94話 茨の道①
総督室から出たショルメを迎えたのは、無数の銃口だった。
「貴様が総督を殺したのか!」
カチリ……という冷たい音に迫られて、彼は軽く両手を挙げた。
「勘違いしないで欲しいな……エドガー総督は、銃の暴発事故で亡くなった」
「嘘を吐け!!」
銃口が顎をグイと押す。上向き加減になりながら、ショルメは溜息を吐いた。
「俺が云ったところで説得力が無いな……ならば、彼に証人になって貰おう」
ショルメは目線を背後に向けた。
そこに在ったのは、エドガーと同じ金髪灰眼の青年だった。
彼――Mは、無表情に銃口の列に進み出る。些かも動じない視線に慄いたのか、潮が引くように銃口が離れた。
「M……いや、ラウール閣下、お父君が亡くなった瞬間を、ご覧になりましたよね?」
ショルメに促され、彼は首を縦に振った。そして、血の付いたエドガーの拳銃を一同の前に転がした。
ヒッ……と息を呑む音がした。だが、誰も反論はしなかった。
彼――エドガーの血を引くラウールに逆らえる者は、結社に存在しない。
「調べてくれ。エドガー総督の命を奪った拳銃だ。潮に当たったから手入れをされようとしていた処に起こった暴発事故だ。誰かに責任を取らせると云うのなら、その拳銃を製造した工場の責任者だろうな」
当然、偽装したものだ。工場長には悪いが、恨み言は地獄で存分に訊くとしよう。
ショルメはそう思いつつ、ラウールの前に膝をついた。
「エドガー総督亡き後、我々を導くべきは、正統なる血を引いたラウール閣下と心得ております――どうか、これを」
ショルメが差し出したのは、金のサーベル――総督室の最奥に鎮座していたものだ。
両手に掲げられたそれに目を向け、ラウールは一呼吸置く。そっと手を伸ばし、サーベルの柄に手を掛ける。
そして、一息に刀身を引き抜くと一同に向けた。
ショルメは姿勢を変えぬまま、静かに告げた。
「これより先、全ての兵及び司令官は、ラウール新総督の命に従うよう、各艦に伝達を」
☩◆◆──⋯──◆◆☩
その後、ショルメが向かったのは旗艦の一室。
幹部の執務室が集まる区画にある扉を開ければ、再び銃口が彼を迎えた。
再び両手を挙げて溜息を吐き、ショルメは銃口の主に歯を見せた。
「君のが一番痛そうだな」
「ピストルは錆びないよう手入れしておくモンだ」
軽口を叩く割に、目は嗤っていない。彼は皺が深く刻まれた目を鋭く細めた。
「俺の銃は嘘を赦さねぇ……貴様が総督を殺ったのか?」
ショルメは答えた。
「あぁ……俺が殺した」
冷たい感触がこめかみに触れる。カチリと安全装置を外す振動があった。
低くしわがれた声が云った。
「――――何故?」
「そろそろ潮時だと思ってね……あの猛犬が魔能なんて玩具を持ったら、俺たちが天下を取る可能性が無くなってしまうだろ?」
銃口は動かない。代わりにもじゃもじゃの髭に包まれた薄い唇がショルメの耳に近付いた。
「なら何故、猛犬の息子を総督の座に据えた?」
「そうでもしないと、無事にカリブ海に戻れないじゃないか。所詮、七海艦隊は烏合の衆。絶対的な指揮官がいなきゃ、太平洋で迷子になる。その旗振り役に、Mが丁度いいと思ってね」
それに、俺にとっても扱い易いし……と、ショルメは男に顔を向ける。
「問題無い。エドガーの息子は世界各地に数え切れないほどいる。それに、大西洋結社は血筋では無く実力主義だ。Mが総督の座を継ぐのに賛成する奴など居ない」
それには、男も眉を吊り上げた。
「貴様、あいつを裏切るのか」
「人聞きが悪いな……初めから利用しただけだ」
唖然とする男の手からピストルを取り上げ、ショルメは部屋に入る。そしてテーブルに腰を下ろすと、傍らの酒瓶を手に取り一気に呷った。
「東京のウイスキーも悪く無かったけど、やっぱりスコッチが一番いい」
男は扉の外を確認してから、念入りに鍵を掛けた。
