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東京ファントムウォーズ  作者: 山岸マロニィ
<捌>──妖怪博士
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81話 怪盗十九号

 それから、書斎に積み重ねられた本を片っ端から読むのが、透也の日課になった。

 研究室の奥。天井にまで届く本棚と、その隙間に押し込まれるように置かれた粗末な机がある、博士が論文を書くためのスペース……だったらしい場所。書斎らしい。

 今は、机にも本が山になっていて、ノートを置ける余地はない。

 透也はそこの椅子に腰を下ろし、目についた本のページをめくっていく。


 そのどれもが古い本ばかりだ。科学が衰退してから百年以上になるから当たり前だが、それらの本が彼に与える知識は、彼にとって新鮮なものばかりだった。


「空気って重さがあるんだね」

「光にも速さがあるのかぁ」

「時間の流れは一定じゃないなんて、考えた人凄いね」

 本から得た知識――と言っても、言葉が難しいから大雑把に解釈したものばかりだが、幼い子供の常として、身近な大人に披露したくなるものだ。

 博士は当然知っているから、反応は芳しくない。でも、間違ったことを言えば訂正してくれるから、聞いてはいるのだと思う。


 昼間は博士の作業を観察して、本で得た知識が実際に役立つことに感動する。そして夜は、未だ見ぬ知識を求めて本を開く。

 書斎の本棚にあるのは科学の本ばかりではなかった。医学や哲学、社会学に、ミステリー小説もあった。

 その中でも、透也は「怪人二十面相」が気に入っていた。あっと驚く仕掛けで探偵を欺く、神出鬼没の怪盗――何度も読むうちに、彼に憧れのようなものを抱いた。


 その夜も、彼は研究室のベッドに寝そべって本をめくっていたのだが、そのうち眠りに落ちたらしい。ふと気付くと、真っ暗な深夜だった。

 喉の乾きを覚え、水を飲もうと隣室のキッチンに向かう。


 透也は、妖怪博士が眠っているところを見たことがなかった。夜中まで研究をしている上に、朝も早い。いつ寝ているのか、そもそも、ベッドがひとつしかないこの研究所のどこで寝ているのか……と不思議に思うが、聞いたところでまともな答えは返ってこないだろうから、あまり考えないようにしていた。


 だからこの時も、キッチンと工房を兼ねたこちらの部屋で論文でも書いているのだろうと思ったのだが、明かりは灯っていなかった。

「…………」

 目を擦りながら部屋に入る。右目の義眼が暗視モードに切り替わり、汚れた窓越しに射し込む月明かりでも充分に室内の様子が見て取れた。


 けれどもそこに、妖怪博士の姿はなかった。


「…………?」

 こんな夜中にどこに行ったのだろう? と、透也は不安になった。暗闇に包まれたあばら家に一人置かれるのは、幼い子供にとって耐え難い恐怖だ。

「博士……どこにいるの……?」

 と、透也は涙目になりながらあちこちを探す。すると、昼間は意識すらしていなかった人体模型やら動物の標本やらが目に飛び込んでくるから、彼はパニックになった。

 大声で泣き叫びながら研究所を飛び出す。すると、黒々と生い茂る木々がざわざわと囁きながら、透也に覆い被さってくる感覚に襲われる。

「博士! 博士!」

 必死で森の中を駆け回る。揺れる月明かりは、蔓にぶら下がるサルナシや、木の葉の隙間で色付く山ブドウさえも、妖気に満ちたこの世ならざるものに見せてくる。


 声が枯れるまで泣いて、疲れ果てた足元がおぼつなかくなった頃、それは唐突にやって来た。

 丘の上に向かう木の根の階段を這うように上っていると、木の葉の隙間から正面に見えていた月が隠れたのだ。何かが遮ったのだろう。

 透也は顔を上げ、それに目を向けたのだが……。


 月を背景に立つ、顔も体も、何もかもが真っ黒な人影を見て、彼は絶叫し、意識を失った。



 ☩◆◆──⋯──◆◆☩



 翌朝。

 目が覚めると、コーヒーの香りが隣の部屋から漂ってきた。

 体が重い。酷く疲れている感じがする。それで昨夜の出来事を思い出し、透也は工房へ駆け込んだ。


 そこではいつものように、博士がコーヒーカップを片手に論文を書いていた。


 こみ上げる涙を誤魔化すように、透也は博士の白衣に飛び付いた。

「どこに行ってたんだよ! 黙って居なくならないでよ!」

 抑えていた言葉が溢れ出す。昨夜の恐怖体験を次々とまくし立て、ぐっしょりと濡れた白衣の主を見上げた。

 しかし博士は、怪訝な顔をしただけだった。

「昨夜はずっとここで論文を書いていた。夢でも見たんじゃないのか?」


 そう言われれば、反論できない。

 首を傾げながらも、透也はテーブルに置かれたパンに手を伸ばした。

 そしてふと疑問に思った――昨日とは違うパンだ。

 このパンを、博士はどこから手に入れているのだろう?


