第2章 嵐に閉ざされて
実験室の扉には封鎖の札が掛けられ、藤堂玲奈(とうどう・れな/26歳・研究員)の亡骸は布を掛けられたまま、誰の目からも隔てられていた。
研究所の食堂に集められた面々は、強まる雨脚の音を耳にしながら、それぞれ落ち着かない表情を浮かべていた。
「……この嵐じゃ、しばらく誰も来られねぇな」
ジョー(47歳・警視庁刑事)が低くつぶやき、窓ガラスを睨む。外では稲光が一瞬、森を白く切り裂いた。
「ですが、食料や蓄電池は十分に備蓄しています。山の天候は崩れやすいので、研究所として想定済みです」
黒瀬宏(65歳・研究所所長)は、努めて落ち着いた口調で答えた。雨に濡れた白髪を撫でつける仕草が、かえって焦りを隠しているように見えた。
「安心できねぇな。死人が出てんだぞ」
ジョーが吐き捨てると、場の空気はさらに重く沈んだ。
◇ ◇ ◇
「杉浦剛志(すぎうら・たけし/44歳・副主任研究員)です」
黒々とした太い縁の大きな眼鏡が顔の半分を覆っている。額にはうっすら汗が滲み、落ち着きなく指で眼鏡を押さえる仕草に神経質さがにじむ。
「僕は所長の補佐を務めています。……どうか無用な混乱は避けてください」
「佐伯由佳(さえき・ゆか/29歳・研究員)です」
乱れた茶髪を耳にかけながら、握った両手が震えていた。声は強がろうとするが、瞳は不安に揺れている。
「正直、こんなことが起こるなんて信じられません。藤堂さんとは意見が合わないこともありましたけど……まさか亡くなるなんて……」
「相馬達也(そうま・たつや/25歳・実験補助スタッフ)です」
制服の胸ポケットから覗くメモ帳を指でいじりながら、素朴な顔立ちに戸惑いを浮かべる。
「俺はまだ研究員としては見習いで……指示されたことをやってるだけなんです。あ、でも、できることは手伝います」
「羽村紀子(はむら・のりこ/42歳・事務担当)です」
縁のないスマートな眼鏡が涼しげに光り、きちんと整えた髪が几帳面さを物語る。しかし両腕に抱いた帳簿は震え、唇は青ざめていた。
「研究員ではありませんが、薬品や備品の管理を任されています。……帳簿は、すべて確認済みです」
「ボ、ボクは……宮坂俊(みやさか・しゅん/22歳・警備員)です」
制服が少しぶかぶかで、肩が落ちている。背は高いのに、猫背気味に縮こまり、声は裏返った。
「ふだんは正門の警備を……こ、こんな事件なんて……は、初めてで……」
声を絞り出すように言った最後の「怖い……」は、雨音に溶けて誰にも届かなかった。
篠森拓哉(しのもり・たくや/40歳・記者)は椅子にふんぞり返り、ネクタイを緩めながら皮肉な笑みを浮かべた。
「オレは篠森だ。招かれざる客ってわけだが──なぜか研究所のことに詳しすぎると全員に疑われてるらしい」
挑発するように黒瀬宏を一瞥する。
「お前が何者だろうが関係ねぇ。死人が出てんだ。……全員から事情を聞かせてもらう」
ジョーの声は荒い。
篠森はわざとらしく肩をすくめ、あえて黙り込んだ。
◇ ◇ ◇
しばしの沈黙が流れる。外の風の唸りが、天井をきしませていた。
その瞬間、稲妻が窓をまばゆく照らした。
次の刹那、轟音が建物を揺らし、照明が一気に落ちる。食堂の中は一瞬闇に沈んだが、すぐに明かりは復旧した。
「……驚かせやがって」
ジョーが舌打ちし、額の汗をぬぐう。
「雷だな。電源が切り替わったんだろう」
レイジ(48歳・私立探偵)が静かに呟いた。その声は落ち着いているが、周囲の不安を増幅させる冷たさを帯びていた。
「監視カメラも……落ちたかもしれません」
黒瀬宏の言葉に、食堂の空気がざわついた。
「ふざけんな……! ただでさえ死人が出てるってのに、目が届かねぇじゃねぇか」
ジョーが吐き捨てる。
「……いいから、落ち着け」
レイジは低い声で制し、テーブルに視線を落とした。彼は誰の言葉にも即答せず、ただ眼差しだけで全員を測っていた。
(この密室に残された者たちの中に、真実を知る者がいる──だが、今はまだ断定できん)
雷鳴が再び轟き、窓ガラスを震わせた。
誰も次の言葉を探せず、復旧した照明の下で不気味な沈黙が場を支配していた。




