86話 推理
「博士……博士……!」
研究所を飛び出し、森を彷徨う。
かつてのように、森の木々が黒々とした枝を伸ばして、透也に覆いかぶさろうとはしなかった。昼間というのもあるが、たとえそうしたところで、透也にはどうでもいいことだった。
「博士……博士……博士……博士……」
博士が倒れた時に助けてくれたサルナシの木も、あまりに酸っぱいから目覚ましになると博士が摘んでいた山ブドウも、今日は彼を救ってはくれなかった。
「そうだ……もしかしたら、ひとりで街に行ったのかもしれない……そうだとしたら、そろそろ戻ってくる頃だ……」
黒い人影――怪盗十九号の姿を求めて、木の根の階段を上る。けれどそこには、眩しい日差に照らされた錆びたドラム缶と、眼下に広がるスラムの街並みがあるだけだった。
「…………」
怪我の痛みを無視して動いたのが祟ったのだろう。傷口が開いてズボンを濡らしている。目の前が真っ白になった透也は、ドラム缶に背を預けるように地面に崩れ落ちた。
「少し休んだら戻るでアリマス。このままでは透也が死んでしまうでアリマス」
ずっと肩にしがみ付いていたリュウが、透也の膝の上に飛び下り彼を見上げた。そんな彼に、透也は虚無を映した目を向けた。
「いいんだよ……博士がいなかったら、どうせ俺は生きていけないから」
「それはダメであります! 透也がいなくなったら、ワガハイ、誰に金平糖をもらえばいいでアリマスか!」
虚ろな目を見返すクリッとした目が、ウルウルと潤みだした。
「燃料切れになったら、ワガハイの電源が落ちるでアリマス。電源が落ちたら、ワガハイのデータは初期化されるでアリマス。そうしたら……博士のことも透也のことも、全部、忘れてしまうでアリマス!」
ヤモリの姿をしたAIは、透也が差し出した指にしがみ付いた。
「ワガハイを置いていくのはダメでアリマス! 透也はいなくなってはいけないでアリマス!」
☩◆◆──⋯──◆◆☩
重い体を引きずって研究所に戻り、研究室のベッドに倒れ込み、そのまま眠ってしまったらしい。
気が付くと、辺りは暗くなっていた。
全部夢だった――という顛末を期待して起き上がる。けれど、散乱した瓶の破片が、否応なく現実を突き付けてきた。
工房へ向かい、テーブルを起こす。使えそうな椅子に腰を下ろして、誰もいない部屋を眺めていると、トン、と軽い音がした。
見ると、テーブルからリュウが見上げている。その前に、何粒かの山ブドウ。
「ワガハイの腹には、これだけしか入らなかったでアリマス」
「……吐き出したのか」
とはいえ、透也のためにこの小さな体で穫ってきてくれたのだ。嬉しくないはずがない。
青く熟れた実を口に放り込む。すると強烈な酸味と渋みが脳天まで突き抜けて、一気に目が覚めた。
よく寝て頭がスッキリしたのもある。透也に状況を洞察する余裕が生まれた。
「なあリュウ」
彼が呼び掛けると、小さな相棒は顔を持ち上げた。
「どうしたでアリマスか?」
「博士……警察に殺されたのかな」
工房のこの惨状、そして、書斎の血痕。あれが博士のものだとして、あの量の出血では、とても無事だとは思えない。昨日やって来た警官が、逮捕できなかった腹いせに研究所を壊し、止めに入った博士を殺した、というのが、一番可能性が高い気がする。
それを聞いたリュウは小首を傾げた。
「それにしては、導線が不自然でアリマス。工房をこんなに破壊しておいて、書斎は無傷でアリマス。それなのに、血痕は書斎にあったでアリマス」
確かにその通りだ。透也は顎に手を当てた。
「じゃあ、壊すのが目的じゃなくて、何かを探していたとしたら?」
そう考えると、思い当たるものがある。透也は立ち上がり、戸棚が置かれていた床にある隠し扉を開いた。床下収納のような場所で、盗んだ金塊を隠しておいたのだ。
覗き込んでみると、そこは空になっていた。
「あいつら、これが目的だったのか……」
「金塊が目的だとすると、犯人は警官でない可能性も出てくるでアリマス」
眉間に皺を寄せ考える。
何者かが金塊を目的に侵入し、探す途中で工房を破壊した挙句、博士を殺害した。
となると、犯人は博士が怪盗十九号であるのを知っている人物、ということになる。
警察の他に、博士を疑うような人物は存在しただろうか?
