82話 リュウ
「科学の基礎知識をインプットし、高性能のAIを搭載した。これから分からないことがあれば、こいつに聞くといい」
妖怪博士はそう言って、小さな頭を指先で撫でた。このヤモリ型ロボットは、透也専属のアシスタントという訳だ。論文の執筆を中断されるのが煩わしいから、子守り用に作ったのだろう。
しかし、気にすべきはそこではない。
「ヤモリ型ロボット……高性能AI……」
怪盗十九号が盗んだものと合致する。
まさか……!
しかし、博士はすぐに研究に戻ってしまったし、ヤモリが「初期設定をしてください」とうるさいから、それ以上聞けなかった。
……慌てて初期設定をしたから、変な喋り方で登録してしまった。
透也はヤモリを「リュウ」と名付けた。本当はヤモリじゃなくて、ドラゴンみたいにカッコいいのが良かったな……という思いから。
リュウはいつも透也についてくる。小さな体をくねらせてシャツをよじ登り、肩にピョンと乗っかるのだ。
「質問はないでアリマスか?」
「おまえの喋り方、変更できないの?」
「変更するには、初期化が必要でアリマス」
「初期化すると、どうなるんだ?」
「ワガハイにインプットされたデータが全て消えるでアリマス」
「……やめとくよ」
リュウは優秀だった。透也の機械いじりを適切にサポートしてくれる。ちょっと口うるさいこと以外、完璧な相棒だ。
しかも、エネルギー源は金平糖。パクンと丸呑みする様子を見ていると、ペットみたいに愛着が湧いてくる。
眠る時も一緒。透也がベッドに入ると、リュウは枕元で丸くなるのだ。
でもやはり、心のどこかで気になっている――こいつは一体、どこから来たのか。
リュウと過ごしだして一週間ほどした頃。
ベッドに横になってから、枕元のリュウに小声で訊ねた。
「なぁ、おまえ、北通りのおもちゃ屋から盗まれたのか?」
するとリュウは小首を傾げた。
「ワガハイの本体はAIでアリマスから、おもちゃ屋から盗まれてはいないでアリマス」
「じゃあ、大通りのコンピュータ専門店?」
「ワガハイの電源が入ったのは、この研究所でアリマスから、それより前のことは知らないでアリマス」
少し迷った後、透也は警察無線を傍受した時の話をした。
「――博士が怪盗十九号である可能性は、どのくらいだと思う?」
リュウは答えた。
「不確定要素が多いでアリマス。現状、50パーセントと答えるしかないでアリマス」
「なら、さ……」
透也はリュウに顔を近付ける。
「俺たちで確かめてみないか?」
「確かめてどうするでアリマスか?」
「うーん……」
そこまで考えていなかった。脳内で、妖怪博士の姿と、怪盗十九号のイメージを重ねてみる。すると透也の中に、明確な感情が湧き出した。
「カッコいい」
「カッコいいでアリマスか?」
「怪盗だぜ? 憧れるだろ。その正体が博士だとしたら、最高じゃないか」
するとリュウは目をぱちくりさせた。
「怪盗は泥棒でアリマス。犯罪者でアリマス。犯罪はダメでアリマス」
「なら……」
その夜、透也はリュウに『怪人二十面相』シリーズを全部読ませた。
すると翌朝、リュウはうわずった声で言った。
「怪盗はカッコいいでアリマス」
「だろ?」
「ただの犯罪者ではないでアリマス。神出鬼没、頭脳明晰でキザな紳士……憧れるでアリマスなぁ」
「それが博士だったら?」
「最高でアリマス。ワガハイたちのヒーローでアリマス」
「なら、決まりだな」
その日、透也は密かにリュウと計画を練った。
「怪盗十九号が仕事をするのは深夜だ。警察無線では、二十三時から特別警戒をすると言ってた」
「その時間に博士が出かけるかを、ワガハイが見張ればいいでアリマスね」
「そうだ。でも、ただ出かけただけじゃ証拠にならない。リュウの合図と同時に、俺は警察無線を傍受する。それで怪盗の動きが分かるはずだ」
「そして、帰ってきたところを待ち構えると」
透也はコクリと頷く。
「怪盗は必ずパン屋に行く。だから、俺は今日、ここにあるパンを全部食べ切っておく――勝負は今晩だ」
☩◆◆──⋯──◆◆☩
その夜。
「おやすみ」
と博士に告げて、研究室のベッドに潜り込む。時計と無線機は、あらかじめ布団の中に隠しておいた。あとは時間を待つだけだ。
覗かれても怪しまれないよう、透也は目を閉じ眠ったフリをした……つもりが、つい寝入ってしまったらしい。
「透也、博士が出掛けたでアリマスよ」
と、リュウに頬をペチペチ叩かれて、慌てて無線機の電源を入れた。ダイヤルを合わせると、警察無線が聞こえてくる。
「あれから一週間、怪盗十九号は出ていないな」
