第6章 疑念の矢先
男子トイレで被害に遭った杉浦剛志(44歳・副主任研究員)の遺体が布で覆われ、廊下に重苦しい沈黙が落ちていた。
雨は止む気配を見せず、外の稲光が不意に闇を裂くたび、皆の顔が蒼白に浮かび上がった。
「……で、誰がやったんだ」
ジョー(47歳・刑事)が低く唸り、食堂へ戻るなり椅子を蹴飛ばすように腰を下ろした。
「所長か? いや、違うな……。怪しいのは他にもいる」
その視線は、佐伯由佳(29歳・研究員)へと鋭く向けられた。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
佐伯由佳は青ざめた顔で立ち上がる。
「私は……その時、たまたま席を外していただけで……」
「だからだ!」
ジョーの拳がテーブルを叩く。
「“その時”お前だけが現場にいなかったんだ。藤堂とも意見が合わなかったと自分で言ってただろ。動機も十分だ」
「そ、そんな……! 私は確かに藤堂さんとは衝突もしました。でも、殺すなんて……!」
声は震え、涙がにじんでいた。
◇ ◇ ◇
「オレは信じられねぇな」
篠森拓哉(40歳・記者)が鼻で笑った。
「二人もまともな研究員がやられて、生き残ってるのはお前だけだろ。偶然にしちゃ出来すぎてる」
「やめてください……! 本当に違うんです……!」
佐伯由佳は必死に首を振り、視線を彷徨わせる。
羽村紀子(42歳・事務担当)は眼鏡の奥で迷いの色を浮かべ、帳簿を抱きしめながら小声で呟いた。
「……でも、確かに……立場的に一番怪しまれてしまうのは……」
「ボ、ボクも……」
宮坂俊(22歳・警備員)はおどおどと口を開き、すぐに目を伏せた。
「だ、誰が犯人なのか分からないけど……やっぱり怖いです……」
相馬達也(25歳・実験補助スタッフ)が、ためらいがちに口を開いた。
「……でも……佐伯さんって……あの時、確かに席を外してましたよね。なのに……どうして……」
そこで言葉を切り、視線を落とす。
「……すみません。やっぱり、気のせいかも……」
場の空気がさらに張り詰め、佐伯由佳の肩が震えた。
◇ ◇ ◇
やがて佐伯由佳は深く息を吸い込み、震える声で言った。
「……もういいです」
顔を伏せたまま、両手を握りしめる。
「疑われるくらいなら……縛ってください。監禁でもなんでも。そうすれば……皆さん、少しは安心するでしょう?」
一同が息を呑んだ。
自ら拘束を望むその言葉は、潔白を訴えるようでもあり、追い詰められた狂気の響きすら帯びていた。
「おいおい……本気で言ってんのか」
ジョーが眉をひそめる。
「……まさか自分から言い出すとはな」
篠森拓哉が皮肉を吐く。
「それこそ“犯人じゃないアピール”に見えるぜ」
「……やめろ」
レイジ(48歳・探偵)が低く制した。
「証拠もなく決めつけるのは、ただの八つ当たりだ。だが……本人が望むのなら、一時的に隔離してもいいだろう」
ジョーは黙って腰のホルダーから手錠を外し、テーブルに置いた。
「……念のためだ。すぐに外せる。俺が責任を持つ」
佐伯由佳は一瞬だけ躊躇したが、やがて小さく頷いた。
その表情には恐怖よりも、周囲の疑念から解放されたいという切実さが滲んでいた。
こうして彼女は自室へと移され、両手に軽く手錠をかけられる。鍵は使わず、あくまで形だけの拘束だった。
さらにドアの外側には、重いキャビネットが押し当てられ、ノブには金属棒が差し込まれて簡易的に固定された。内側から開けることは難しい。
雷鳴が遠くで低く唸り、雨音が天井を叩く。
重い沈黙の中、佐伯由佳の細い肩は、諦めとも安堵ともつかぬ震えを続けていた。