透也は首を横に振った。
「やっぱり、警察しか考えられない。あいつら、怪盗逮捕の手柄とお宝を、根こそぎ持っていきやがったんだ」
被疑者死亡で書類送検とし、好き勝手やるつもりなんだろう。
「なら、警察無線で情報が得られるかもしれないでアリマス」
部屋の隅でひっくり返っていた無線機は、幸いにも壊れていなかった。スイッチを入れ、ダイヤルを回すと、聞き覚えのある声が流れた。
ところが彼らの会話に、怪盗十九号の話題が一切出てこないのだ。死んだことが分かっているのなら、雑談の端にでも出てきておかしくはないはずだが……。
「どういうことだ?」
透也はダイヤルを調節し、ラジオ局に合わせる。だがニュースの時間になっても、怪盗十九号死亡という言葉はなかった。
椅子に背を預け腕を組む。
「やはり、ここを滅茶苦茶にしたのは、警察ではないのではアリマせんか?」
無線機の上からリュウが言った。
「いや……もしくは、博士は生きている」
「生きているでアリマスか?」
「逮捕したけれど、それを発表すると世間が大騒ぎになる。だから隠してる」
金塊を奪った証拠隠滅も必要だろうし、発表する時期を見計らっているとも考えられる。
「なら、あの血は?」
「怪我をしているんだ、きっと」
そう考えると、じっとしてはいられない。
「助けなきゃ」
立ち上がりかけた透也を、リュウが宥める。
「落ち着くでアリマス。状況がはっきりしないうちに動くのは愚策でアリマス」
「なら、どうすりゃいんだよ?」
「確かめるでアリマス――博士が逮捕されたのかを」
「どうやって?」
☩◆◆──⋯──◆◆☩
リュウの考えた案は単純だった。
翌日、透也は新品の服を着て、メガロポリスを歩いていた。スラムの住人も魔能使いも同じ人間だ。小綺麗な身なりをすれば見分けはつかない。
昼間の大通りは、夜の狂騒とはうって変わり、ビジネス街の顔をしていた。手近な衣料品店で拝借したスーツに着替えネクタイを締めれば、少々頼りない新人営業マンといった姿になる。
その足で省庁のビルに入り、観葉植物の鉢の影にカードを投げた。
――怪盗十九号 参上――
そのうち、掃除係が見つけるだろう。その後、警察はどんな反応を見せるのか。
一箇所だけでは心許ないと、その都度着替えては、銀行、ショッピングモール、公園のベンチなど、何ヶ所かにカードを置いて、透也は研究所に戻った。
その夜。
反応を確かめるため、透也は警察無線に聞き耳を立てる。
「怪盗十九号が出たそうじゃないか」
「でも、カードが置かれていただけで、何も盗まれてないんでしょ?」
「上層部は悪戯だと発表したらしい」
「どうして悪戯だと分かるの?」
「これは公安の知り合いからの極秘情報だが……」
その後の言葉に、透也は耳を疑った。
「――怪盗十九号が、自首した……!?」
絶句したまま数分が流れた。
警察無線の内容が、他の事件への招集に切り替わったところで、ようやく透也は顔を上げた。
「一体どういうことだよ……」
リュウも、本人なりに難しい顔をしているつもりだろう、口を尖らせてテーブルの木目を睨んでいる。
「説明がつかないでアリマス。自首したのなら、この滅茶苦茶な有様は一体何なのでアリマスか」
「それに、あの血痕は誰のものなんだ……」
しばらく考えた末、透也が導き出した答えは、
「警察は何かを隠している」
というものだった。
「公安の極秘情報というのも嘘だ。警察が博士を殺したのを隠すために、嘘で情報操作をしてるんだ」
「何でもアリの警察でアリマスから、可能性はないとは言えないでアリマス」
透也はじっと考え込んだ。そして呟いた。
「本当に博士が自首したのかどうか、確かめに行こう」
「警察に侵入するでアリマスか!?」
「それしかないだろ」
「しかし、もしバレたら、透也も捕まるでアリマスよ! そうなったら、博士との約束は……」
私はおまえに、人類の未来を託す――
その言葉を裏切ることになると、リュウは言いたいのだろう。
しかし、透也はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「怪盗とは、捕まらないから怪盗なんだよ」




