトニア陛下もまた、玉座の上でパンを齧り、満足げに喉を鳴らしておられる。
その光景に、私の胃の腑は冷え切っていた。
私の手元にも、そのパンはある。
悔しいが、認めざるを得ない。
……美味いのだ。
口に含めば、暴力的なまでの甘みが広がり、疲れきった神経を優しく撫でる。戦場での乾いた糧食とは比べ物にならない。
だが、だからこそ許せん。
こんな「優しさ」は、魔族には毒だ。牙を鈍らせ、闘争心を削ぐ。
何より許せないのは――
(……席次だ)
私は自分の座っている椅子を睨みつけた。
前回のように、出口付近の末席ではない。
だが、かつて私が座っていた「魔王の右腕」たる筆頭席からは、三つも下がった場所だ。
私より上座にいるのは誰だ?
パンを褒めちぎるだけの文官と、新参の媚びへつらう領主たち。
武勲など一つもない、口先だけの連中だ。
武力ではなく、甘味への理解度が序列を決める。
そんな馬鹿げた基準が、まかり通ろうとしている。
(陛下は……堕ちたのか?)
不敬な考えが脳裏をよぎる。
いや、元凶はあの人間だ。あのパン屋が、陛下を、軍を、骨抜きにしているのだ。
私は残りのパンを無理やり水で流し込むと、早々に席を立った。
ふと見れば、私と同じように、眉間に皺を寄せ、浮かない顔をしている者たちがいた。
目と目が合う。
言葉はいらない。
我々は、同じ「苦味」を噛み締めている同志だ。
◇◆◇
饗応の後。
場所は変わり、私の居城である『赤岩の砦』。
無骨な岩肌が剥き出しの地下室に、数人の影が集まっていた。
「……やってられねえな。あんな菓子パンで、俺たちの価値が決まるってのかよ」
ドンッ!
と石のテーブルを叩き割らんばかりにジョッキを置いたのは、豪腕将軍ゴズだ。
牛の頭を持つ巨漢のミノタウロス族。最前線で敵城壁を素手で砕く、生粋の武人である。
彼もまた、今日の宴で席次を下げられた一人だ。
「全くだ。我ら高貴なる夜の眷属が、人間の子供のような真似を……嘆かわしい」
陰鬱な声で同意したのは、邪眼公ベリアル。
旧き血を引く上級悪魔族だ。プライドが高く、伝統を重んじる彼は、最近の「パン崇拝」の風潮に反吐が出る思いを抱いている。
「アタシたちの爪は、パンをちぎるためにあるんじゃない。肉を引き裂くためにあるんだよ」
鋭い爪をカチカチと鳴らしたのは、飛翔将軍ヴィラ。
空を支配するハーピー族の女王だ。彼女の部隊は、最近補給されたパンのせいで体が重くなり、飛行速度が落ちたと憤慨している。
ゴズ、ベリアル、ヴィラ。
いずれも一騎当千、魔王軍の武力を支えてきた古参の猛者たちだ。
「……皆、よく来てくれた」
私は彼らの前に、ドンと大きな皿を置いた。
そこに載っているのは、パンでも菓子でもない。
血の滴る、巨大な骨付き肉の塊だ。
味付けは塩のみ。硬く、筋張り、噛み切るのに顎の力がいる「戦士の食事」。
「食おう。……我らの牙が、まだ錆びついていないことを確かめるために」
ゴズが肉を掴み、骨ごと噛み砕く。
ベリアルがナイフを使わず、手で肉を引き裂く。
ヴィラが嘴で肉を啄ばむ。
咀嚼音が響く。
甘くはない。血の味がする。
だが、これだ。これこそが、我々魔族の源泉だ。
「ザガン殿。……このままでは、軍は腐るぞ」
ゴズが口元の血を拭いながら、低い声で言った。
全員の視線が私に集まる。
「分かっている。……あの人間、補給総監タータとか言ったか」
私は懐から、今日の宴で持ち帰った「砂糖入りの白パン」を取り出した。
そして、それを片手で握りつぶす。
「奴は、毒だ。甘い毒を撒き散らし、陛下を狂わせ、軍の規律を乱す元凶だ」
「消すか?」
ヴィラが短く尋ねる。
私は首を横に振った。
「ただ殺すだけでは、陛下が激怒される。……奴の化けの皮を剥ぐのだ」
私は潰れたパンを暖炉の火の中に放り込んだ。
甘い香りが焦げ臭い煙に変わるのを見届けながら、私は誓った。
「甘さに現を抜かす者たちに、思い出させてやるのだ。……本当の『魔王軍』の恐ろしさをな」
赤々と燃える炎が、我々の瞳を照らす。
それは、ただの不満分子の集まりではない。
魔王軍の在り方を問う、明確な「反乱」の狼煙だった。
外では、暗い闇の中、オオカミたちの遠吠えが響いていた。
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