そしてショルメを振り向くと、髭もじゃの口角を吊り上げる。
「――結社を盗るんだな、ショルメ」
「いや、俺は権力には興味無い。俺がやりたいのは、チェスだ」
と、ショルメはキングの駒を象ったコルク栓を摘まんだ。
「エドガーのやり方にはイライラしてたんだ。世界各地を手に入れたものの、統治し切れていないじゃないか。あれでは、今回みたいに何かあった場合、一気に潰されてしまう。やるなら、徹底的に支配しないと」
彼はそう云い、コルク栓を指先で弾く。男はそれを受け取って、理解しかねるという表情をショルメに向けた。
「貴様、何を企んでる?」
ショルメはニッと嗤った。
「――七大陸を盤面にしたチェス」
「…………」
「七海艦隊という駒を使って、全てを自軍の色に染め上げる」
「おい……」
「エドガーが死んだおかげで、盤面はまっさらに戻った。ここから打つチェスは、かなり面白そうだ」
愕然とした表情をショルメに向け、男は呻いた。
「組織を裏切ったというのも、計算の内か?」
「そう。エドガーの傍に居ては、下準備がやりにくかったから。おかげで、東京では面白いものを手に入れられた」
と、彼は頭に指を当てる。
「多分、今の俺は、千手先を読める」
「…………」
「でも、さっきも云ったように、俺がやりたいのはチェスだけでね。内輪争いとか、そういう面倒なのは御免だ。そこで……」
ショルメは男が手にするキングの駒を指した。
「君に、大西洋結社の頂点に立って貰う」
男はコルク栓を持つ手を震わせた。
「俺が……社長に……?」
「海賊時代から、君の人望は秀でたものがある。実力でも、君の右に出る者は無い」
「…………」
「君が結社を率いて、俺が七海艦隊を率いる。それで、世界を盗ろう」
男の震えは全身に及び、膝が嗤ってよろめいた。
「俺が、世界を……」
「その覚悟はあるんだろ? 俺に目的を訊いた時点で」
耐えられず、男は床に膝をついた。言葉も無く、だらしなく開いた口から「ハハ……ハハハ……」と息を漏らしている。
その時、ノックの音がした。
「モーリス中佐、ラウール総督の招集が掛かりました」
男は飛び上がるように振り向き、声を上げた。
「い、今すぐ行く」
そしてショルメを振り返った。「行って来い」と云うように顎をしゃくると、モーリスはコルク栓をポケットに納め、下卑た嗤いを浮かべて部屋を後にした。
それを見送り、ショルメは表情を消した。
――モーリス。彼が大西洋結社に入った直後から懇意にしている男である。
海賊上がりの粗野な男だが、親分肌で部下の信頼は厚い……が、少々脳が足りない。
ショルメは手にした彼のピストルを眺めた。
「俺の銃は嘘を赦さねぇ……ね……」
そう呟くと、ショルメはそれをテーブルに投げた。
今の話は、全てハッタリという訳では無い。この先、血で血を洗う権力闘争が幕を開けるに違いない。
それを収める役として、ショルメは彼を選んだ。暴力を権力と勘違いしている粗暴な男だからこそ、最も効率良く事態を収束させられる筈だ。
そして、敵を一掃したところで、権力を掌握するのは……。
すると、懐で音が鳴りだした。ショルメはその小さな機械を取り出し、耳に当てる。
――怪人ジュークから盗んだ小型通信機だ。
幽霊塔の彼の部屋にあったものを拝借したのだが、使い方が解らず、持っているのすら忘れていた。普段から置きっぱなしで、使っている様子が無かったから、きっと彼も、盗まれたことにすら気付いていないだろう。
通信機が語る内容は、透也とリュウの脳波を通した会話だった。
それを聴き、ショルメは鮮やかな碧眼を細めた。
「――――東京でクーデター、ね……」
その一言で、彼は全てを察した。
――日下部伯爵が、魔能を盾とした強硬手段に出た。いや……。
魔能を鉾にした、世界征服を始めたのかも知れない。
チェスの相手として申し分無い。




