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東京ファントムウォーズ  作者: 山岸マロニィ
<漆>──魔女と凶犬
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76話 対応

 透也は義眼を調整する。だが彼の視界に岩礁は認識出来ない。真っ暗な底無しの闇が横たわっているだけだ。

 リュウは目を光らせ、プロジェクターを起動した。

「これは二十二世紀の海図でアリマス。ワガハイにこの時代の海里はインプットされていないでアリマスから、これで代用するでアリマス。しかし、この二百五十年の間に、岩礁が現れたり消えたりするとは考えにくく……」

「で、岩礁は何処だ?」

 透也が急かすと、リュウは画像にピンを立てる。

「現在の座標が此処、岩礁は此処でアリマス」

「まだ十分に余裕がある。船を乗っ取って横浜へ針路を変えれば……」

「それが出来ないのでアリマス」

「何故だ?」

 ショルメが訊くと、リュウはプロジェクターを閉じて振り返った。


「舵が、壊されてるでアリマス」


 その意味を理解するのに、透也は数秒を要した。

 誰も居ない操舵室、壊された舵、そして、前方の岩礁。

 リュウは続けた。


「この船は、三十分後に岩礁に衝突するでアリマス」


「衝突したら、どうなる?」

「座礁するだけで済めばいいでアリマスが、この船の速さを考えると、大破するか、運が悪ければ動力機関が爆発する可能性があるでアリマス」


 透也とショルメは顔を見合わせる。そしてその表情から、考えている内容が同じであると理解した。


 透也たちの侵入を受けた時点で、エドガーは船を棄て脱出したのだ――岩礁に衝突するよう舵を向けて。

 まんまと罠に嵌った、という訳だ。


「クソッ! 動かねえのかよ!」

 透也は操舵輪を無茶苦茶に回すが、何の手応えも無い。

「無線は?」

「叩き割られているでアリマス」

「救命ボートは?」

「不法な設計のこの船に、そんなモノが用意されているとは思えない」

 ショルメが呟く。操舵輪を拳で殴り、透也は膝を折る。

「畜生……ッ!」

 だが、リュウは冷静だった。

「スピードを落とせばいいでアリマス。衝突の衝撃を軽減できれば、生存できる確率は上がるでアリマス。機関室へ行ってボイラーを停止させるでアリマス」

 それに対し、ショルメは首を横に振る。

「ここまでする男が、その程度のことを考えていない筈が無い。元々機関室は、浸水を防ぐ為に強固に出来ている。簡単に入れるとは思えない」

「やらなきゃ解らねえだろ!」

 透也はリュウを掴み、操舵室から駆け出して行った。



 一人残されたショルメは小さく息を吐く……先程から感じる視線。彼は、俺が一人になるのを待っていた。

 ショルメは虚空に向かってロシア語で語り掛ける。

「俺に用があるんだろ――M」


 ――その途端、空気がざわめいた。

 ヒュッと鋭く音を立てて、ワイヤーガンが彼を拘束する。その二秒後には、彼の喉元にダガーが押し当てられていた……警察に押収された筈の、怪人ジュークのものだ。

 灰色の瞳は冷たい光を湛えて、じっとショルメを見下ろす。抵抗すらしない標的に拍子抜けしたのか……それとも、彼の中の標的が別の誰かに移ったのか、Mはダガーを首に突き立てようとはしなかった。


 彼の瞳の中で、鮮やかな碧眼が細められる。

「いい加減、茶番は止めにしないか、M――いや、ラウール殿下」


 その名を耳にした途端、まるで電撃に撃たれたように、Mはショルメから飛び退いた。灰色の瞳を大きく震わせ、丸眼鏡を見据えている。

 ショルメはワイヤーガンを解きもせず、彼に向き直り胡座をかいた。

「今は無きリメジー公国の嫡男である貴方が、何故エドガーの手先という身分に甘んじておられるのが、ずっと疑問だったんだ」

 Mは答えない。声を出せないというのもあるが、金縛りに遭ったように反応出来ないでいるのだ。ただ大きく見開いた灰色の瞳でショルメを見下ろしている。それから視線を外し、ショルメは語りだした。


「貴方の祖父であるルイス公爵は、民主化を求める民衆により処刑された。その裏に、エドガーの手引きがあったのは貴方もご存知の筈。一方、ルイス公爵のご息女……貴方の母君は離島に幽閉され、そこで男の子を産んだ」

 Mの瞳が大きく揺れる。それ以上云うなとでも言いたげに、目が充血していく。

 だがショルメは、淡々と、無感情に続けた。

「ラウールと名付けられたその子を、母は愛さなかった。父を殺し、国を奪い、自らを穢した男の面影があったから……この時、母は僅か十五歳。思い通りにならない身に耐え切れず、精神を病んだとしても仕方のないことだ」

 叫ぼうとするかのように、Mの喉が鳴る。

「国を失った公女と嫡子。叛乱を恐れる為政者が、二人を陽の当たる場所へ出すことは決して無い。冷たい牢獄で一生を過ごすことに絶望した母は、赤子を道連れに死のうとした。ところが、近侍の者に発見され、辛うじて赤子だけは助かった。しかし赤子の頬には、痛々しい傷跡が残った……」

