【第10話】 ──境界──
銃口は陽一の胸元を真っすぐに捉えていた。
廊下の奥から現れたのは、30代前後と思しき男性だった。 短く刈られた髪、皺のない制服、研ぎ澄まされた眼差し。明らかに一般市民ではない。背筋の伸びた立ち姿と、躊躇いのない銃の構え──彼は、元警察官だった。
「名を名乗れ。君たちは何者だ」
その声は冷静だったが、敵意を帯びていた。
陽一は両手をゆっくり上げ、掌を見せる。 「俺は斎藤陽一。この女は妻の沙織。少年は……ハルキ。避難指示に従って、ここに来ただけだ」
男の視線が、ハルキに移る。 一瞬だけ目が細められた。
「その少年は……“発現者”か?」
「……そうかもしれない。でも、彼は俺たちの仲間だ」 陽一の声には、はっきりとした強さがあった。
男は一瞬だけ沈黙し、銃口をわずかに下げた。
「……俺は香坂。この区域の非常時対応部隊だった者だ。今は“解体された”がな」
「警察が解体……?」
「正式には“再編”という名目だ。だが実態は違う。政府は“発現者”を制御できないと判断した。今、この国は実質的に管理不能状態にある」
言葉の重さが、空気をさらに鈍くする。
「この校舎の震源は、2階の旧音楽室だ。そこに“穴”がある。異形はすでに複数出現しているが、今は静まっている。おそらく“本体”が覚醒しきっていないだけだ」
香坂は視線を陽一の掌に落とす。 「……君の能力。たった今、それで“残響”を消し去ったように見えた。合っているか?」
陽一は頷いた。 「完全には分からない。でも、あれを消したとき……何かを“断ち切った”気がした」
「それで十分だ。今、あそこに踏み込めるのは君しかいないかもしれない」
「踏み込む……?」 沙織が思わず声を上げる。 「ようちゃんがそんな危険な場所に行く必要あるの? 私たちはただ避難してきただけなのに……!」
「……俺もそう思ってた」 陽一がゆっくりと、沙織に目を向ける。 「でも、ここまで来て、もうただの“傍観者”ではいられないって思ったんだ」
沙織は息を呑んだ。 それでも、その目には理解と、微かな悲しみが宿っていた。
「……行くなら、私も一緒に行く」
香坂が口を開く。 「だめだ。君の手は震えている。犬もいる。子どもも。これ以上の危険を連れていくのは無謀だ」
陽一が視線を落とす。 掌に、再びあの熱が蘇りつつあった。
「……分かった。俺が行く。あの扉の中へ」
空気が震えた。 廊下の奥──旧音楽室の扉が、きぃ、と自らの意志で開いたかのように、軋んで開いた。
その向こうは、まだ世界の名を持たぬ領域。
“震源”の鼓動が、ようやく目を覚まし始めていた。




