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過去編 前編

「719番!お前は今日からここで暮らすんだ。」


「わぁ、すごく快適そうなホテルですな。支配人さん。」


「ふざけるのも大概にしろ。お前は当分ここで反省していろ。」


 看守は719番と呼ばれた男を牢屋の中に入れ、鍵をかけた。


「はぁ、腹減った。兄ちゃん、飯いつ?」


「黙れ!反省の色が見られないようなら、永遠にそこから出られんかもしれんぞ。」


「ははは、そりゃ最高だ。3食昼寝付きでしかも無料の宿屋なんてここしかねぇからな。一生ここでタダ飯食って暮らすぜ。」


「はぁ…もういい。」


 呆れ返った看守は719番を無視してどこかへ行ってしまった。


「おい、飯は…まぁいいか。それにしても、今回は1人か…一緒のヤツがいると何かと楽しいんだけどな。」


 719番と呼ばれた囚人の名前はイズカン・リャームド。軽犯罪を繰り返し、何度も逮捕されている常習犯だ。釈放されては軽犯罪を犯し、同じ刑務所に戻ってくる。そんな生活を20歳から続けて、もう35歳になる。

 イズカンがわざわざそんな事をするのにはワケがある。彼は遊び人だった。とにかく働くのが嫌いで、万引きや窃盗、空き巣で盗んだモノで日々食い繋いでいたが、ある日逮捕され、刑務所に収監された際、普段の生活よりもいい暮らしである事に気づいた彼は、タダ飯の為に何度も刑務所に入るという事を繰り返していた。


 収監されてしばらく経ち、イズカンの牢屋には他の誰もいなかった。この刑務所では通常、1つの牢屋に2人が収監される。イズカンも過去に何度も同じ牢屋の犯罪者と共に生活してきた。娯楽もほとんどないこの環境で、その相方と話す事だけがイズカンの唯一の楽しみだった。


「クソッ…アイツら、俺をワザと1人にしてやがるな。」


 イズカンはこの刑務所の常連であり、看守も顔を覚えている。以前の相方と毎日のように夜まで楽しそうに語り合っていた事から、看守たちもイズカンのその囚人とは思えない態度に腹を立て、唯一の楽しみを奪ったのだ。


「はぁ…暇だ…誰か来ねぇかな…」


 そうしてイズカンが1人で過ごして、1ヶ月近くが経った頃、ある日の深夜に突然看守がイズカンの部屋に入ってくる。


「…はぁああぁ。なんだ、看守さん。こんな深夜に入ってきて…起きちまったじゃねぇか。」


「お前の睡眠など知った事か。それより、今日からコイツをここに収監する。それと、コイツには手を出すな。勝手な事をしたら死刑にするそうだ。」


 そう言って看守は持ってきていた人間を部屋に適当に引きずって入れる。そして、看守は牢屋から出て鍵を閉めてどこかへ行ってしまった。


「おいおい、いきなりだな…にしてもコイツ、どんな格好なんだ…」


 うつ伏せで気を失っているその人間は薄い布一枚だけ羽織っており、ほぼ全裸に近いような格好だった。そして身体には何かで叩かれたようなアザや、火傷の痕、引っ掻かれたような傷が無数に刻まれていた。


「なるほど、拷問でもされたのか。…ていうか、どう見ても女だよなコイツ。」


 その人間は長い髪に華奢な身体で明らかに女だった。


「こんな弱そうな女を拷問するなんて、酷い事しやがるぜ。」


「…弱く…ない。…訂正しろ!」


 女は震える身体を起こしてイズカンを睨みつける。


「なんだ、起きてたのか。それにお前、東側の人間だろ?大方、捕虜ってとこか。俺はな、戦争してる奴らが1番嫌いなんだ。お前も元々軍人なんだろ?俺に話しかけるな。」


 女と目が合ったイズカンは嫌悪感を滲ませながら女を拒絶した。


「…わたし…は…ご」


 全身傷だらけの女は言い終わる前に再び気絶してしまった。


「ふん、ザマァみろ軍人が。」


 そう言ってイズカンは女を無視して眠りについた。



 イズカンが朝起きると、入り口付近にいたはずの女が居なくなっていた。イズカンもその行方が少し気になったが、その日1日を過ごした。

 その日の刑務作業も終わり、1人でくつろいでいると、看守が昨日の女を連れてやってきた。今日は意識があるようで、後ろ手に縛られた状態で首を繋がれた状態で連れてこられていた。そして、無言で部屋に押し込むと、再び帰ってしまった。

