【第2話】 ──胎動──
午前8時すぎ、杉並区某所。
街の空気が重かった。湿気とは違う、まるで空気そのものが何かに圧し潰されているような、奇妙な圧力が肌にまとわりつく。
陽一は、通勤か避難かを迷いながらも、まずは周囲の状況を確認しようと家の外に出た。 近所の住民たちも、同じように玄関先や道路に出ていた。皆、顔をしかめながら空を見上げたり、スマートフォンをいじっていたりする。
そんな中、家のすぐ近くの公園から、低い呻き声が聞こえてきた。
「……人?」
陽一が声のする方へ近づくと、倒れ込んだ中年男性がうずくまっていた。
「大丈夫ですか?」
声をかけると、男は血走った目で陽一を見返し、叫んだ。
「触れるなッ! 俺の中に──入ってくるッ……!」
その瞬間、男の体から黒い煙のようなものが噴き出し、周囲の空気が凍りついたように冷たくなった。
陽一は思わず後ずさる。
──しかしそのとき。
彼の頭の中に、誰のものとも知れぬ声が響いた。
『選ばれし者──触れたか』
景色が、世界が、一瞬揺らいだ。
彼はまだ知らない。
この声を聞いた者たちの中に、「異能」が芽吹き始めていることを。
ある者は、死の間際に目覚め、
ある者は、愛する者を失ったときに目覚め、
ある者は、偶然にも“穴”の瘴気に触れて発現した。
その日を境に、陽一の世界は確かに変わった。
それは、抗いがたい世界の胎動。
始まりに過ぎなかった。