第12章 閉ざされた扉
重苦しい空気の中、宮坂俊(22歳・警備員)が顔を青ざめさせた。
「……うっ、すみません……どうにも吐き気が……」
椅子を押しのけるように立ち上がると、口元と腹を押さえながら廊下へ向かう。背中は大きく揺れ、今にも崩れ落ちそうに見えた。
「なあ、俺も便所に行きてぇんだ」
篠森拓哉(40歳・記者)が鼻で笑い、わざと大きな声を響かせた。
「……まさかお前ら、俺のクソまで監視する気か? 記事に書いてやろうか、“探偵と刑事にまで尻を見張られた”ってな」
皮肉を吐き捨て、宮坂と並んで食堂を出ていった。
その後ろで、相馬達也(25歳・実験補助スタッフ)が落ち着かない様子で口を開いた。
「……あ、あの……俺、毛布とか薬を取ってきます。みんな寒そうだし、体調も悪そうですし……」
即座にジョー(47歳・警視庁刑事)が立ち上がる。
「勝手な行動は許さねぇ。……俺が一緒に行く」
短く言い放ち、二人もまた廊下へ消えていった。
◇ ◇ ◇
洗面所。
宮坂は洗面台にしがみつき、胃の奥から酸っぱいものを吐き出していた。
「げほっ……げほっ……」
震える指先で蛇口をひねり、顔を洗って荒い息を整える。鏡に映った顔は青白く、汗で濡れた髪が額に張りついている。
「……すみません、ボクはもう戻ります……あっ、うげっ……」
再び洗面台にしがみつくその姿は、誰が見ても弱々しかった。
「やれやれ、あんなのが警備員なのかよ」
篠森は鼻を鳴らし、個室へ入り、鍵をかけた。
「……クソくらい、静かにさせろ」
乾いたロックの音が、廊下に小さく響いた。
◇ ◇ ◇
一方その頃、相馬とジョーは倉庫で毛布や常備薬をかき集めていた。
「……これで足りるか」
ジョーが低く言い、平台車に荷を積む。相馬はこわばった顔で頷いた。
「お、俺……本当に何もしてないですから……で、でも、け、警察の方が一緒なら、あ、安心ですよね……」
相馬の呟きに、ジョーは渋い顔を向けただけで答えなかった。
◇ ◇ ◇
食堂に戻ってきた宮坂は椅子に座り込むと、まだ吐き気の残る顔でうつむいた。
「……あの……、篠森さんが、まだ戻って来てませんよ」
その言葉に、佐伯由佳(29歳・研究員)が不安げに目を見開いた。
「そんなに……何をしているのかしら……?」
食堂にいる全員が互いの顔を見合い、言葉にならない恐怖を共有する。
レイジ(48歳・探偵)はすぐに立ち上がり、ジョーと目を合わせた。
「……行くぞ」
ジョーが頷き、二人で男性トイレへ向かう。
扉を叩いても返事はなく、ロックはかかったまま。
ジョーが力づくで押し開けると──個室の中に篠森が崩れ落ちていた。
床と壁に囲まれた狭い空間、逃げ場はなく、首筋には赤い痕がくっきりと残っている。
見開いた瞳は天井を彷徨うように固まり、そこに映るものはもう何もない。
最後に何を見たのかを語ることもなく、そのまま時間が止まっていた。
「……やはり、同じ手口だ」
レイジの低い声が響いた。
「犯人は、迷いなく、確実に仕留めている」
ジョーは奥歯を噛みしめ、拳を握り締めた。
「……これでまた、一人減った」
薬品臭と鉄の匂いが入り混じる閉ざされた個室に、冷たい絶望が広がった。
食堂に残された者たち──佐伯は口元を押さえ、宮坂は青ざめた顔で肩を震わせ、相馬は汗に濡れた顔を袖で拭った。
その全てを見据えながら、レイジの胸には「次は誰か」という確信めいた重さがのしかかっていた。