 女は既にフラフラで、看守に押された時に足がもつれて身体のバランスを崩して倒れる。手が縛られており、受け身が取れなかったので身体を捻って肩で着地したが、地面に強くぶつけてしまった。女は激痛に顔を歪ませるが、声を出さなかった。


「おいおい、大丈夫か?」


「…黙れ。私に話しかけるな。」


 目の前で倒れられて流石に少し心配したイズカンだが、女は険しい目でイズカンを睨む。


「へいへい。全く、おっかない女だ。」


 女はうつ伏せに倒れた状態から立ち上がろうとするが、手が使えない事と、痛みと疲労による全身の震えによって身体をよじるだけで立ち上がれなかった。

 イズカンはその光景を横目に見ながら、知らぬ顔をした。しばらく奮闘したが、女は結局立ち上がる事が出来なかった。


「クソッ!なんでだ、なんで動かないんだ!」


 遂に女は弱音を吐いた。そして、目から一筋の涙が流れる。それを見たイズカンは無言で女に近づく。


「おい!何をする気だ!私に近づくな!」


 女の言葉を無視してイズカンは後ろ手に縛られた縄を解いた。


「何をする!私に情けをかけるのか!!」


「さっきからゴソゴソうるせぇんだよ。落ちつかねぇから角でじっとしてろ。目障りだ。」


「貴様!私を侮辱するな!敵の施しは受けん。拘束を元に戻せ。」


 そう言って女は後ろに手を交差する。


「やなこった。俺がお前の命令に従う道理はねぇ。縛りたきゃ自分でやれ。」


 イズカンもダルそうに女の要求を拒否する。それを聞いて女は再び涙を流す。


「クソッ!やはり、貴様も私を女だと見下しているんだな。許さんぞ!」


 女は震える足で立ち上がり男に対して拳を構える。しかし、先ほど打ちつけた右腕は上がらず、左手で構える。それを見てイズカンも立ち上がる。


「別に見下してる訳じゃねぇんだがな。それより、やめとけ。今のお前は闘えるような状態じゃねぇ。手も足も震えちまってる。」


「黙れ!」


 イズカンの言葉に激昂した女が突っ込んでくる。しかしその拳は弱々しく、イズカンは途中でその腕を掴む。女は振り解こうとするが、弱った女の力ではビクともしない。

 そして女は回し蹴りを放つ。しかしイズカンは腕を離してその蹴りを易々と回避する。無理な体勢で蹴りを放った事で女はバランスを崩して倒れそうになる。

 そこでイズカンは咄嗟に手を掴み上げて女を持ち上げる。身長差があった事で、女は宙に浮く状態となった。


「よっと、危ねぇな。」


「クソッ!離せ!!」


「うるせぇな。いいから静かにしてろ。」


 イズカンはそのまま部屋の隅まで行って女を地面に落とした。


「俺は寝る。」


 その後、イズカンは元の布団の上で寝そべった。

 気力を使い果たした女は、動けなくなり部屋の隅で座り込み、何も喋らなかった。

 そしてそのままイズカンは少し早い眠りについた。


 イズカンが目を覚ますといつもより少し早い時間だった。そして昨日と違って女が部屋の隅で座り込んだまま寝ていた。


(今日は早いからまだいるのか。にしても、昨日は俺が先に寝ちまったけど、寝てる間にコイツに襲われてたら殺されてたかもな。これからは気をつけねぇと。)


 そうして女の方を見ると、よっぽど疲労していたのか泥のように眠っていた。イズカンも暇だったので再びベッドに横になった。

 しばらくすると部屋の扉が開いて看守が入ってくる。看守はバケツ一杯の水を寝ている女にぶっかける。そして女も目を覚ます。


「おい起きろ。時間だ。」


「…はい。分かりました。」


「おい!お前、誰が縄を解いていいと言った!?まさか719番、キサマが解いたのではあるまいな?」


 看守はそう言ってベッドに寝そべるイズカンを睨みつける。


「ああ、そう」


「違います。私が解きました。少し緩くなっていたので壁を使って…グッ!」


 イズカンの言葉を遮って話す女を看守が殴った。


「勝手な真似はするな。次は無いぞ。」


「…はい。すみません。」


 そして、2人は外に出て行ってしまった。あっという間の出来事でイズカンは何も出来なかった。


(アイツ、俺を庇いやがったな。余計な事しやがって。まぁ俺にはアイツがどうなろうと関係ないがな。)


