休日出勤
休み明けの仕事は、誰だって憂鬱になるものだ。必ず来るとわかっていても、当日の出勤前になると嫌になる。二度寝してみたり、用もないのにあれこれ違うことをしてみたりと、少しでも長く家にいようとするものだ。今日の由紀も、まさしくそんな状態だった。
今日は1月19日月曜日。時計は朝の3時になるところを指している。早番の仕事なら、このぐらいに起きて準備を始めることは当たり前。運転士になって9年の彼女は、このルーティーンには慣れていたし、今更どうこう言うつもりもない。
だけど、やはり早朝は、かったるい。しかも今日は休日出勤。この会社では、公休日の出勤という意味で、”公出”と呼ぶ。そんな公出だからこそ、なおさら家から出るのが億劫だった。でも先週、予備勤務のときに野中からの公出依頼を二つ返事で受けたのは自分だ。引き受けた以上、今更何を言っても遅いなんていうことは分かっている。
だけども、だ。やはり動きたくないのは変わらない。理屈云々ではなく、感情の問題だ。
なんとか無理やり身体を起き上がらせて、準備を始める。多少暖かくなってきているとはいえ、まだまだ日が出ない時間は肌寒い。通勤用のコートを羽織り、家を出る。三連休したというのに、由紀の足取りは重かった。
「おはようございまーす」
3時52分、時間通り事務所へ出勤。運行管理者のデスクには、前日夜からの夜当務だった真貴がいる。
「おはようございます、下里さん。元気ないですね」
「公出だもん、そりゃ元気ないよ」
「もう。自分で野中さんからの頼みを引き受けたんですから。ちゃんと仕事してください。はい、車は2878です」
「えー、ポンチョ?マニュアルがいいんだけど」
「文句言わない!」
今日の車両を聞いて露骨に嫌な顔をした由紀に、ズバズバとストレートに言葉をぶつけて叱る真貴。その姿は、きちんと運行管理者として職務に忠実な指導をしているようにも見えるし、寝起きでエンジンのかからない姉に喝を入れる、デキる妹のようにも見えた。
今日の相棒、社2878号車は小型車両。日野のポンチョという車種で、普段乗務する大型車両に比べると二回りぐらいは小さい。車体の幅は20cmほど狭く、長さに至っては4mほど短い。大型車両の約3分の2だ。その分小回りがきくのだが、だからと言って楽に走れるという訳ではない。こういう車両が配置されている路線は、大型車両では狭く入れないようなところがほとんど。いわゆる狭隘路線というところで、気を使いながら走らないとすぐに事故が起きる。
いつも通りに点検を済ませ、行路表と日常点検表をもって事務所へ戻る。点呼執行台の前に立ち、行路表と日常点検表を差し出す。その二点を真貴が確認し、いつも通りの点呼を実施する。
「5ダイヤ点呼お願いします、車両と健康状態異常なし」
「はい、異常なしですね。重点目標は」
「開閉は 必ずよく見て 慎重に」
「はい、時計の整正お願いします」
「4時15分、38、39、40・・・」
腕時計の秒針を読み上げる。真貴がその言葉と点呼執行台の時計と交互に確認し、ズレが無いことをチェック。
とくに異常も無く、いつも通り「事故なく、安全に運行するよう」指示を受ける。
点呼を終えて一服してから、4時22分定刻に出庫。始発バス停である深谷市の花園バスターミナルへ向かった。
花園バスターミナルは、”バスターミナル”という名前ではあるものの、実際は関越自動車道沿いにある市民文化会館の広い駐車場に、バス停を立てただけの簡素なもの。一応、ちゃんとバス専用の区画と休憩用のプレハブ小屋も設置されているが、それでも”バスターミナル”といえるほどしっかりしたものではない。
市民文化会館の駐車場入口からバス停へ進み、”バス”と書かれた白線の区画に停車させる。時刻は朝の5時を過ぎたところで、まだまだ肌寒い。もちろん、バス停で待っている乗客などはいない。時計を確認して、5時07分定刻で発車。途中のバス停で何人か乗客を乗せ、寄居駅南口に向かう。
朝6時50分頃、2往復の運行を終えて寄居駅南口に到着。まだ朝ラッシュとも言い難い時間帯だが、乗客はそれなりに増えてきている。だが、由紀はここで約1時間の休憩だ。ラッシュの忙しい時間帯は、あとから出てきた他のダイヤの運転士たちに任せることになる。
駅ビルに隣接した待機場にバスを止め、外に出る。そういえば朝食をまだ食べていなかったので、せっかくなら朝からやっている店に行こうと駅ビルへ向かった。
