第11章 失われた指導者
黒瀬宏(65歳・所長)の死は、研究所全体に暗い影を落とした。
責任者であり、この場にいる誰よりも経験豊かなはずの男が倒れたことで、誰もが「もう守ってくれる者はいない」と思い知らされたのだ。
レイジ(48歳・探偵)とジョー(47歳・刑事)は、黒瀬の部屋で冷え切った体を確認したのち、互いに重く視線を交わした。
「……レイジ、やべぇな」
「……ああ。これで四人目だ。もう外すわけにはいかない」
短く言葉を交わし、二人は無言のまま食堂へ戻った。
◇ ◇ ◇
湿った匂いが残る食堂に、不安のざわめきが広がる。
「……所長はもう駄目だ」
ジョーの短い言葉が落ちると、室内の空気は一層重く沈んだ。
「やっぱり……」
佐伯由佳(29歳・研究員)が顔を覆い、肩を震わせた。
「藤堂さんも、杉浦さんも、羽村さんも……それに黒瀬所長まで……こんなの、どうして……」
篠森拓哉(40歳・記者)は椅子をきしませ、苛立ちを隠さず吐き捨てた。
「つまり、ここの“カシラ”が消えたってことだろ。もう収拾はつかねぇ。犯人はまだ自由に動き回ってるんだ」
「お、おばけかなんかじゃないですか……ひぇぇ」
宮坂俊(22歳・警備員)がかすれ声で呟くと、すぐに篠森が鋭く切り返した。
「バカ言え! 人間の仕業に決まってる。……犯人はこの中にいるんだ」
食堂に重苦しい沈黙が落ちた。
誰もが誰かを疑い、しかし誰からも目を逸らした。
◇ ◇ ◇
「……全員、落ち着くんだ」
レイジの声が低く響いた。
「黒瀬の首筋にも、同じ薬品の痕が残っていた。手口は一貫している。外部の侵入者ではない……犯人は、この中にいる」
「だから言ったろ!」
篠森が声を荒らげる。
「全員で固まる方が危険なんだ。犯人は容赦なく狙ってくる! 別に集まってりゃ安全な保証もない」
彼は机を小さく叩き、冷笑を浮かべた。
「むしろ犯人にとっちゃ“一網打尽”のチャンスだ。この食堂は……牢屋と変わらん」
「……だが一人で動けば、確実にやられる」
ジョーが睨み返す。
「俺が見張る。お前らは絶対に勝手な行動はするな」
その時、相馬達也(25歳・実験補助スタッフ)が小さく身を縮めた。
「で、でも……倉庫に行ったのは、お、俺もですけど……外で番をしていただけで……べ、別に、何も……」
声は震え、握りしめたカップの中身が大きく波打った。
額には玉のような汗が浮かび、髪がぺたりと額に張りついている。
その挙動の全てが、疑念を呼ぶのに十分だった。
「やっぱり怪しいな」
篠森が即座に声を上げる。
「倉庫に行ったとき、羽村って女が殺されたんだぞ? 状況的に真っ先に疑われるだろうが」
「やめろ、まだ断定はできない」
レイジの声が鋭く飛んだ。
「相馬に限らず、誰だって動けば疑いは生まれる。大事なのは証拠だ」
だが相馬の視線は落ち着かず、誰の目から見ても不安定に揺れていた。
◇ ◇ ◇
「……どうするんですか? 夜はどうやって過ごすんですか?」
宮坂が弱々しく問うと、誰もすぐには答えられなかった。
「全員、この食堂で一晩を明かす。眠い者は寝てもいい」
レイジが断言した。
「もう、指導者はいない。自分の身は自分で守れ」
その言葉に全員が渋々頷いたが、空気は氷のように冷たかった。
「一緒にいれば安全」という確信はどこにもなく、誰もが誰かの背中を恐れていた。
黒瀬のいない食堂に広がる静寂は、これまで以上に重く、逃げ場のない絶望を示していた。
そしてその夜、誰ひとり眠りにつける者はいなかった。