表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/22

第9章 沈黙の食

 倉庫から運び込まれた平台車には、缶詰や乾パン、レトルト食品だけでなく、ペットボトルの水、炭酸飲料、ジュースの缶まで積まれていた。

 食堂の片隅では卓上コンロの火が小さく揺れ、鍋の中ではスープやレトルトのカレーが温められている。さらにポットからは熱いコーヒーの香りが漂い、冷蔵庫から出したばかりのソフトドリンクもテーブルに並んだ。


 久しく忘れていた「食事の準備」の光景に、誰もが一瞬目を奪われる。

 だが安堵は広がらず、むしろ異様な静けさが場を覆った。


「……どうぞ。温かいスープも、冷たい飲み物もあります」

 相馬達也(25歳・実験補助スタッフ)が不器用に並べながら言った。


 宮坂俊(22歳・警備員)は震える手で缶詰を開け、フォークを添える。金属の擦れる音が、不自然なほど大きく響いた。


 こうして食卓は整えられたが、誰一人として手を伸ばそうとしなかった。


「……とても食べられそうにない」

 黒瀬宏(65歳・所長)が蒼白な顔でかぶりを振る。

「こんな状況で……喉を通らん」


 佐伯由佳(29歳・研究員)も、痛めた手首を前に出しながら俯いた。

「……私も、今は無理です」


 篠森拓哉(40歳・記者)は冷笑を浮かべ、コーヒーのカップを遠巻きに眺める。

「死人が三人も出てんのに、よくもまあ“ファミレス気分”でいられるもんだな」


 重苦しい沈黙と、不信の視線だけが、熱気と湯気の間を漂っていた。


   ◇   ◇   ◇


「……いい加減にしろ」

 レイジ(48歳・探偵)の低い声が静寂を切り裂いた。


 彼は湯気の立つスープを取り上げ、誰もが見ている前で一息に口へ流し込む。

「状況がどうあれ、人間は食わなきゃ頭も回らん。空腹で疑心暗鬼になってる場合じゃない。腹に何か入れとけ──強引でもな」


 ジョー(47歳・刑事)が肩をすくめ、スプーンを手に取った。

「……レイジの言う通りだ。空っぽの腹じゃ、犯人どころか自分も守れねぇ」

 そう言うと熱いカレーを一口すすり、わざとらしく音を立てて飲み込む。


 宮坂が恐る恐るオレンジジュースを口に含んだ。だが緊張で喉が詰まり、思わず咳き込んで吐き出してしまう。

「げほっ……す、すみません……」

 テーブルに飛び散った甘い液体が、さらに場の空気を張り詰めさせた。


「構わねぇ。無理にでも飲み込め」

 ジョーが短く言い放つ。


 相馬は震える手でスープを口に運び、なんとか嚥下した。

 佐伯も視線を逸らしながら、小さくパンをかじる。

 篠森は皮肉を口にしかけたが、結局はコーヒーを飲み干し、唇を噛んだ。


 黒瀬も、しばらく目を閉じたのち、無言で味噌汁を口に運んだ。


   ◇   ◇   ◇


 こうして全員がようやく食事に口をつけた。

 それは空腹を満たすためではなく、「食べなければ自分が疑われ、次に殺される」という恐怖が背中を押したにすぎない。


 テーブルの上には温かい湯気と冷たい飲み物が並んでいる。

 しかしその味は誰にとっても無味で、ただ命を繋ぐための「行為」に過ぎなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