この間、陣見山口線の乗務のときに入った立ち食いそばの店へはいる。この店は始発電車が動く時間から営業しており、早番の乗務員もよく使う。店に入ると、同じ関北交通バスの制服を着た運転士がいた。目が合ったので軽く会釈をし、少し離れたテーブルに立つ。店主が由紀に「おはよう、何にする?」と声をかける。彼女は天ぷらそばを注文。数分して、熱いつゆに入った天ぷらそばが出てきた。ここは注文から料理が出てくるのも早く、回転率は非常に良い。限られた休憩の合間には、非常に心強い存在だ。
朝食を済ませ、まだ時間があるのでコンビニで飲み物を買って、バスターミナルを通り抜けて建物反対側の運転士通用口から仮眠室や休憩室のある区画へ入る。大型車両ならば、バスに戻って車内で休憩するという手段も取れるが、今日乗っている小型車両のポンチョは座席数も少なく、クッションも薄いのでずっと座っているのは苦痛だ。寝転がることなどまず無理。そのため、小型車両の乗務のときは、由紀はこの休憩所を積極的に使うようにしている。
休憩明けは寄居駅南口8時16分発からスタート。同じ寄居駅南口と花園バスターミナルを往復する運行だ。また2往復して、それが終わると終了だ。順調にいけば、正午までには家に帰れる、ラクなダイヤだ。ちょうどラッシュアワーの真っ最中ということもあって、バス停につけると20人ほどが待っている。こぢんまりとした車内は、すぐに満員電車のような混み具合になった。
「この先もご乗車されるお客様がいらっしゃいますので、入口付近には立ち止まらないようお願いいたします」
こまめにアナウンスを行い、乗車する入口のあたりで乗客がかたまらないよう促す。定員は30人ちょっとなので、もう少し乗れる。途中で停まったバス停で、客が「満員だな」とあきらめて見送らないようにするためのアナウンスだ。
花園バスターミナルへ向かうときは、進めばすすむほど乗客は減っていく。多少入れ替わりはあれど、どんどん減っていく。逆に寄居駅南口へ向かうときは、少しずつ増えていく。それでも、駅へ戻ってきたときにはラッシュも終わっている時間。寄居駅でドアを開けたときには、降りていった乗客は10人足らずだった。
全員が降りたあと、軽く車内点検を済ませる。ここで一服したいところだったが、10分の待機は微妙な時間だ。一番近いのは待機場にある喫煙所だが、回送でいったん移動すると時間がかかる。かといって、このバス停にバスを置きっぱなしにした状態でタバコを吸いに行くのは問題だ。金庫や高価な精密機器が載っているバスを置きっぱなしにして、何かトラブルにでも巻き込まれたら困る。由紀はバスの前でコンビニで買ったジュースを飲みつつ、適度に身体を動かして時間が過ぎるのを待った。
11時過ぎ。仕事を終えて、車庫へ戻ってきた。バスを給油所に止め、給油を行う。車内の清掃は学生アルバイトに任せ、給油が終わると金庫を解錠して事務所へ向かう。いつも通りのルーティーンだ。
事務所へ入ると、朝に寄居駅の立ち食いそばで会った運転士、新人の泉水忠がやってきた。
「お、泉水さんお疲れさま」
「下里さん、お疲れさまです!今朝はありがとうございました」
「いいえ、あの時間に居たってことは早番?」
たわいもない会話をしている間に、金庫の納金が終わる。精算機から金庫を取り出して、棚の”2838”とテプラが貼ってある場所へ戻す。運行管理者のデスクには、真貴の代わりに昼当務の保副所長が座っていた。彼女は寄居営業所の副所長である、保真弓。由紀と長い付き合いの先輩だ。大型二種免許は持っていないが、経験豊富な会社のことを知り尽くしたベテランの女性管理職だ。
「真弓さんお疲れさま。2838はどこに格納ですか」
「由紀ちゃんお疲れ様。このあと遅番で使うから、23番線の1番に格納しておいて」
保副所長に指示された場所へバスを移動させるため、由紀はいったんバスに戻りエンジンをかける。あとはバスを指示された場所へ格納したら、日報を書いて行路表と鍵を返却したら終了。既に太陽は高く昇り、それなりに暖かい。昼めしはどうしようかな・・・そう考えながら、由紀は23番線の1番にバスを格納した。
乗務日:2026年1月19日(月) 天候:はれ
ダイヤ番号:5
社番:2838
運転士氏名:下里 由紀
乗務開始時刻:4時22分
乗務終了時刻:11時02分
乗務開始メーター:60,384km
乗務終了メーター:60,451km
当日乗務距離:67km
報告事項
事故や運行に関する内容:異常なし
車両に関する内容:異常なし
その他報告事項:異常なし