 イズカンはいつも通りに朝食を食べてから刑務作業へ向かった。


 今日は囚人たちが運動できる日で、広い敷地内にあるスポーツ施設に集まっていた。イズカンも参加しており、しばらく動いてから施設のベンチで休憩していた。すると後ろから話しかけられる。


「久しぶりだな、イズカン。また来たのか。」


「オリュンさん、お久しぶりですね。腹が減ったのでまた来ました。」


 オリュンというその男は10年前にイズカンを担当した看守で、イズカンと気が合い、時々こうやって話をしている。オリュンはイズカンの隣に腰掛け、タバコを咥える。


「一本やろうか?」


「いえ、タバコはもうやめました。というより金が無くて買えなくなったんですけどね。」


「そうか…ふぅ…にしてもお前も懲りねえな。こんな閉鎖された監獄のどこがいいんだか。真面目に働きゃ、なんでも出来るのによ。」


「オリュンさん、前にも言いましたが俺は働きたく無いんですよ。誰かの為に自分の時間を使うなんてまっぴらだ。ここで、適当に刑務作業してるぐらいが俺にはちょうどいいんですよ。」


「まぁお前の考えは分かってるよ。でも、俺が納めている税金もお前の飯代に含まれてんだから、ちょっとは感謝しろよ?」


「もちろんですよ、オリュンさんには感謝してます。いつもありがとうございます。」


「おうおう、ちゃんと年上は敬えよ。…ふぅ。」


 軽口を叩きながらタバコを吸うオリュンを見てイズカンは真剣な表情で問いかける。


「オリュンさん、俺の部屋に最近女が入ってきたんですけど、ご存じですか?」


「…ふぅ。ああ、もちろん知ってる。あの人は何と言うか…可哀想な娘だな。」


「あの女の事情も知ってるんですね。良ければ教えてくれませんか?」


「…ふぅ…これは上層部しか知らない話だぞ。シャバにも戦争にも興味の無いお前だから話すんだが…彼女は東の極道なんだ。なんでも『柏木組』っていうデカい組織の人間らしくてな、まぁ簡単に言えば俺たちの敵だ。」


「極道…詳しくは知りませんが、この国の軍隊と戦争してる組織だと…あの女やっぱり軍人だったか。」


 そう言って嫌悪感を滲ませるイズカンに対してオリュンが話しかける。


「まぁそう言う事だ。彼女にはあまり関わらない方がいい。それに、もうすぐデカい戦争もあるからここも危ないしな。」


「戦争!?マジですか?それにここが危ないって…ここはセントラ地域の西端ですよ!?こんなところまで侵攻してくるんですか?」


「ここまでと言うか彼女の為だな。極道ってのは軍隊と違って所属してる奴らの繋がりが非常に強い。彼女の為にここまで攻め込んで来る事も十分に考えられるって事だ。」


「こっちとしては迷惑な話ですね。あの女…本当にめんどくさいぜ。」


「…」


「ところでオリュンさん、あの女が極道ってことは分かりましたけど、なんでこんな監獄にいるんですか?戦争で捕まって捕虜にでもなったんですか?」


 それを聞いたオリュンは非常に複雑そうな顔をする。


「…彼女の惨状を見ているお前には話しておいてやろう。少し前に、ここ東軍と柏木組で停戦協定の話が出てな。当時の東軍の将軍殿と正式な協定を結ぶ為に彼女は帝国まで来たんだが、将軍殿が急に亡くなられてな。次に将軍についた男が代わりに行う事になったのだが、その男が極道への恨みが強い男だったらしく、全ての協定を白紙に戻した上で彼女を含めた数人の使節団の組員を拘束、監禁して人質にしてしまったそうだ。」


「何ですって!?いくら敵とはいえ、そんな事をするなんて…」


「それだけじゃない。将軍殿は恨みを晴らすために捕らえた組員全員に拷問をしようとしたらしい。だがその時に彼女が自分が全てを1人で受けるといい、他の組員達を庇ったそうだ。女嫌いでも有名な将軍はそれを受け入れ、連日に渡って彼女を痛めつけているそうだ。」


