77話 対談
――その頃、後方の海上。
水平線の彼方で起こった爆発を双眼鏡越しに見た中村は、傍にいる赤毛の少女に驚愕に満ちた目を向けた。
「今のは……何なんだ……!?」
「ステラのレールガンだよ、最大出力の」
少女――ニコラはそう云って、船縁にヤドカリのような脚を掛けた奇妙な物体を撫でた。
中村がこれを見るのは二度目だ。明智邸の居間の壁をぶち抜いたのは見たが、まさか何海里も先にある標的を寸分違わず狙撃する能力があるとは考えてもいなかった。
だが赤毛の少女は、さも当たり前のように落ち着き払っている。
「これで船速は落ちたし、針路もズレた。岩礁にぶつかるのは避けられるはずだ」
「…………」
「それか、ボイラーをもう一基やった方がいい?」
ニコラが顔を向けると、この船の主は首を横にブンブン振った。
「莫迦野郎! これ以上、どてっ腹に穴を開けられちゃ、ぶつかる前に沈むぞ!」
「でも……」
と、ニコラは彼に向けて人差し指を立てる。
「沈む前にあいつらを助ければいい。その為にボクたちは来たんだろ?」
子供にやり込められ、船主は首を竦めた。
この船は、以前から中村と付き合いのある密輸商人のものだ。船主の名は羽柴――かつて『丙二十』と呼ばれた悪党である。
しかし悪党と云えど、麻薬や武器、人身売買には手を出さない堅物で、見逃す代わりに裏の情報を得ていた、中村にとってお梅の次に付き合いの深い人物だ。
同時に、中村の唯一の趣味である釣り仲間でもある。
以前は芝浦を根城に派手にやっていたが、指名手配を受けてからは横浜へ移り、細々と商売をしている。
……お梅から連絡を受けたのは、今日の夕方。仕事を片付け内務省から出た処、目に見えない女に彼女からの言伝を渡され、横浜ならばこの男を頼るべきと、羽柴に連絡を付けたのだ。
細々とは云え密輸商人。足の速い船を持っていた。その彼にしても、相手が大西洋結社の社長と伝えると尻込みした。
そんな羽柴に、中村は鬼瓦のような顔を向けた。
「未だおまえの指名手配は取り下げられちゃいないんだったよな」
「中村の旦那にゃ敵わねぇな……」
彼は潮焼けした顔を顰めた。
しかし、この船は異常だ。
見た目は漁船だが、その速さは羽柴曰く「世界最速」だそうだ。その言葉は満更出鱈目でも無いようで、波を蹴って飛ぶように進む勢いは、エドガーの高速船に迫るほどだった。
一方で、乗り心地は最悪だ。野呂は先程から、青い顔で床に転がっている。
「けどよ、派手にぶちかますはいいが、こっちは漁船だぜ? 反撃されたらひとたまりもねえ」
羽柴がそう云うと、目に見えない女が彼の腕に手を絡める。
「ウフフ……ワタシのものはワタシのもの、アナタのモノもワタシのもの。解る?」
虚空を見返して、羽柴は「ウワッ!」と声を上げた……中村も先程、彼女を見た。あの奇妙な仮面を間近で見れば、変な声を上げざるを得ない。
要するに、透明怪人が船主の羽柴を「連れ」と認識すれば、船がまるごと見えなくなる、という訳だ。
その船の発する現象も、常人には認識できなくなる。波飛沫すら見えなくなるため、この船を視認するのは不可能となる。
彼女の魔能は、相手に見られることで発動するらしい。だから、追手からよく見える舳先に彼女の存在があることが必須だ。痩せた体は見た目以上に強健で、コートドレスを靡かせ舳先に仁王立ちする姿は、さながら船首の女神像のようだ――酷く腕のない職人が彫ったものだろうが。
「前から不思議だったんだけどさ」
ニコラがそんな透明怪人を見上げる。
「どうして幽霊塔は見えなくならなかったんだ?」
「土地や建物みたいな不動産はダメなの。動かせないものはワタシのものにならないのよ」
「ふうん、そんなモンなのか」
兎にも角にも、ステラの一撃で、急激に相手の船速が落ちた。漁船は更に速度を上げ、追跡対象に近付いていく。
やがて、中村にも船影が目視が出来るようになったところで、羽柴が声を上げた。
「あの船、人の気配がねえぜ。おまえらの仲間は、確かにあの船に居るんだろうな?」
中村はドキッとした――まさか、怪人ジュークの仲間というこの少女が我々を嵌めようとしているのではないか――そんな疑惑が脳裏を掠めたのだ。
彼の上司に当たる平井が、エルロック捜査官を拉致した主犯であるという疑惑は、ニコラから聞かされた。それに対する報復として、中村と野呂は彼女に連れ出されたのではないか……。
