85話 血痕
怪盗十九号の活躍は、スラムにも届くようになっていた。
博士が作った、自転車発電装置で映るテレビが市場に置かれ、メガロポリスからの電波を受信する。人々はその前に集まって、怪盗十九号のニュースが流れる度に歓喜するのだ。
「今朝は何を盗んだって?」
「悪い政治家が貯め込んでた金塊だとよ」
「さすが義賊だねぇ、清々するよ」
「おい、俺もテレビが見たいんだよ。誰か自転車を漕ぐのを代わってくれ!」
そんな人々の後ろ姿を、透也は静かに見守っていた。
そしてニュースが切り替わるのを見届けて、彼は近くの商店に入った。
「おばちゃん、パンふたつと、サルナシのジャムある?」
「ちょうど昨日煮たんだよ。ちょっと待ってな」
少年と呼ぶには少々大人びた年齢になった彼に、罵声を浴びせる者はもういない。幼い彼が心を失うまで殴られた記憶も、もうこの街にはない。
瓦礫の山は既になく、バラックはそれなりの見栄えがする建物に入れ替わった。惨劇を知らない子供たちの歓声が通りを駆け抜ける。幼年学校に向かうのだろう。
学校にはほんの数日通ったきりで、透也の記憶にほとんど残っていない。東京掃討戦がなければ、全く別の人生があったのだろう……そうは思うけれど、今の人生も悪くないと思っている。
むしろ、最高の人生だ。
街の人たちは、彼らの正体を知らない。ヒーローとは、自ら名乗らないものだから。
妖怪博士は相変わらずオンボロ研究所で、何の役に立つのか分からない研究をしているし、透也はそんな彼が栄養失調で倒れないよう、食事の買い出しをする。
「お待たせ。昨日の売れ残りのパン、おまけしとくよ」
「ありがとう、助かるよ」
紙袋を受け取り歩き出そうとすると、パン屋の女将は彼を呼び留めた。
「どうしたんだい、その足?」
松葉杖に凭れ掛かる透也を、心配してくれているようだ。
「あぁ……ちょっと、転んじゃって」
愛想笑いを返すと、女将は「あらあら」と目を細めた。
「気を付けなよ、妖怪博士、アンタがいないと飢え死にしちまうから」
「うん……ありがとう」
――まさか、昨晩、メガロポリスで警官隊に撃たれたなんて言えない。
義賊としての名声が高まるほどに、追求の手が厳しくなってきたのだ。包囲され一斉射撃を受けて、これだけの傷で済んだのは奇跡だろう。
そして名声が上がるほど、他にも困った事態が起きていた。
本当に欲しいものだけを狙う訳にはいかなくなったのだ。
博士が欲しいのはコンピュータの部品だが、そればかりを盗んでいれば、いつかは博士に辿り着いてしまう。だから昨夜のように、普通の怪盗が狙いそうな貴金属なんかも狙うようにした。もちろん、そんなものは博士の研究の役に立たないから、頃合を見て別のものに加工し、困っている人に配るつもりだ。
松葉杖で通りを歩く。しかし、昨日の今日で、怪我の痛みが治まるはずもない。少しすると冷や汗が出てきて、透也は立ち止まった。
「……ちょっと休みたいな」
すると、シャツのポケットからリュウが顔を出した。
「そこの食堂がいいでアリマス」
「あそこ、安いけどマズいんだよな。それに、おやじが無愛想でさ」
「だからいいのでアリマス。パン屋の女将のように親切だと、怪我を見抜かれかねないでアリマス」
リュウの言う通り、他の手はなさそうだと、透也は粗末なガラス戸を入った。
閑古鳥の鳴く店内の、窓際の席に身を預ける。
「コロッケ定食ひとつと、持ち帰りでコロッケをふたつ、包んでくれる?」
厨房から返事はない。けれど、店主が動きだしたから、聞こえてはいるのだろう。
テーブルに置かれた水差しから勝手にグラスに水を注ぐ。それを一気に空けて、透也はふうと一息吐いた。
調理を待つ間、見るともなしに窓の外を眺める。
この十年足らずでスラム街は驚くほどに変わった。街頭テレビをはじめ、博士の発明品が人々に受け入れられるようになったのだ……透也が一緒に作業しながら、一般受けする仕様に導いている、というのもある。
メガロポリスに対して、良い感情を持っていないのは仕方がないけれど、以前のようにゲリラ活動を行わずに自立して生活しているから、無暗に迫害的な干渉を受けることも少なくなった。
