第9章 沈黙の食
倉庫から運び込まれた平台車には、缶詰や乾パン、レトルト食品だけでなく、ペットボトルの水、炭酸飲料、ジュースの缶まで積まれていた。
食堂の片隅では卓上コンロの火が小さく揺れ、鍋の中ではスープやレトルトのカレーが温められている。さらにポットからは熱いコーヒーの香りが漂い、冷蔵庫から出したばかりのソフトドリンクもテーブルに並んだ。
久しく忘れていた「食事の準備」の光景に、誰もが一瞬目を奪われる。
だが安堵は広がらず、むしろ異様な静けさが場を覆った。
「……どうぞ。温かいスープも、冷たい飲み物もあります」
相馬達也(25歳・実験補助スタッフ)が不器用に並べながら言った。
宮坂俊(22歳・警備員)は震える手で缶詰を開け、フォークを添える。金属の擦れる音が、不自然なほど大きく響いた。
こうして食卓は整えられたが、誰一人として手を伸ばそうとしなかった。
「……とても食べられそうにない」
黒瀬宏(65歳・所長)が蒼白な顔でかぶりを振る。
「こんな状況で……喉を通らん」
佐伯由佳(29歳・研究員)も、痛めた手首を前に出しながら俯いた。
「……私も、今は無理です」
篠森拓哉(40歳・記者)は冷笑を浮かべ、コーヒーのカップを遠巻きに眺める。
「死人が三人も出てんのに、よくもまあ“ファミレス気分”でいられるもんだな」
重苦しい沈黙と、不信の視線だけが、熱気と湯気の間を漂っていた。
◇ ◇ ◇
「……いい加減にしろ」
レイジ(48歳・探偵)の低い声が静寂を切り裂いた。
彼は湯気の立つスープを取り上げ、誰もが見ている前で一息に口へ流し込む。
「状況がどうあれ、人間は食わなきゃ頭も回らん。空腹で疑心暗鬼になってる場合じゃない。腹に何か入れとけ──強引でもな」
ジョー(47歳・刑事)が肩をすくめ、スプーンを手に取った。
「……レイジの言う通りだ。空っぽの腹じゃ、犯人どころか自分も守れねぇ」
そう言うと熱いカレーを一口すすり、わざとらしく音を立てて飲み込む。
宮坂が恐る恐るオレンジジュースを口に含んだ。だが緊張で喉が詰まり、思わず咳き込んで吐き出してしまう。
「げほっ……す、すみません……」
テーブルに飛び散った甘い液体が、さらに場の空気を張り詰めさせた。
「構わねぇ。無理にでも飲み込め」
ジョーが短く言い放つ。
相馬は震える手でスープを口に運び、なんとか嚥下した。
佐伯も視線を逸らしながら、小さくパンをかじる。
篠森は皮肉を口にしかけたが、結局はコーヒーを飲み干し、唇を噛んだ。
黒瀬も、しばらく目を閉じたのち、無言で味噌汁を口に運んだ。
◇ ◇ ◇
こうして全員がようやく食事に口をつけた。
それは空腹を満たすためではなく、「食べなければ自分が疑われ、次に殺される」という恐怖が背中を押したにすぎない。
テーブルの上には温かい湯気と冷たい飲み物が並んでいる。
しかしその味は誰にとっても無味で、ただ命を繋ぐための「行為」に過ぎなかった。