 不思議に思いながらも、透也はパンをちぎって口に入れる。そして、博士が紙に向かっている様子を何とはなしに眺めていたのだが……。

 昨日はなかった包帯が、博士の右手首に巻かれているではないか。

「どうしたの? その怪我」

 透也が訊くと、博士は「あぁ」と答えた。

「腱鞘炎だ。近頃、論文ばかり書いているからな」


 ――嘘だと、透也は見抜いた。

 だって、腱鞘炎で、包帯に血が滲むことなんてないじゃないか。


 気にはなるものの、それ以上追求したところで、はぐらかされるに決まっている。透也は「ふうん……」と返事をした。


 その日、透也は本で得た知識を実践することにした。無線機を作るのだ。

 電波を送受信する通信装置。三百年も昔に発明された機械は、単純そうに見えて、初心者の透也が作るには骨の折れるものだった。渋いをする博士に何度かアドバイスをもらって、ようやく完成した時には、すっかり日が暮れていた。


 一日中論文を書いていた博士は、

「流石に目が霞んできた。ちょっと寝る」

 と、普段透也が使っているベッドに向かった。「はーい」と上の空で返事をし、透也は無線機のスイッチを入れる。すると、ザーという音がしたから、それだけで興奮した。慎重にダイヤルを動かして周波数を合わせる。すると、音声らしきものが聞こえてきた。透也はゴクリと息を呑み、耳を澄ませた。


「……こちら、メガロポリス中央警察。特別警戒開始の二十三時まで、残り十分」


 どうやら、自治区の外、メガロポリスの警察無線を傍受したようだ。これは面白いと、透也は音量を上げて聞き耳を立てた。


「昨夜出没した怪盗十九号は、メガロポリス大通りにあるコンピュータ専門店から、高性能AI、CPU他、コンピュータ部品三億円相当を盗んだ。その三日前は、北通りの玩具店から、二千五百円のヤモリ型ロボットを窃盗している」

「何でそんなものを盗んだのかしら?」


 どうやら、『怪盗十九号』という泥棒が、メガロポリスを騒がせているようだ。透也は怪人二十面相を想起し、心を弾ませた。

 無線の会話は続いている。


「それだけじゃない。奴は出没する度に、パン屋でパンを盗んでいる」

「貧乏人かよ……」

「油断するなよ。奴は例のプラントから、魔素をゴッソリ盗んでいるからな」

「産業に影響が出そうだとニュースになっていたわね」

「無駄話はそこまでだ。怪盗十九号の容姿は把握しているな?」

「あぁ。身長165cm前後、瘦せ型の男。フルフェイスのヘルメットに黒のボディスーツを装着している」

「昨夜、右腕を警官に撃たれた。掠り傷のようだがな」

「その際に奴が残した血痕から判明した血液型とDNAタイプは……」


 途中から、透也の耳に話は入ってこなかった。

「……165cmくらいの痩せ型……右腕の傷……」

 全て、博士の特徴に合致する。

 そして、今朝のパン……ふわふわでとても美味しかった。


 けれど……と、透也はだが首を横に振った。栄養失調で倒れるほど貧弱な妖怪博士に、怪盗なんてタフなことができるものか。


 それでも気になって、透也は隣の部屋をそっと覗いた。余程疲れていたのか、博士はベッドで熟睡している。

「…………」

 声を掛けるのも憚られて、透也はそっと扉を閉めた。



 ☩◆◆──⋯──◆◆☩



 その夜は、無線を聞いているうちに、机に突っ伏して眠ってしまったらしい。

「出来た」

 という博士の声で、透也は目を覚ました。いつものようにコーヒーの香りが漂うテーブルに、寝ぼけ眼を向ける。


 するとそこに、ヤモリがいた。

 緑色にオレンジの模様の入った可愛いやつ。

 それ(・・)は、青く縁取られた目をクリッとさせて、透也を見上げた。そして、小さな口をパキパクさせて言葉を発したのだ。

「ハジメマシテ――透也」

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