生活に余裕ができると、心も豊かになる。通りを行く人々の表情も明るい。
するとそのうちに、市場の奥が騒がしくなってきた。先程透也が行った、街頭テレビのある辺りのようだ。
窓を開け、覗き込んでみる。すると、メガロポリスの警官隊がこちらに歩いてくるのが見えた。
透也は慌てて顔を引っ込め、店内を向いてテーブルに肘をつく。その後ろを、警官隊の足音が通り過ぎていった。
「…………」
再び窓を細く開け、彼らの行く方向を眺める。市場を抜けた先は、病院と、博士の研究所のある丘くらいしかない。
――嫌な予感がする。
人々が警官隊に投げ付ける言葉が聞こえた。
「何も、テレビを壊すことはないだろ!」
「エネルギー資源規制法だあ? クソ喰らえ!」
すると、リュウがポケットから飛び出した。
「透也、これはマズいでアリマス」
「どういう訳だ?」
「あいつら、博士を捕まえに来たでアリマス」
「何だと!?」
「テレビでアリマス。エネルギー資源規制法で、魔素以外のエネルギー源を利用した電化製品は禁止されているでアリマス。自転車発電装置は法律違反してるでアリマス」
「そんなバカな! 言いがかりにも程があるだろ」
透也は憤慨した。エネルギー資源規制法とは、環境破壊を引き起こす燃料を規制する法律のはずだ。自転車を漕ぐことに、環境破壊を誘因する何があるというのか。すると、リュウは脳波に切り替え彼に語り掛けた。
「まさしく言いがかりでアリマス――博士が怪盗十九号である証拠が掴めないから、別件逮捕する気でアリマス」
透也は立ち上がった。
「おやじ、悪ぃ、後でまた来る」
「金だけ置いて行け」
ポケットから小銭を出すのももどかしく、テーブルに叩き付けると、透也は店を飛び出した。
足を引き摺りながら研究所に戻る。
すると既に、問答は始まっていた。
「あのテレビを作ったのはおまえだな?」
研究所の戸口で、妖怪博士は眠そうな目を警官に向けている。
「確かに」
「罪を認めたな。よし、蛭田由紀夫、貴様をエネルギー資源規制法違反で逮捕する」
「待て!」
上がった息を吐き出すように、透也は叫んだ。警官隊が一斉に彼を振り返る。
「何だ、貴様は?」
「蛭田博士の弟子だ……おまえ、エネルギー資源規制法を読んだことがあるのか?」
博士に詰め寄っていた、隊長らしい警官が前に出る。
「小僧が何をほざく?」
「エネルギー資源規制法は、商用製品を制限するものであって、利益を得ることを目的としない製造については、その限りではない……となってる」
当然、リュウの入れ知恵だ。しかし警官は痛いところを突かれたようで、眉間に深く皺を寄せて睨んでいる。
何度か深呼吸を繰り返してから、透也は続けた。
「あの街頭テレビは、博士が無料で設置したものだ。もちろん、視聴料も取っていない。商用製品には当てはまらない」
「…………」
「魔素以外のエネルギー源を全て規制するんなら、パンを喰ってウンコを作る活動も規制しなきゃならないだろ。おまえも逮捕されるのか?」
警官はしばらく、苦虫を噛み潰したような顔で透也を睨み下ろしていた。そして、ふと呟いた。
「おまえ、その足はどうした?」
透也の背筋が凍り付く。動揺を悟られないよう、透也は視線を外さず答えた。
「転んでね、足首を捻挫した」
「そうか」
警官はそう言って、彼の横を通り過ぎざま、太腿に膝蹴りを打ち込んだ。
「――――!!」
昨日の傷を直撃され目が眩む。だが、倒れたら全てが終わるのは理解していた。
歯を食いしばって耐える。松葉杖を支えに何とか持ちこたえると、警官は意地悪く笑った。
「悪いな、石に躓いた」
彼はそう言って、部下を引き連れ去って行った。
☩◆◆──⋯──◆◆☩
その後、テーブルを挟んで、コーヒー片手に博士と向き合う。
痛む脚を押さえながら、だが透也が気になるのは傷の具合ではなかった。
「……あいつら、俺たちの正体に勘づいてるだろう」
重々しく目を伏せる透也に対し、博士はいつも通り、眠そうな顔をしていた。
「そうかもしれないな」
「どうするんだよ……このまま捕まるのを待つのかよ」
博士はコーヒーに口を付け、さも当然のように答えた。
「その覚悟がなくて、怪盗などやらないさ」
「博士……」
