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東京ファントムウォーズ  作者: 山岸マロニィ
<捌>──妖怪博士
82/97

80話 妖怪と死神

 空腹のまま迎えた朝。

 研究室の片隅のベッドで目を覚ますと、隣の部屋からコーヒーの香りが漂ってきた。

 透也は身を起こし、全身の痛みに顔を歪めた。体じゅうの痣を眺めても、昨日の自分が他人のように思える。


 何とか体を動かして隣の部屋へ行く。そこで妖怪博士は、コーヒー片手にノートに向き合っていた。

 そのテーブルには、乱雑に切られたパン。

「どうしたの、このパン?」

 透也は驚いた。スラムには夜開いている店などないし、この研究所にパンの材料があるとも思えなかった。それ以上に、妖怪博士がパン粉を練っている姿を想像できない。

 博士は軽く顔を上げ、パンに手を伸ばした。

「科学は万能なんだよ」


 とても信じられる話ではないが、空腹には勝てない。透也は博士の向かいに座り、パンに齧り付いた。

 そのパンは、これまで食べたどのパンよりも美味しかった。


 パンを二切れほど腹に入れたところで、透也は博士が何をしているのかが気になった。

 手作りと思われる不格好な鉛筆で、ページに細かく記号を記している。

「何を書いてるの?」

「プラズマを圧縮した限界値の計算」

 やはり、さっぱり分からない。


 ようやく人心地ついて、透也は周囲を見渡した。よく分からない機械の隙間に、わずかに生活感のある部屋。ここが妖怪博士の研究所だというのは理解しているが、一体何を研究しているのだろうか?

「荷電粒子を効率よく利用する方法、とでも言うのかな」

 透也の問い掛けに、博士はそう答えた。

「そのカデン……何とかって、何の役に立つの?」

「さあな」

 面倒臭そうな返答を聞いて、透也は首を傾げた。

「何の役に立つのか分からないものを研究するの?」

「科学とはそういうものだ。今は使い道が分からなくても、遠い将来、何かの役に立つかもしれない。言っただろ? 科学とは英知の蓄積だ。積み上げることが重要で、役立たせるのは二の次でいい」


 そんなものなのか……と思いながら、博士の手元をよく見ようと目を細める。すると、右目の義眼がグリッと動いて、透也は「うわっ!」と声を上げた。

「な、なんだ? 急によく見えるようになった」

「ズーム機能だ」

 博士は事もなげに答えた。

「義眼の機能だよ。人間の目には、様々な機能があらかじめ付いている。それを人工的に再現しようとしても、人間のように滑らかに切り替えるのは至難の業だ。だからモードで変換するようにした。そのついでに、それぞれのモードの機能は人間では不可能な値にしておいた」

