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練馬美術館の思い出

 芸術やアートが人生にどのような影響を与えるのか。それらを知れば、世界は一変するのか。何らかの識見が増え、人生が豊かになるのか。

 

 色々な問いや答えがあろうがその多くは表層的である。そうして深層にたどり着いたような言葉、境地、印象といったものは同じように、そうした表現をする人と同じような経験をした読者でなければそれ自体、理解不可能だ。それ故に、世間に氾濫する答えはたいてい通俗的で表層的だ。それは書店の入り口付近にはろくな本が置いていないという事実とやや似ている。本質は常に奥に隠れている。

 

 ※

 それは今から二十年近くも前の話だ。


 私は自分の身体が二十年の月日をくぐり抜けてきた事に意外の感を受けている。その間、私の中に雪が降り積もるように教養や、努力の結晶、社会的成功といったものが降り積もる事は決してなかったから。

 

 私は警備員だった。武蔵小杉のタワーマンションの施設警備員をしていた。二十代前半だった。

 

 同僚に口うるさい人物がいて、毎日のように細かいところを注意されていた。私は病んでいた。その人物は自分のしている事が他人にどのような影響を与えているかという事は全くわかっていなかった。私は彼とコンビを組むようになって明らかに病み始めた。

 

 一時、自殺しかけた事がある。もっともこう言うと大げさかもしれない。

 

 その日、私はいつものように帰りの電車を待っていた。武蔵小杉の駅だ。私が乗るはずの電車が向こうからこっちにやってきた。私はそれをぼうっと見ていた。

 

 その時、ふいに私は私の体から、私自身が飛び出して線路に飛び込むイメージを目撃した。私は私の幻を見た。私の体から私が抜け出て、電車が滑り込んでくる線路に飛び込んだのだ。

 

 その刹那、私は「やめよう」と思った。私はーー私の本体は線路に飛び込まなかった。電車は何事もなくホームに入ってきた。電車は止まり、ドアが開いた。私は平常の人のように電車に乗った。

 

 私は奇妙な気持ちがした。自分が轢かれるはずの電車に乗ったからだ。

 

 私は、線路に飛び込む自分自身のイメージを見てはじめて自分の中の自殺願望に気づいた。私は死にたがっていた。

 

 私はそこから逆算して考えた。自殺したかったのは何故だろうか、と。答えは明白で、口うるさい同僚に毎日のように小言を言われており、それが積み重なって自殺したい衝動が無意識のうちに現れたのだった。

 

 もっともここでこのように書くと、私という人間が純然たる被害者のように思われるだろうが、私も仕事中にサボってゲームをして怒られるというような事をしていた。

 

 要するに、私はそこで「社会」というものがなんであるかという経験をしたのだった。社会に出ると学生の頃とは違う。

 

 私は警備員という末端の存在になって、はじめて、自分というものがこの世で全く何の価値もない存在だと思い知らされた。

 

 警備員をして私が感じたのは、「一緒に働いているこの人達は私が明日死んだところで何も感じないし、思わないだろう」という事だった。

 

 厳しい環境で働いた経験のある人ならこの感覚はよくわかるだろう。誰も他人に興味はない。ただ自分のテリトリーを守る事で精一杯で、他人に涙を流している余裕などはまったくない。他人とは単にシフト表の空欄を埋める存在でしかない。シフト表のひとつのエリアを占める「私」がいなくなったらまた別の誰かがそこを占める。ただそれだけの事で、それ以上どんな感傷もない。

 

 これは学生の頃とは違う経験だ。学生の頃まではなんとなく自分という人間を特別だとうぬぼれていられるが社会に出るとそうはいかない。

 

 私は人は一度はこのような体験をしておいたほうが良いと思っている。また、私の知っている線の細い作家が、学生からそのまま作家になったというような履歴を知ると、そうした作家は自分の惨めさを痛感する事なく、特別な存在である「作家」に収まってしまった故に、作家として本来必要な鍛錬をおざなりにしてしまったのだろうと感じてきた。

 

 ひとつ例を出せば「よしもとばなな」だ。よしもとばななのスピリチュアル気質とか、いつまでも自分を特別視しているあの心地よくも幻のような感覚は、彼女が学生からそのまま作家になった事と関連しているのではないか。そこには、世界にたった一人で放り出され、隣人はあなたの存在をなんとも思っていないという無情の感覚が欠けている。こうした感覚の欠如は村上春樹にも通じる。

 

 おそらくこの感覚の欠如は、日本という国、日本人という種族が「自分達は特別だ」と信じられた世代性と関連しているのだろう。

 

 ※

 警備員の話に戻るならその時の私はそうした精神状態だった。私は病んでおり、日々にうんざりしていた。拘束時間の長い警備という仕事にうんざりし、毎日小言を言われて、心を腐らせていた。

 

 警備員というのは、悪い言い方をすれば「人生詰んだおじさんの集まり」という場だ。精神や魂と一切関係のない、砂を噛むような日常に私はうんざりしていた。みなが自分の足元しか見ていなかった。私は、日常以外の何かを欲していた。

 

 そうしたさなか、ふと「美術館に行こう」と思った。夜勤明けだった。

 

 その頃のスマートフォンは出たてであり、今から見れば画質も悪く、動作も鈍かった。私はスマートフォンをいじくって、夜勤明けに行く事のできる美術館を探した。

 

 目に止まったのは練馬の美術館だった。中村正義という画家の絵が表示され、荒い画質だったが、一流の画家と感じた。絵の背後に独特の「業」のようなものを感じた。私は練馬美術館に行く事にした。