「気にするな。怪盗十九号は一人だ。おまえは関係ない」
そこで透也は気付いた……博士のズボンに、血が滲んでいる。
万一の場合を想定して、透也の傷と同じ場所を自ら撃ったのだろう。
透也は首を横に振った。
「駄目だよ、そんなの駄目だよ……博士が捕まるんなら、俺も一緒だ。俺だって、怪盗十八号なんだよ。置いてくなよ、俺だけ、置いていかないで……」
しかし、博士はまるで駄々っ子を窘めるように、ピシャリと言い放った。
「おまえはここに残るんだ――科学の英智を引き継ぐ者として」
「…………」
「一度途切れた技術は、再現に途方もない労力が必要となる。科学を途切れさせてはならない。私はおまえに、人類の未来を託す――透也」
☩◆◆──⋯──◆◆☩
「無理だよ、俺なんかが人類の未来を背負うなんて」
その夜、ベッドに丸まり透也は呟く。するとリュウが、ピョコンと鼻先にやって来た。
「そうでアリマスか?」
「俺はなんの取り柄もない人間だ。勉強のやり方も知らないし、才能ないし、すぐ調子に乗るし、失敗するし……」
「透也……」
「俺はヒーローなんかになれない。人を助けたり、希望を与えたりなんて、とてもできないよ。だって俺は……」
死神だから。その言葉を、透也は飲み込んだ。
リュウは小首を傾げて透也を見上げた。
「透也がテレビに映った時、みんな喜んでいたでアリマス」
「あれは俺じゃない。怪盗十九号だ」
「その通りでアリマス。でも、博士に、あれだけの人を熱狂させることができたでアリマしょうか?」
「…………」
「透也が、大勢の人の心を掴んだでアリマス。それが透也の才能でなければ、何でアリマスか?」
☩◆◆──⋯──◆◆☩
眠れぬ夜を過ごした翌朝。
隣室でコーヒー片手に論文を眺める博士に、声を掛けるのが気まずくて、透也は研究所を出た。昨日、コロッケを注文したままになっていたのを思い出したのもある。
この時に出かけたのを、この先一生、後悔することになるとも知らずに。
まだ松葉杖が手放せない足で市場に向かい、嫌味を言われながらコロッケが揚がるのを待つ。朝食がてらに定食を食べ、揚げたてを包んでもらって帰途に着く。
――そして、研究所の扉を開いた途端、透也はコロッケの包みを取り落とした。
彼の目に飛び込んだのは、まるで竜巻が通り過ぎたような工房の惨状だった。
テーブルが倒れ、傍らで博士のコーヒーカップが粉々になっていた。それだけではない。博士が研究に使っていた機械も、まるで吹き飛ばされたように潰れている。何もかもがめちゃくちゃで、たった一時間前に、そこに何があったのかも分からないほどだった。
長い時間、それを呆然と眺めてから、透也はゴクンと唾を呑んだ。
そして、乾涸びた声を絞り出す。
「…………博士」
返事はない。いつもは騒がしい虫の声すら凍り付いたように、何の音もしなかった。
一歩踏み出すまでに、全身の気力を絞り出さなければならなかった。
震える足をひび割れたコンクリートに置く。ジャリッと響く足音が、ようやく透也にやるべきことを指し示した。
「博士……博士……」
と呼びながら、テーブルの影、機械の裏、倒れた棚の下などをくまなく見て回る。もしかしたら、実験に失敗したのかもしれない。それが恥ずかしくて出て来られないのかもしれない。透也が見付ければ、気まずそうな顔をして、のっそりと起き上がるかもしれない……栄養失調で倒れた時みたいに。
しかしいくら探しても、博士の姿どころか、靴の片方すらも見当たらない。
ならば研究室はどうだと、棚を乗り越えて扉を開く。
こちらは、扉が閉めてあっただけ幾分かマシだった。ベッドやコンピュータも無事で、隙間風が直撃したと思われる薬瓶が幾つか床で砕けているだけだった。
そこを通り過ぎ、奥の書斎に向かう。
本棚の本も、その隙間に置かれた机もそのままで、変わった様子はなかった。
――いや。
博士の机。研究資料を探したり、本を読んだりする時に、博士はよくここに座っていた。透也もそこを借りて、怪人二十面相に熱中したものだ。
そんな思い出深い机に、かつてなかったものがあった。
――血痕。
まるで動脈を切ったような大量の血飛沫が、そこに残されていた。