だが彼はすぐにそれを否定した。お梅が自分の息子を裏切る筈が無い。
その野呂が這う這うの体でやって来る。そして傍らの双眼鏡を手に取った。
「先程の狙撃に対する反応も見当たりませんね……」
「随分前から舵が動いてねえ。船を棄てて逃げたんだろうよ」
操舵輪片手に羽柴が云う。
「もしくは……」
と、ニコラが顎に手を当てた。
「ボクの知らない魔能使いが乗り込んでるとか……例えば、凄腕の殺し屋が皆殺しにした」
「魔能……殺し屋……」
その途端、野呂の纏う雰囲気が変わったのに中村は気付いた。彼もそれは知っている――野呂の父である篠崎壮二議員が、魔能使いに惨殺された事を。その犯人があの船に居るかもしれないとなれば、父の仇を追う目的で警察官になった野呂が、平静でいられる筈が無い。
そんな彼の肩に、中村は手を置いた。
「職務を忘れるなよ――我々の任務は、エルロック捜査官の救出だ」
「それ、平井局長に逆らってますよね? 僕たちの職務とは、何なんでしょうか」
そう言い返されれば、ぐうの音も出ない。中村は目を閉じる。正直、何に従って動いているのか、彼自身にも解らないのだ。
強いて言えば……。
以前、お梅に云われたあの言葉。
――あんたの正義が何処に在るか、私に示してご覧よ――
中村は今、己の正義に従っている、と云えなくは無い。
この行動がこの先、どう判断されるのか。彼には解らないし、興味も無い。しかし、あのプラチナブロンドの好青年がこの世からいなくなるのを黙って見過ごすのは、彼の正義に反するのだ。
中村は厳めしい目を細めた。
「また特警から追い出されるかもな」
「まぁ、僕にとっては、その方がやりやすいですけど。何なら此処で辞表を書きます」
そう云って、野呂は上着の下から拳銃を取り出した……現在、彼は警察官でないのだから、拳銃の所持は違法である。裏の伝手を介して手に入れたのだろうが、発砲すれば、中村の部下でいることは出来なくなるだろう。
それでも悔いは無いと云わんばかりに、野呂は双眼鏡越しに高速船を睨む。そして高速船の周囲を観察していたが、やがて顔を上げて彼方を指さした。
「あれ、何でしょう?」
中村は其方に目を向ける。だが、闇の中に何も見えない。
羽柴が野呂の手から双眼鏡を奪い目に当てる。そして素っ頓狂な声を上げた。
「な、中村の旦那……これはまずいぜ」
「どうした?」
中村が訊ねると、羽柴は声を震わせた。
「あの船の進行方向に無人島があるんだ。そこに、ほんの僅かだが光が見える。船、それも船団が停泊してるんじゃないか。あの数は間違いねえ――七海艦隊だ」
☩◆◆──⋯──◆◆☩
透也が目を開くと、配管だらけの天井が見えた。
ここは何処だろうと顔を動かし、部屋の隅の机に向かう背中を認識、無意識に声を出した。
「博士……」
そして、自分の発した言葉に驚愕する――蛭田博士だ!
だが起き上がろうとすると激痛が走り、再びベッドに身を横たえざるを得ない。低く呻いた声に、蛭田が振り返った。
「未だ寝ていた方がいい。肋骨が何本か折れてる」
痛い、確かに痛い。でも上がる呼吸を抑えられないし、涙が止まらない。
白髪混じりのボサボサ頭にヨレヨレの白衣、洗いざらしのズボンと、踵の擦り切れた靴。
二十二世紀そのままの後ろ姿を目の前にして、透也はどうしても訊きたかったことを尋ねずにはいられなかった。
「何で……何で、黙って居なくなったんだよ!」
唸るような声に、蛭田は細い眼鏡の奥の無感情な目を向けた。
「黙って居なくなったつもりは無かったんだけどな」
……間違いない、蛭田博士だ。透也は確信した。
研究にしか興味が無くて、寝食を忘れることは当たり前。透也の存在すら眼中に無く、構って欲しいと強く訴えた時だけ、面倒臭そうに相手してくれた。
でも、透也にはそれが心地よかった。同情されたら、研究所には居られなかった。
案の定、蛭田は直ぐに机に向き直って、作業の続きを始めた。透也はそんな後ろ姿をじっと眺める。
此処は蛭田博士の部屋なのだろう。多分、機関室に近い部分。様々な機械が所狭しと置かれて、何時も何処かで単調な音がしている。
――それから、珈琲の香り。
何度も、透也はこの背中を見てきた。
怪盗の仕事に失敗して怪我をした時、風邪をひいて熱にうなされた時、そして、義眼を入れた後、初めて目を開いた時――。
☩◆◆── <漆>──魔女と凶犬【END】──◆◆☩




