92話 帰還
「お帰りなさいませ、総督」
潜水艇から旗艦に移ると、整列した部下たちが彼を恭しく迎えた。一糸乱れず並んだ敬礼に軽く視線を送り、エドガーは総督室へと向かう。
「あの船はどういたしましょう?」
彼に随行する、旗艦長たる提督が問うと、エドガーは忌々しげに答えた。
「沈めろ」
「承知致しました」
階段を上り甲板へ出る。水兵たちが一斉に床を鳴らして姿勢を正した中を、彼は無言で進み艦橋に入る。そして、迫り来る船影に向かい照準を合わせる砲台を眺めた後、奥にある扉へ入った。
此処は、彼以外の立ち入りが禁じられた部屋だ。
大西洋結社と七海艦隊の紋章が入った旗が二枚、壁に掛けられている。その間には、金のサーベル――英国王より賜った、七海艦隊を率いる者としての権威そのものが鎮座していた。
その前に置かれた革張りを椅子に身を沈め、エドガーは大きく息を吐いた。
あの船を棄てる事態になるのは予定外だった。部下を大勢失った損失も大きい。
しかし、悪いことばかりでは無い。
何時か反旗を翻すのではと恐れていたMを始末する、良い機会が出来た。
今頃、ショルメとMで潰し合っているだろう。
決着が付かなくても問題無い。間も無く、木っ端微塵に海の底に沈むのだ。
葉巻に手を伸ばし、火を点ける。ゆっくりと煙を吐き出し、漸く生きている実感が湧いた。
潜水艇という狭い空間、しかも海の底に閉じ込められると云うのは、空気の不安だけで無く、精神にも良くない。
だが……と、エドガーは揺れる煙を目で追う。
東京での成果は悪くないものだった。
端から、怪盗同盟との交渉が上手くいくとは思っていなかった。黒い魔女との接触をブラフに公安の注意を引き付け、本命である大鳥公爵との商談を成立させた。形ばかりの条約を盾に、日本は彼の手の内となったのだ。
「日の沈まぬ国、か……」
世界征服――歴史上誰も成し得なかった偉業を遂げても、エドガーに感慨は無かった。経験上、彼は知っていた――手に入れるよりも、維持する方が困難であると。
デスクには、東京へ赴いていた間に起きた問題の報告書が山積みになっていた。世界各国で、彼へ刃向かう者が後を絶たない。
エドガーは報告書の束に靴を乗せ、天井を見上げた。世界地図を描いた天井画に煙を吐き掛け、彼は嗤った。
「私に逆らうのなら、此処まで来るがいい」
――その刹那。
ヒヤリとした殺気を首元に感じ、エドガーは硬直した。
「呼ばれたから、来たよ」
視線を下げる。そこに在ったのは、プラチナブロンドの長髪から覗く鮮やかな碧眼。
彼――ショルメは懐手のまま、冷たくエドガーを見下ろしている。
エドガーは察した――魔能だと。
高速船へショルメ達が侵入した方法は、異空間を使う魔能使いの仕業に違いない。
しかし、旗艦を見抜き、その総督室へピンポイントで現れるのは、彼には不可能だ。
だから、それを知るショルメを足止めする為に、Mを置いて来たのだ。
まさか、そのショルメとMが手を組むとは……。
エドガーは目を動かし、首元を見遣る。
ピタリと当てられた、古風な二連式のピストルの銃口。その先にある人物の姿は見えない。
だが、この気配の無さはM以外に有り得ないと、彼は知っていた。
エドガーは誰も信用していない。裏切りに裏切りを重ねて成り上がった彼に、心を赦せる者など存在しない。
だから、このような命懸けの場面に於いて、つい先日、銃口を向け合った二人が手を取り合うなど、想像すらしていなかったのだ。
伝声管から指令が聞こえた。
「撃て!!」
直後に床を震わす重い轟音。高速船が粉砕されたのは、火を見るよりも明らかだ。
その一撃は同時に、もうひとつの終わりを招いた。
轟音に重ねるように二連式のピストルから弾が放たれ、血飛沫が二枚の旗を染めた。
☩◆◆──⋯──◆◆☩
――その少し前。
痛む体を引き摺って、透也は甲板に出た。
揺れに足を取られてよろめきつつ、手摺りから海を覗けば、驚くほど海面が近い。しかも、惰性で波に流されている程度の速度で、ボイラーは既に全て停止していると思われた。
手摺りにしがみ付いて身を起こす。すると少し先から、海風に乗って甲高い声が聞こえた。
「おーい」
目を向けてみれば、視認出来る位置にニコラの姿があった。小さな漁船の舳先で、大きく手を振っている。
距離にして四十米ほど先を、漁船はゆっくりと並走する。瞬間移動であの船へ乗り移れば、脱出出来るだろう。
だが……と、透也はポケットのリュウに目を向けた。
「ショルメたちは何処に居る?」
「先程からレーダーで調べているでアリマスが、この船に生体反応は無いでアリマス」
現状、ショルメの兄貴を救出出来たのかも解らない、という訳だ。
しかし、彼らなら大丈夫だろう……という妙な確信が透也にはあった。
どちらにせよ、今の透也に出来ることは何も無い。呼吸すらままならない身では、自分を助けるだけで精一杯だ。
必ず、生きて帰る――透也はヘルメットを装着した。
ところが……。
「様子がおかしいでアリマス」
