78話 妖怪博士
……頭が痛い。酷い頭痛だ。
透也は耐えられずに目を開いた。
見えたのは、パイプだらけの天井。蜘蛛の巣が垂れ、羽虫の死骸がぶら下がっている。
機械が動くような単調な音がした。それに似合わない、コーヒーの甘い香りが鼻をくすぐる。
知らない場所だ。そう理解した。
けれど今は、この場所がどこなのかを知るよりも、彼を襲う苦痛を何とかしたかった。
ゆっくりと頭を動かす。ギリギリと刺すような痛みは、わずかな振動で激痛となる。
たまらず、透也は呻いた。
「痛い……痛いよ、誰か……助けて……」
すると、声がした。
「義眼と視神経を繋ぐ手術をしたんだ。痛いのは当然だろう。そもそも、痛みというのは神経が生きている証拠で……」
透也は目玉だけをめいっぱい動かして、声の方向を見る。
パイプだらけの部屋には、よく分からない機械が沢山置いてあった。その隙間に置かれた本棚の、そのまた隙間にある机に向かって、誰かが座っている。声の主のようだ。
「麻酔などないからな。多少のことは我慢するんだ」
興味なさそうな乾いた声がそう続けた。
「うう……」
余りの激痛に嗚咽が漏れる。その段になってようやく、声の主は振り返った。
ボサボサ頭に細い眼鏡、ヨレヨレの白衣は元の色が分からないくらい汚れている。
年齢は三十代くらいだろう。けれど表情は疲れていて、目の下には濃いくまがあった。
彼は面倒臭そうに透也に目を向けてから、ハッとしたように立ち上がった。
「右目、開いてるな」
「うう……」
「見えてるか、ほら、この手」
顔の前で手を振るが、透也はそれどころじゃない。
「痛い……痛い……」
何度も訴えるものの、彼は我関せずと透也に歩み寄り、右目にペンライトを当てる。
「眩しい……うぐっ」
反射的に閉じようとする瞼をこじ開け、彼は笑った。
「ちゃんと瞳孔が動いている――手術は成功だ」
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218X年。
前年に起きた『メガロポリス放火テロ事件』の報復として、東京掃討戦が行われた。
その頃の東京は、対魔能ゲリラの本拠地となっており、魔能を持たない人々の最後の砦として、世界政府への抵抗を続けていた。
21世紀半ばに極まった著しい環境破壊とエネルギーの枯渇により、それまで一部特権階級のものとされてきた魔能が爆発的に広まった。
それに端を発し、表面化したのが貧富の差である。富める者は魔能を手に入れ、不自由のない生活を送る。だが貧しい者は魔能を、さらにはエネルギー資源すら得られず、魔能を持つ者に隷属するか、スラムでその日暮らしをするかの二択を迫られた。
それに異を唱えた人々が、魔能発祥の地とされる東京を占拠、『東京自治区』として数十年に渡り自治をしてきたのだ。
彼らの生活は、環境破壊の原因となった『科学』に支えられていた。
生きるため、わずかなエネルギー資源を得るため、各地でゲリラ活動を行い、その度に制裁を受ける――そんな立場だった。
彼らは不遇の原因を魔能と考えた。魔能さえなければ、不自由はあっても差別はなかったはずだと、富める者に恨みを募らせていく。
そして……。
燃え盛る東京メガロポリスタワーに、彼らは歓喜した。これまでの鬱憤を晴らしたと溜飲を下げたのだが、彼らはその時、それが『東京掃討戦』の引き金となることを知らなかった。
間もなく始まった、魔能装備の部隊による一斉攻撃、そして無差別爆撃……。
たった三日のうちに、東京は焼け野原と化した。
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幼い頃から、遠藤透也にとって、生きることとは「奪うこと」だった。
食べ物も生活用品も燃料も、何もかもが不足するスラム街で生きようとすれば、どこからか奪うしかないのだ。
物心ついた頃から、両親や仲間と街に行った。スラムとは全く違う煌びやかなビルに忍び込んでは、破壊し、略奪する。
戦利品をスラムに持ち帰ると、みんなが喜んでくれた。その時だけは、腹いっぱい食べられた。
だから、メガロポリスタワーにAMTを運んだ時も、この後で美味しいものが食べられるとワクワクした。
けれど、炎に包まれた塔を振り返っても、両親は無言だった。
「どうしたの?」
幼い透也がそう訊ねる。すると彼らは取り繕ったような笑顔を見せた。
「おまえは偉業を為した。明日からおまえは、スラムのヒーローだ」
「あなたは正しいことをしたのよ。あなたは正しいことをした……」
何か違う――そんな気がした。
けれど、両親の言葉をそのまま受け入れなければ、自分の居場所は無い……幼い彼には、それが分かっていた。
それからだった。
スラム街に時々、悪い大人がやって来た。魔能で武装した彼らに、仲間の何人もが殺された。
だから透也は、命も奪うことにした。
悪い大人を一人殺せば、仲間が何人か助かる。
みすぼらしい難民の子だと油断させて近付いて、急所を撃つ。そうすれば、みんなが褒めてくれた。
――東京掃討戦の最中でも、彼はそれ以外のやり方を知らなかった。
炎に焼かれ、焼け跡を彷徨い、やっとの思いでたどり着いた小高い丘で、彼を助け起こした人の顔に、透也は銃口を向けた。
……カチリ。
空砲が鳴った。
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再び目を開いた時、痛みはずいぶん楽になっていた。透也は起き上がって目を擦る……ちょっと違和感はあるけど、我慢できないほどじゃない。
相変わらず部屋では何かの音がしていて、隙間風で蜘蛛の巣が揺れている。
透也はベッドから下りて辺りを見回した。この前いたはずの人が、今はいない。
グーッと腹が鳴り、空腹だと気付いた。すると感じる、コーヒーの香り……隣の部屋からだ。
半分開いた扉を抜ける。そこにも機械がたくさんあったけれど、少しだけ生活感があった。キッチンらしいコンロとテーブルと椅子、それに水道の蛇口。
ボサボサ頭のおじさんは、コーヒーのカップ片手に機械を操作していた。初めて見るもので、透也にはそれが何か分からない。覗き込んでみると、ボタンがたくさん並んでいる。おじさんはそれらをリズミカルにカタカタと叩いていた。
「何してるの?」
透也が聞くと、初めて彼の存在に気付いたように、ちょっと嫌な顔を向けた。
「アーク放電で発生するプラズマを維持するための計算式を考えてる」
……全く意味が分からない。けれどおじさんは透也に説明する気もないようで、すぐに顔を戻してボタンを叩く。
透也はもう一度ぐるりと部屋を見渡した。でも彼の興味を引くものは何もない。
すっかり冷めたコーヒーの香りが空腹を思い出させ、透也は「お腹が空いた」と訴えた。
「何日か前、そこの棚にパンを入れた記憶がある」
そう言われて開いた戸棚の中で、パンは複雑な生態系を育んでいた。
……不思議な人だ。
透也はそう思った。
けれど、空腹は満たされない。何度も食べ物を要求したところで、ようやくおじさんは顔を上げた。
「市場に行って買って来い」
「お金は?」
「うーん……ツケで頼もう」
「なんて言えばいい?」
「蛭田だ」
「ヒルタ?」
「妖怪博士……その方が、通じるかもしれないな」
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【妖怪博士】
本名・蛭田由紀夫
年齢・不詳
職業・科学者、発明家
好きなもの・コーヒー、江戸川乱歩
嫌いなもの・権力
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