【第8話】 ──震源──
避難所として指定されたはずの高井戸第四小学校の正門前には、誰もいなかった。 人気のない校庭。ブランコが風もないのに微かに揺れ、鉄棒には手垢のような黒い痕が残っている。 校舎の窓の一部は割れており、薄暗い廊下の奥から、低いうなり声のようなものが微かに響いていた。
「……まるで、人を寄せ付けないようにできてるみたいだ」 陽一の言葉に、ハルキが頷く。
「“開いた扉”の近くでは、理が歪む。現実が耐えられなくなって、反転することがある。人も、場所も……記憶すらも」
沙織が不安そうに周囲を見渡し、ミルはキャリーの中で静かに身を丸めている。
「中に入る?」
「……行こう」 陽一は意を決したように門をくぐった。
校舎の扉は半開きだった。 足を踏み入れると、床が軋む音とともに、空気が重たくなる。
「明かりが……ないね」 沙織の声は囁くように小さかった。
「このまま進もう。目的は確認と、可能なら中にいる人たちの保護」
懐中電灯の薄明かりが、廊下の壁に掛けられた児童の絵を照らす。 その中の一枚に、異様な違和感があった。
“穴”を描いたもの。
真っ黒な渦の中心に、目のようなものが描かれていた。それが不気味に笑っているようにも見える。
「これ……偶然なの?」 沙織が絵に目を奪われる。
その瞬間、廊下の奥──階段の先から、音がした。
「……誰かいる?」
陽一が声をかけるも、返答はない。 代わりに、階段の上から、ぱたり、と何かが落ちる音。
そして、影が現れた。
人のような、けれど明らかに“異なるもの”。
顔がない。 目も口も、そこにあるべきものがすべて“削ぎ落とされて”いる。 それなのに、そこに立っている。 こちらを見ている“ように”感じる。
沙織が息を呑む。 「これも……異能者なの……?」
ハルキが小さく首を振る。 「違う。これは、開いた“扉”が生み出した“残響”だ。形を持たない記憶が、実体を持ってしまった」
陽一は、一歩前に出た。 「……やるしかないか」
彼の掌が、じわりと熱を帯びる。 そして光が、闇を押し返すように彼の周囲を照らした。
【震源】に近づくにつれて、陽一の力もまた、確実に目を覚まし始めていた。
ブックマークして頂いた方がいて感無量です!
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