 衝撃の事実を聞いてイズカンは戦慄する。


「組員を庇うって…だから毎日あんなにボロボロだったのか…それにあの格好、あっちもやられてんのか…」


「本当に可哀想な娘だ。部下の為に死ぬわけにはいかんと毎日耐えているようだが、いつまで耐えられるか…将軍としても大事な人質だから殺す事はないだろうが…」


「部下の為にか…すげえ女だな。あんな痩せ細った身体で、女のくせに。極道ってのは本当にすげえ連中だな。」


「ああ、だからこそヤツらは強い。軍の上層部は戦争で勝つ為にどんな手段でも取ると言う事だな。彼女を奪還する為にヤツらは近々来るぞ。お前もヤバくなったら逃げる事だな。」


「大丈夫ですよ。俺は逃げる事とサボる事には自信がありますから。」


「何度も捕まってる奴が何言ってんだ。ハッハッハ!」


 そうして2人の会話は終わった。

 自由時間も終わり、牢屋に戻ってきたイズカンはずっと彼女の事を考えていた。

 そしてしばらくすると、いつも通りの看守が現れ、肩に担いでいた女を乱雑に地面に下ろして帰って行った。女はいつもより酷い状態で、ほとんど意識がなく縛られた手が少し痙攣していた。それでも必死に立ち上がろうとするが、やはり不可能だった。

 イズカンが女の手を見ると、爪が2枚剥がされており血が滴っていた。それを見てイズカンは何も言わずに女の身体を持ち上げる。


「…何をする…余計な…事を…」


 ボロボロの女は全てを言い終わる前にイズカンの腕の中で気を失ってしまった。イズカンは気絶した女を自分のベッドの上に優しく置いて、布団をかけて自分は床に寝そべった。


(かてぇ床だな。明日は全身が痛みそうだ。)


 心の中で文句を言いながらイズカンはそのまま眠りについた。


「…おい…おい、おい!起きろ!」


「うるせぇな、今何時だと思ってやがる…」


 しばらくして女の声でイズカンが起こされる。深夜に目を覚ました女は自分の状況に気づき、イズカンを起こした。


「これはなんだ!何故お前が床で寝ている!」


「なぜって、お前がベッドにいるから俺が床で寝てんだろうが。あぁ…やっぱ首がイテェな。」


「そうじゃない!何故、私をベッドに乗せたんだ!情けはかけるなと言ったはずだ!」


「ピーピーうるせぇな。どこで寝ようと俺の勝手だろ?いいから静かに寝てろ。疲れてんだろ?」


「黙れ!私は疲れてなどいない。貴様らの施しは受けん!」


 そう言って女はベッドから降りようとするが、足がもつれて倒れそうになる。その瞬間、イズカンが女の身体を支える。


「余計な事をするな!」


 そう言ってイズカンから離れようと女は暴れるが、非常に弱々しく、イズカンに簡単に抑えられ、ベッドに押し倒される。


「はぁ、一々めんどくせぇな。いいか?この世界は弱肉強食だ。俺はこの場でお前を簡単に殺せる。弱いお前は強い俺に従うしかないんだ。だから大人しくそこで寝とけ、逆らえば殺すぞ。」


 イズカンが少し圧をかけて話すと、女は諦めてそのまま目を瞑る。静かになった事でイズカンは再び床に寝そべって寝ようとした。しかし、少し経って女がイズカンに話し始める。


「ねぇ、貴方はなんで敵である私に優しくするの?帝国の人間はみんな悪魔みたいな人ばかりなのに。」


「…別に優しくしてるわけじゃねぇよ。それに帝国民全員が悪いヤツってわけじゃねぇ。俺も囚人であり、社会のゴミだけどな、戦争は嫌いだし、敵を騙して痛めつけるような趣味はねぇよ。」


「…私が何者か知っているのね。」


「ああ、お前の事情は聞いた。あれを知ってお前を床で寝かせるほど俺の血は凍っちゃいない。まぁたまに話し相手ぐらいにはなってやるよ。」


「…何よそれ。でも、こんな場所で眠れるのは久しぶりだわ。少し寝にくいけどありがたく使わせてもらうわ。」


「勘違いするなよ、お前には同情するが助けてやろうなんて微塵も思ってないからな。だからお前も、今朝みたいに俺に気を遣わなくていい。」


「…ええ。分かったわ。明日も早いからもう寝るわね。…ところで貴方の名前は?」


「俺はイズカン・リャームド。刑務所歴15年のクズニートだ。」


「私は水瀬菖蒲(みなせあやめ)。これからよろしくねクズニートさん。」


「別によろしくしなくてもいい。その様子じゃお前はいつ死んでもおかしくないしな。」


「…私は絶対に死なない。それじゃ。」


 菖蒲はそのまますぐに眠りについた。イズカンもそれを見て床で眠った。

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