 Mは黒い頭巾で覆われた頬を手で押さえた。それにチラリを目を遣り、ショルメは声を落とした。

「それから赤子は、父の元に引き取られることになったが、彼がそこでどんな境遇に置かれたのかは、筆舌に尽くし難い」

 Mはショルメの首に腕を巻く。耳元で「黙れ」と云うような空気の揺らめきがあったが、震える腕に、ショルメの呼吸を止めるほどの力は無いようだった。

「過酷な境遇で生きる為、貴方は奴隷となることを選んだ……奴らはそう考えている。だが俺から見れば、貴方がその待遇に甘んじる要素は無い。母の死によって『自死』という概念を植え付けられた貴方が、それを選ばない理由……」


 ショルメの手が動く。そっとMの頭巾に指先を掛け、引き外した。

 現れたのは、白い頬に穿たれた傷……左の口角から耳にかけて、ザックリと裂けている。


「――貴方の目的は、俺たち(・・)と同じではないか?」


 Mは目を閉じた。眉間に皺を寄せ、瞼を震わせる。そうして感情の昂りを抑えているようだったが、やがてMはそっと腕を解いた。

 ショルメは気取られぬよう、大きく安堵の息を吐いた。ハッタリは彼の十八番(おはこ)とは云え、失敗すれば命は無い、綱渡りのような賭けに違いないのだ。


 ダガーを収め、再び頭巾で口元を覆うMに顔を向ける。

「向かう先が同じなら、此処で敵対する意味は無い。旅は道連れ――そんな言葉が日本にはあるらしい。俺たちはきっと、貴方の役に立てる」

 Mは目を泳がせた。どこまでショルメを信用していいのか、思案しているのだろう。

 だが、ショルメは容赦なく彼を追い詰める。

「このままでは、確実に全員死ぬ。貴方を見捨てた父親に、今更義理立てする必要は無い筈だ。とりあえず、この船から脱出するまで手を組まないか? ここまで苦労してきて、エドガーの首を諦めるのは馬鹿馬鹿しいだろう」

 彼はそう云うと、着物の懐から二連式のピストルを取り出した。そしてそれを、Mに差し出す。


「エドガーは貴方に任せる。俺は結社を潰す。それで手を打とう」


 Mはそっとピストルに手を伸ばした。それが持つ意味を、彼は察しているのだろう。

 ズシリと重い錆びた銃身を受け取り、Mは顔を上げた。覚悟は決まったようだ。

 ショルメはニヤリと彼を見返す。

「さて、甲十九の坊やは船を止めようとしているようだが、他にも方法はあるんだろう? 兄も連れて行かなきゃならない。兄は何処に居る?」

 Mは立ち上がると、ショルメを戒めるワイヤーを回収した。そして「ついて来い」と云うように首を振り、操舵室の奥にある扉へ向かって歩き出した。



 ☩◆◆──⋯──◆◆☩



「リュウ! 機関室へはどう行けばいい?」

 透也の問いに、ポケットの中の相棒が答える。

「このまま真っ直ぐ、真ん中の煙突のある建物に階段があるでアリマス」

「了解!」


 ワイヤーガンでひとっ飛びに甲板を抜ける。建物の入口付近から湧き出した船員に、

「悪ぃな」

 と云って刃を振るう……手加減している余裕は無い。このままでは全員死ぬのだ。屍を跳び超え、透也は階段に踏み込んだ。


 数歩で最下層に到着する。だが案の定、機関室への隔壁は堅く閉ざされていた。

「開ける方法は無いか?」

「今構造を調べているでアリマス……物理的にロックされている為、破壊するしか無いでアリマスが、この分厚い隔壁を破壊する方法は、この船内には無いでアリマス」

「なら……」

 透也はリュウをポケットから摘み出す。

「瞬間移動で中に入る」

「しかしでアリマス」

 リュウは青く縁取られた目を透也に向けた。


「ワガハイの残存電力は、先程の転移で大幅に減ったでアリマス。瞬間移動は、一回しか出来ないでアリマス」


 透也はゴクリと唾を呑んだ。

 もし、衝突する前にボイラーを停止出来なければ、影男やショルメを含む仲間共々、逃げる手段すら失うという意味だ。


 透也は目を閉じ嗤った。

「どうせ、何もしなければ死ぬんだ。同じじゃねえか」


 リュウは目をクリッとさせる。

「それもそうでアリマスな」

「じゃ、行くぜ――生死流て……」


 だがその時、激しい衝撃が透也の言葉を止めた。

「高熱反応! 爆風が来るでアリマス――ッ!!」


 リュウを抱えて床に伏せる。その頭上スレスレを、鋼鉄の扉が吹き飛ばされていく。

 だがその直後、彼らを襲った爆風は避けられなかった。高熱を孕んだ突風は、透也の体を階段に叩き付けた。


 その腕の中で、リュウは顔を上げた。爆風は収まったようだが、透也が動かない。

「…………」

 強耐性スーツのおかげで、表面的な怪我は無いようだ。だが割れたヘルメットの隙間から血が見える。

「透也! 透也ッ!」

 リュウは顔を覗き込む。すると癖のある前髪の隙間から細く目が覗いた。

「透也――! 生きてるでアリマスか!」

「…………」

 だが再び瞼は閉ざされ、リュウは叫んだ。

「透也ァッ!! 目を開くでアリマス!!」


 ……そんな彼らに近付く気配を感じ、リュウはハッと顔を向けた。

 そして、その人物を認識し、彼はまるでエラーを起こしたように固まった。

 暫く無言で向き合う。

 それから、リュウは声を絞り出した。



「――――蛭田博士」

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