第3章 疑心の影
雨脚はさらに強さを増し、窓を叩きつけていた。
研究所の食堂には長机が押しやられ、椅子で囲むように全員が集まっている。天井の蛍光灯はじわじわと点滅を繰り返し、今にも再び落雷で消え去るのではないかという不安を煽った。
「……死人が一人出た。次も出るかもしれねぇ」
ジョー(47歳・警視庁刑事)が低く言い放ち、拳でテーブルを叩く。乾いた衝撃音が、食堂の空気を一瞬にして緊張させた。
「死人が“増える”──それが最悪のシナリオだ」
その言葉に、場の温度が一気に下がる。
「や、やめてください……」
佐伯由佳(さえき・ゆか/29歳・研究員)が蒼白な顔で声を震わせた。両手を胸元で組むが、指先は硬直し、小刻みに震えている。
「藤堂さんとは意見が合わないこともあったけど……死人が増えるだなんて……」
「死人が増える……⁉︎」
羽村紀子(はむら・のりこ/42歳・事務担当)は眼鏡の奥で瞳を揺らし、帳簿をぎゅっと胸に抱きしめた。怯えに満ちた声は、帳簿そのものに縋ろうとするかのようだった。
「ボ、ボク……正門を見張ります! 誰も通さないように……!」
宮坂俊(みやさか・しゅん/22歳・警備員)が裏返った声を張る。必死に虚勢を張ろうとするが、制服の袖は震え続け、説得力は欠けていた。
「バカ! 一人で動き回るな」
ジョーが怒鳴りつけ、宮坂を睨む。
「死人が増えるってのは、そういう油断から起きるんだ。俺様の手を煩わせるんじゃねぇ」
宮坂は肩をすくめ、小さく「す、すみません……」と繰り返すしかなかった。
その横で、篠森拓哉(しのもり・たくや/40歳・記者)が鼻で笑った。
「死人が増える、ね……だったら怪しいのは、一番情報を握ってる所長じゃないのか?」
挑発的な視線を黒瀬宏(くろせ・ひろし/65歳・研究所所長)に向ける。
「な、何を言うか! 私がそんなことをするはずがない!」
黒瀬宏は椅子を軋ませて立ち上がりかけ、声を荒らげた。老いを隠せぬ顔に、怒りと焦りが交じり合う。
「落ち着け、所長」
レイジ(48歳・私立探偵)が低く口を挟む。
「ここで誰かを決めつけても意味はない。死人が増えるかどうかは、これからの行動次第だ」
「ふん、探偵様は冷静でいいな」
篠森は肩をすくめ、皮肉を込めて笑った。
◇ ◇ ◇
レイジは椅子に深く腰を下ろし、ガムを噛み直した。
(死人が増える──言葉は軽いが、事実でもある。全員が疑心暗鬼に陥れば、誰が犠牲になってもおかしくはない……)
無精髭を撫で、視線を巡らせる。佐伯の怯え、羽村の不安、相馬の逡巡、宮坂の動揺──誰もが不安と恐怖を抱え込んでいた。
雷鳴が轟き、窓ガラスを震わせる。
誰も口を開けず、ただ雨と風の音だけが食堂を支配した。
その静けさの中で、レイジの耳にはガムを噛む音が、やけに大きく響き続けていた。