第5章 血の足音
食堂に漂う空気は、雨音と共にじわじわと重く沈んでいた。
ジョー(47歳・刑事)は椅子を軋ませながら前のめりになり、所長の顔を睨みつける。
「黒瀬、はっきり答えろ。……お前は何のためにわざわざこんな山奥で研究をしてる?」
黒瀬宏(65歳・所長)は眼鏡の奥で目を瞬かせた。
額には汗がにじみ、口元は乾いている。
「……私たちは、“細胞レベルで老化や病気を遅らせる”研究を進めているのです。成果が出れば、世界中が救われる……」
その声には確かに熱があった。だが、語られるのは理想ばかりで、研究の核心に触れる具体性は欠けていた。
(やはり……理念だけ。核心は理解していない)
レイジ(48歳・探偵)は黙したまま観察し、心の内で呟いた。
「綺麗事を言うな。お前自身がその成果を独占したいだけじゃねぇのか?」
ジョーの声は荒々しく響いた。
「ち、違います! 私は……ただ、医学の未来を──」
黒瀬は言葉を詰まらせ、声を落とした。
◇ ◇ ◇
そのとき、佐伯由佳(29歳・研究員)が立ち上がった。
「……すみません。少し……席を外してきます」
顔色は青ざめ、震える声でそう言うと、足早に食堂を出ていった。
「おい、こんな時にどこへ行く」
ジョーが眉をひそめたが、返事はなかった。
直後、杉浦剛志(44歳・副主任研究員)も立ち上がる。
「……すまない、僕も少し失礼する」
黒縁の大きな眼鏡を押さえながら、落ち着かぬ様子で続いた。
「緊張のせいか……腹の調子が悪い」
「二人揃ってか……」
ジョーが舌打ちする。
「……トイレだろう。無理もない」
レイジが低く言い、視線を戻す。
(この緊張の中で、長く座っていられる者の方が少ない)
◇ ◇ ◇
外では雷鳴が轟き、建物全体がかすかに揺れた。
稲光が窓を白く染めた直後──食堂の奥から、短い叫び声が響いた。
「ぎゃぁぁっ!」
全員が弾かれたように立ち上がる。ジョーが先頭に立ち、廊下を駆ける。
レイジも無言でその背を追った。
そこで見たのは──杉浦剛志の息絶えた姿だった。
床に横たわり、虚ろな目はどこも見ず、口元は閉じきれぬまま凍りついている。
薬品臭が漂い、首筋には赤い注射痕が冷たく刻まれていた。
「……死んでやがる」
ジョーが低く吐き出す。
レイジはその体に膝をつき、静かに脈を確かめた。
「反応はない。……これで二人目だ」
背後で誰かが震える息を呑む。
振り返ると、佐伯由佳が食堂の方から戻ってきていた。
血の気を失った顔で立ち尽くし、吐き気を堪えるように口元を押さえながら、ただ呆然と死体を見つめている。
「な、何が……起きたんですか……」
答えは誰にもできなかった。
雷鳴だけが、冷たい光を研究所の廊下に投げかけていた。