ポケットから顔を出したリュウが、ニコラの横で旗を振る、見ず知らずの男に目を向けている。ニコラが警戒していないから味方ではあるだろうが、透也には彼が無茶苦茶に手を振り踊っているように見えた。
「何だ、あれは?」
「手旗信号でアリマス」
リュウは旗の動きを読み取っているようだ。
「ハ ヤ ク ニ ゲ ロ……そう云っているでアリマス」
確かに、この船は沈没し掛かっており、呑気に構えるほどの猶予は無い。しかし、それは透也も解っており、わざわざ手旗信号で伝えることでは無い。
すると、今度はニコラが腕を舳先に向けた――前方を見ろと云うように。
そちらに目を向け、漸く透也は事態を察した。
「七海艦隊でアリマス」
しかも、並んだ戦艦の主砲が全て、この船に向けられているのだ。
「…………」
なるほど、一刻として猶予は無い。
透也は叫んだ。
「生死流て……」
「待つでアリマス!」
遮ったのはリュウだ。
「この船が撃たれたら、ニコラたちも無事では済まないでアリマス!」
透也の肝が冷える。今すぐ瞬間移動したところで、速度を落としている漁船が離脱するまでに砲撃を受ければ、この船の沈没に巻き込まれるか、流れ弾で撃沈されかねない。
――俺を置いて逃げろ――
そう伝える為、透也は大きく息を吸った。その途端、胸が裂けるような痛みが奔る。堪らず咳き込めば、口から血が溢れ出た。
無理に肺を動かしたから、折れた肋骨に刺さったのだろう。
頭がクラクラする。立っていられなくなり、透也は膝を折った。
彼の異変を察したリュウがヘルメットによじ登った。
「諦めるのは早いでアリマス。方法はあるでアリマス」
リュウは七海艦隊を睨んで続けた。
「たった今、ワガハイの転移能力の設定を、金平糖を燃料とする数値から、高濃度の魔素を使うものに書き換えたでアリマス。移動範囲は、地球上であればほぼ無限。転移対象の容積は五十万トンまで可能」
「…………」
「透也が漁船へ移った瞬間に、船ごとこの海域を離脱するでアリマス。しかし、問題がひとつ――設定リセットの為に必要な二十分のクールダウンタイムは、システム上変えられないでアリマス。その為、透也が自力で漁船に飛び移る必要がアリマス」
呼吸が出来ない。意識が朦朧としてくる。こんな状態で、どうやって四十米先の船に飛び移るのか……。
透也の思考に呼応するように、リュウが云った。
「――魔能でアリマス」
透也は顔を上げる。リュウはピョンと甲板に降り、彼を見上げた。
「透也は、魔能を発動する要素を持っているでアリマス」
「…………」
「七海艦隊の射程に入るまで、あと九十秒程でアリマス。それだけの時間があれば、透也なら可能でアリマス」
無茶苦茶なようだが、透也は知っていた――リュウは、嘘や誤魔化しが下手だ。
しかし、どうやって魔能を……と考え、透也は影男の言葉を思い出した。
――此処は僕の想像力が創り出す場所――
ならば魔能も、想像力で創り出せるのではないか。
今、自分に必要な能力と考えた場合、先ず浮かぶのは瞬間移動だ。だが……と、透也はすぐに否定した。最強の転移能力者を相棒に持つのに、転移能力を得たところで意味が薄い。それに、漁船に移動出来たところで、この体では長く持たない。「生きて帰る」を目的とした場合、それでは叶わない。
ならば……。
透也は目を閉じた。そして、脳の奧にある魔能の結晶に語り掛ける。
――一度は死んだ俺を生き返らせたその力を、もう一度見せてみろ。
目を開く。
彼を見上げるリュウの目に、空色に光る両目が映った。
透也は云った。
「――起死回生」
光の渦が透也を包む。次の瞬間、彼は駆け出した。
「リュウ、砲撃まで何秒だ?」
「四十二秒でアリマス」
小さな相棒は、彼が立ち上がると同時に腿に飛び付いていた。その体をポケットに押し込み、彼は甲板を駆け抜けた。
ワイヤーガンの最長射程距離は二十五米。漁船まで四十米。なら、残り十五米は自力で跳ぶ。
助走を付け、手摺りを蹴る。宙に身を踊らせながら、走り幅跳びの要領で大きく手足を振る。そうして射程に入ったところでワイヤーガンを発射。漁船の舳先に絡んだワイヤーを巻き取る勢いに身を任せれば、その先でニコラが待っていた。
「透也……お帰り!」
両手を広げる彼女に手を伸ばす。ワイヤーを回収し、惰性に身を預けたところで、中村元警部が割って入った。
「退け! 危ないぞ――!」
「危ないのはあんただ……ッ!」
――ドスッ。
透也は中村の胸に飛び込んだ。
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【遠藤透也】
魔能・起死回生
(外傷を瞬間的に全回復する)
発動条件①・自身に対してのみ有効
発動条件②・死亡時には無効
発動条件③・発動後、極度の疲労に襲われる
発動条件④・魔能の経路が怪盗とは違う為、
他者の魔能は感知出来ない
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