 

 ※

 夜勤明けは眠たかった。私はアパートとは反対の方向の電車に乗り、練馬に向かった。

 

 練馬駅を降りた時、美術館の開館までに時間があった。時間を潰す必要があった。

 

 練馬駅を降りると、肌寒く、小雨が降っていた。私は(せめてこんな日ぐらいいい天気であったら)と思ったのを今も覚えている。

 

 私は近くの松屋に入って朝食を食べた。食べ終わると、テーブルで読みかけの本を少し読んだ。ヴォネガットの「タイタンの妖女」だった。

 

 私は「タイタンの妖女」を読みつつ、(ああ、これは本物の反戦小説だ)と感じた。「タイタンの妖女」において、火星人が地球を侵略するシーンがある。火星人は実際には普通の人間であって、彼らは待ち構えていた地球人に次々に虐殺される。

 

 二十世紀の二つの大戦においては、人間は単なる「数」に変換された。人間は物である。もはやロボットと何ら変わりない。

 

 ヴォネガットは、人が殺されていく様を「数の羅列」で表現したが、それは明らかに人間というものが「物質=数」に置き換わった現代の戦争、また現代の社会というものを表している。


 それらの描写から、私はこの小説は「反戦小説」だと感じた。二十世紀の大戦の本質が、大戦に欠けていた悲しみの感情が裏から補完される事によって、その有様が批判されていると感じたからだ。

 

 「タイタンの妖女」を閉じると私は松屋を出た。そろそろ開館の時間だった。

 

 ※

 私は美術館に定期的に足を運んでいるが、もっとも印象的だったのはこの練馬美術館で中村正義の絵を見た時だった。

 

 だがそれは中村正義の絵が持っている力というよりも、私自身が若かったという事、世俗に塗れた生活の中で、芸術という魂の解放への道筋を私の魂が求めていたという事、そうした私のキャリアにまつわる精神状態が大きく影響していたのだと、今になって思う。

 

 練馬美術館は空いていた。私は心ゆくまで絵を見る事ができた。どうやら中村正義はそれほど人気がないらしかった。

 

 私はひとつひとつの絵をじっくりと見ていった。中村の絵は、暗い、実存的というか、観念的な絵が多かった。人物画が多く、人物はリアリズムの人間ではなく、暗い感じに戯画化されていた。私はそれらの絵をひとつずつ眺めていった。

 

 中村の絵で私が印象に残っているのは、正統的な日本画を学んできた人が描くような美しい花の小さな絵がひとつあった事だ。

 

 中村からすれば大した絵ではないかもしれないが、私は、中村正義のように独自の画風の画家もやはり、その根底にはオーソドックスな日本絵画の歴史が刻み込まれており、こういう人もそうした基礎修練を経てから自らの作風に向かうのだな、と思った。いわゆる「守破離」というやつだ。

 

 私は一時間ほどじっくりと絵を見た。あれほど集中して絵を眺めたのは人生でもその一度きりだったと思う。

 

 放心状態で美術館を出た。雨が止んでおり、わずかに陽の光が射していた。

 

 美術館の前に立っている一本の樹が目に止まった。美術館に入る時には目に止まらなかった樹だ。

 

 私は樹の真ん中あたり、節くれ立っているところが奇妙に歪んでいるのに気づいた。そこだけ視界が歪んでいた。半回転しているように見えた。


 後、私はその現象を、自分が中村正義の絵を見過ぎたせいだと考えた。中村正義の絵をあまりに強く凝視していたので、私の眼に中村の物の見方が移ってしまい、樹が歪んで見えた。そう解釈した。

 

 美術館に行って奇妙な経験をしたのは他にも二度ほどあるが、最初の奇妙な経験はそれだった。

 

 私の知っている限りでは、数学者の岡潔も似たような経験をした事があるらしい。岡潔はとある宝物を見た後に、外に出ると、さっきまで気にもとめていなかった樹が非常に美しく見えたという。

 

 私が見たのは中村正義の絵で、オーソドックスな美を表したものではなかった。どちらかと言えば現代的な、観念によって色付けされるような作品だったので、樹が奇妙に歪んで見えた。私はそう解釈した。

 

 ※

 さて、この絵画鑑賞の経験が一体私に何を与えたかというと、別段これということもなかった。

 

 ただ私はそれから定期的に美術館に通うようになった。そこで、自分以外の魂の表象と出会う事が私の人生の重要なルーティンのひとつとなった。

 

 あの頃の私は今と同様に鬱屈しており、世俗的な世界の中に閉ざされていた。鬱だった私は、それらの状態に無意識的に反抗しようとして、小雨の降る肌寒い日に、不人気の美術館に向かったのだろう。

 

 私は過去の自分の一出来事をそのような解釈している。魂は、別の魂との対話を欲している。そしてそれは多く、芸術という表象を解して行われるのだろう。


 私はあの時、生まれてはじめて(事実としては"はじめて"ではないが)美術館を尋ねて、そこでようやく、自分の中にあるものを吐露できる他者を好き勝手に想像する事ができた。沈黙の中に潜む無言の対話を、画布の向こうの"誰か”と繰り広げる事ができた。それは"たまたま”中村正義という画家だった。


 私はあの一時間、ガラガラの美術館でよく知らない画家の絵をまじまじと眺めた。それは後の私にとって必要で大切な事だったのかもしれない。あれからかなりの時間が過ぎ去ってしまったが、私は未だにあの時の経験を強烈に心に刻んだままでいる。

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