【第29話】 ──邂逅──
銀色の影は、陽一の視線を受け止めるように、さらに一歩踏み出した。
校庭を覆う黒い霧たちは、まるで本能的にその存在を畏れるかのように、わずかに後退した。 ざわめきは収まりきらず、怒号と呻きが断続的に空気を震わせている。
陽一は、身を強張らせた。 この銀色の影が、敵なのか味方なのか、まだわからなかった。 だが──
(違う……少なくとも、今までのものとは違う)
陽一は、直感的にそう感じた。 銀色の影は、微かに肩を震わせながら、それでも陽一を恐れるような素振りを見せなかった。 一歩ごとに、彼女の足元で霧が押しのけられ、かすかに光の筋が走る。 その歩みは頼りなく、けれど決して後退しようとはせず、まるで陽一に向かって "何か" を訴えかけているかのようだった。
陽一の胸の奥で、警戒と同時に、かすかな胸騒ぎが広がった。 それは危機感とも安堵ともつかない、曖昧な感覚だった。 まるで、心の奥に小さな灯がともるのを感じたかのようだった。 その正体を確かめるように、陽一は無意識に一歩、前へと踏み出していた。
銀色の影は、まるで言葉の代わりに、心を震わせるように、そっと片手を差し出してきた。 幼い少女のような小さな手。 だが、その手は恐れも、怒りも、拒絶も纏っていなかった。
陽一は警戒しながらも、しかし確かにその手に向かって歩を進めた。 痛む足を引きずりながら、それでも一歩ずつ距離を詰めていく。
周囲の霧たちは、怒りとも恐怖ともつかぬ感情を渦巻かせながらも、陽一と銀色の影を見守るしかなかった。
陽一の手が、銀色の影の手に届く寸前、ふと脳裏に疑念が過った。
──もし、これも罠だったら? ──また裏切られたら?
脳裏に過った疑念が、陽一の足を一瞬すくませた。 手を伸ばしかけたその指先が、わずかに震える。
傷ついた過去が脈打つように疼く。 見誤れば、また取り返しのつかない痛みを負うかもしれない。
だが、銀色の影は何も求めず、何も強いず、ただ陽一を見つめていた。 その視線には、打算も偽りも感じられなかった。
陽一は自問した── 本当に恐れているのは、相手の裏切りなのか。 それとも、もう一度誰かを信じようとする自分自身なのか。
静かに、深く呼吸を整えながら、陽一は覚悟を決めた。
(……それでも、信じたい)
陽一はそっと手を伸ばした。
指先が銀色の光に触れた瞬間、心臓が跳ねた。 温かい。優しい。それでいて、どこか切ない。
途端に、陽一の意識の奥深くに、銀色の影の感情が流れ込んできた。
──孤独。 ──寂しさ。 ──そして、果てしない闇の中で、かすかに求める光のような想い。
それらは言葉にはならず、ただ切実な願いとして、陽一の心に訴えかけた。
(この子は──名を、欲しがっている)
陽一は、確信した。
校庭に張り詰めた空気が変わった。 怒りも恐怖も、一瞬だけ静まり返った。 すべての存在が、陽一と銀色の影の邂逅を見守っているかのようだった。
陽一は深く息を吸い込んだ。 この世界で、ユウに続き、また新たに名前を求める存在に、何と呼びかけるべきか。
言葉を選びながら、彼は、ゆっくりとその唇を開いた。




