【第5話】 ──接触──
地面の揺れが収まると同時に、周囲の空気が急激に冷たくなった。 まるで世界そのものが、何か大きな呼吸をした後の静寂に包まれているようだった。
陽一は少年の方を見つめた。 その姿はまだそこにあった。だが、彼の周囲にあった蜃気楼のような歪みは消え失せ、代わりに地面に深く刻まれたひび割れだけが異常の名残を主張していた。
少年の顔は虚ろで、口元には微かな笑みが浮かんでいた。 その無垢な笑みと、先ほどの破壊とのギャップが、ぞっとするほどの違和感をもたらす。
「……あの子……生きてるの?」 沙織の声がかすかに震えていた。
「わからない……でも、放っておけない」
陽一は注意深く少年に近づいた。万が一に備え、ポケットに入れていた懐中電灯の底を強く握る。
数メートルの距離。 その間にも何かが起こるのではと、全神経を皮膚にまで張り巡らせていた。
そして、彼が声をかけようとしたその瞬間だった。
少年が、静かにこちらを見た。
その目には、年齢に見合わぬ深い闇が宿っていた。悲しみでも怒りでもない。 ただ、「理解を超えたものを受け入れた者」の目だった。
「君……大丈夫か?」
声をかけると、少年はぽつりと答えた。
「痛くない。怖くもない。……ただ、世界が、僕のことを見てる気がするんだ」
その言葉に、陽一の背中が冷たくなった。
沙織が思わずミルを抱きしめ、言葉を失う。
「この子……何か、知ってる……」
そのときだった。
「おい! そこにいるのは誰だ!」
怒声とともに、奥の路地から三人の男たちが現れた。いずれも武装しておらず、だが手には鉄パイプや木製バットを持っていた。
「お前らも“変異者”か? 近づくな!」
その言葉に、陽一の中に冷たい怒りが湧いた。
「違う、俺たちは避難中の……」
だが、その声を遮るように、男の一人がバットを構えた。
「言い訳はいい! 見ただろ、そこのガキの仕業だって! あれが今、人を殺してるんだよ!」
「……待ってくれ、彼はまだ何も……」
だが、言葉は届かなかった。
怒りと恐怖に突き動かされた男が、叫び声とともに走り出す。 バットが振り上げられる──。
その瞬間、陽一の掌が熱く光った。
視界の中心、世界が反転するような感覚。 身体の奥から何かが突き抜け、空間に干渉する。
次の瞬間、男のバットは空中で止まった。
──それはまるで“時間”が断ち切られたような静止。
陽一の手から、透明な波紋のようなものが空間を伝っていた。
「……今の、は……」
誰よりも驚いていたのは、陽一自身だった。
掌の熱。 見えない力。
──自分の中で、確かに何かが、目覚めた。