「な、何のために?」

 博士は鉛筆を止め、顔を上げた。

「人間の機能の再現をするだけじゃ、科学として面白くないから」

「そうじゃなくて……」

 透也はもどかしいような気持ちで身を乗り出す。


「どうしてこんな俺に、そこまでしてくれたの?」


 すると博士は小首を傾げた。

「高性能の義眼を開発した時に、都合よく目を失った子供に出会った。被検体としてちょうどいいじゃないか」


 なるほど……と、透也は納得した。

 この博士の行動原理は、決して同情や哀れみではなく、科学の研究にあるのだ。

 つまり、透也が何者であるのかすら、全く興味がない。


 やっぱりおかしな人だ……透也はそう思った。


「じゃあ、俺、ここに居ていいの?」

「経過観察をしたい。各機能の動作が想定内であるか、確認をしなきゃならないからな」

「……迷惑、じゃない?」

「迷惑?」

 妖怪博士は眉を寄せる。

「被検体を手元に置くのがなぜ迷惑なんだ?」

「俺……死神だから」


 そう言うと、妖怪博士は笑った。

「死神……フフフ……妖怪と死神か。随分とおあつらえ向きの組み合わせじゃないか」


 どこか会話が噛み合わないし、人としての何かに欠けている。でも、だからこそ、透也にもフラットに接してくれる。

 妙な居心地の良さを覚えて、透也は決めた――もう少し、ここで生きてみよう。



 ☩◆◆──⋯──◆◆☩



 けれど、妖怪博士との生活は楽なものではなかった。

 彼は研究にのめり込むあまり、生活に関しては全く駄目で、自分のコーヒーを淹れる以外に家事らしいことは一切やらない。

 炊事、洗濯、掃除、全ての家事が透也の仕事になった。

 しかし、透也も幼くて、両親のやっていたことを記憶を頼りに真似するだけだから、研究所はいつもひっちゃかめっちゃかだ。


「おい、ここに置いておいたビーカーをどこにやった?」

「さっき牛乳飲んだ」

「青酸ソーダの溶液を入れていたんだがな」

「……吐いてくる」

 そんなのは、日常茶飯事だった。


 妖怪博士との生活が大変なのは、それだけではない。

 目を離すと、時折彼は倒れている。カフェインの過剰摂取と栄養失調と寝不足で、動いているのが不思議なほどの人だった。

 その度に透也は、研究所の丘に自生しているサルナシや山ブドウを集めてきて、すり潰して飲ませるのだ。


 けれど不思議と、透也はここに来て以来、空腹で困ることはなかった。博士が科学の力で何とかしているのだろう……その頃、彼はそう考えていた。


 だが透也が、最も困難を感じるのはそこではなかった。


 妖怪博士の研究所は、掘っ建て小屋を連ねたような形になっている。

 だから、トタンで覆っただけの薄い壁に石がぶつかると、建物の中に大きく響く。

 なぜ石がぶつかったのか……と、傾いた扉から外を見れば……

「妖怪が出てきた!」

「おい、あれは死神の方だぞ」

「に、逃げろ――!」

 スラム街の悪ガキ共が、よくこうしてやって来た。その度に透也は、二度と『街』というコミュニティに戻ることはできないと、思い知らされるのだ。


 何度かそんなことがあったある日。

「新たに開発した装置を市場に売りに行く。ついて来い」

 博士にそう言われれば、断る訳にいかない。

 白衣の背中に隠れるように、透也は懐かしい街に足を踏み入れた。するとやはり、彼に向けられたのは刃のような悪意だった。

「あんた、その小僧を匿ってるんだって?」

 路地で野菜を売るおばさんが、博士に刺々しい言葉を投げる。

「こいつは死神だよ。生かしておけばまた大勢人が死ぬ。その責任を、あんたは取れるのかい?」


 体が強ばり、透也は動けなくなった。取り囲む視線のひとつひとつが槍となって彼の体を串刺しにして、処刑台に晒されている気分だった。

 けれど、妖怪博士は彼を見捨てるでも庇うでもなく、前のめりにおばさんに応じた。

「彼が生きていることと、この先大勢が死ぬ可能性とに因果関係があるというのは、非常に興味深い学説だ。是非科学的論拠を、私に示してもらえないか?」

 おばさんは答えなかった。


 さらに博士は、周囲の人々にこう言った。

「AMTを開発したのはこの私だ――君たちの依頼でね。その事実と彼の行った行為との関連性を考慮すると、責任者として名を上げるべきは、ここにいる大人全員と、私には思えるのだが」


 散り散りに去っていく人々を興味なさげに見送ってから、博士が向かったのは工具屋。

 頑固親父を絵に描いたような店主は、博士の顔を見るなり嫌な顔をした。

「また妙なモンを売り付けに来たのか」

「今度のはかなり実用性が高い。ライターだ。オイルがなくても火が灯る。そもそも、炎というのはプラズマの一種で、オイルや蝋を気化させ……」

「ゴタクはいいから、ちゃんと使えるモンか見せてくれ」


 店主に急かされて、博士は白衣のポケットから金属の棒を取り出した。店主に棒の先を向け、その側面にあるスイッチを押すと――

 強烈な火炎放射が店主の少ない髪をチリチリにしたから、彼は顔を真っ赤にした。

「馬鹿野郎! そんなモン使えるか! 命が幾つあっても足りねえわ!」


「……自信作だったんだけどな」

 研究所に戻った博士は、テーブルにライターを置いて腕組みをした。

「このサイズであれだけの火力を出すのに苦労したんだ」

「苦労の方向性が間違ってると思う……」

 そう言いつつも、透也はこれまでにない温かい気持ちになっていた。

 それを言葉にしないのが苦しくて、透也は博士に顔を向けた。


「ありがとう」


 すると博士は不思議そうに瞬きをした。

「私は君に対して何か良いことをしたのか?」

「したよ……俺、科学が大好きになった」

「そうか」

 博士は興味なさそうにそう答えると、コーヒーを淹れにキッチンに向かった。

 その背中に、透也は叫んだ。

「科学を勉強したい。博士、教えてくれないか?」


 妖怪博士はコーヒーミルを回す手を止め、彼を振り返った。

「人に教えたことはないんだが……本ならたくさんある。勝手に見て覚えればいい」

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