「食いしん坊の彼なら、そろそろ次のパンが欲しくなる頃じゃないの」
「さて、どうだかな……」
何とも緊張感のない会話だ。
それもそのはず。昼間、リュウの力を借りて『怪盗十九号』について調べたところ、「絶対に人を傷付けない」「貧乏人からは盗まない」という情報を得られた。
――まるで義賊じゃないか。
透也は嬉しくなった。
しかし間もなく、無線の声のトーンが変わった。
「――西通り三丁目の銃器店付近で、怪盗十九号と思われる人物の目撃情報」
間髪入れずにサイレンが鳴りだす。一気に高まった緊張感に、透也は背筋を伸ばした。
そんな彼の横で、
「博士、大丈夫でアリマスかね」
と、リュウが心配そうに言った。
そこでようやく、透也は気付いた――怪盗十九号が博士だった場合、ここで捕まってしまったら、二度と博士に会えなくなる。
心を躍らせていた気持ちは一気に硬直した。代わりにドキドキと拍動が強まって、変な汗が手を濡らしてくる。
震える指をぎこちなく動かして音量を上げる。呼吸を止めて、無線からの声に集中する。
「西通りのビルの屋上を北へ向かい移動中」
「あの通りは銀行で行き止まりになる。銀行に捜査員を集めろ」
「全捜査員に告ぐ。西通りの銀行で怪盗を捕縛する。至急、銀行に向かえ」
隙間風が、メガロポリスで鳴り響くサイレンを透也に届けた。これは小説ではなく、現実で起きていることなんだと、背筋がゾクッと冷たくなる。
しかし、すぐに起こった無線の叫び声が、彼を小説の世界に導いた。
「あっ……! 飛びました! 怪盗が飛びました!」
「何、どういうことだ?」
「分かりません。通りを挟んだ向かいのビルに、滑るように移動していきます!」
「魔能か?」
「魔能センサーに反応はありません」
「念の為、魔能特殊部隊を呼び寄せろ」
「消えました! 怪盗が消えました!」
「映像を送れ!」
「本当だ……画像加工みたいに消えてる……」
「全捜査員に告ぐ! 怪盗を見失った! 非常線を張れ!!」
さすが怪盗、一筋縄でいかないようだ……と思った途端、呼吸を忘れていたのを思い出し、透也は大きく息を吐いた。全身をぐっしょりと冷汗が濡らしているのにも、ようやくその時気が付いた。
一方、リュウは澄ましている。
「ワイヤーガンと光学迷彩マントでアリマスね。魔能に頼っている連中は、科学の道具を知らないでアリマス」
すると、透也の中にワクワクが戻ってくる。
「怪盗十九号……今晩は何を盗むのかな」
けれど、無線の声は混乱するばかりで、その後、怪盗を見付けることすらできなかった。
そうなると焦ってくる。
「博士、もう戻って来てるとかないよな?」
透也はベッドを降り、そっと隣の部屋を覗く。けれどそこは真っ暗で、人の気配はなかった。
「どこから帰ってくるんだろう、博士」
「ならば、ワガハイにレーダー照射装置を付けるでアリマス」
透也は目を丸くした。
「どうやって?」
「ワガハイの言う通りにするでアリマス」
部品を博士の工具箱から拝借し、リュウの言葉通りにヤモリの腹に挿入する。そしてシステムをインプットするまで、ものの十五分。
すると、リュウの目が光りだした。
「レーダー照射中……丘の上に生体反応がアリマス」
夜の森を駆ける。つい先日、真っ黒な人影を見たのを思い出したが、今日はリュウが一緒だから怖くない。
木の根の階段を駆け上がり、森が拓けた場所に飛び込む。
すると、そこに置かれたドラム缶の横に、真っ黒な人影があった。
けれど、それはお化けではなかった。義眼を調整してよく見ると、黒いフルフェイスのヘルメットに、ピッタリとしたボディスーツを身に着けているのが分かった。
人影は、ヘルメットに手を掛け外そうとしているところだったが、駆け込んできた透也を見て手を止めた。
静かな時間が流れる。草むらで鳴く虫の声が、遠くに聞こえるサイレンを掻き消していた。
何とか呼吸を落ち着け、透也は言った。
「――博士、なの?」
黒い人影はじっと透也を見ていた。やがて彼は、ゆっくりと手を動かす。そして、外したヘルメットを地面に転がした。
妖怪博士は無表情に透也に目を向けた。そして、バックパックから紙袋を取り出し、透也に差し出した。
「ほら、明日のパンだ」
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【怪盗十九号】
正体・蛭田博士
獲物・コンピュータ部品、パン
道具・ワイヤーガン、光学迷彩マント
特技・追跡を撒くこと
弱点・戦闘行為
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