75話 対戦
――『影』の中に居たのは、盲目の法師だった。彼は瞼を閉ざしたまま寝台で座禅をし、琵琶を膝に置いている。
その姿を見た瞬間、透也の脳裏にお梅の言葉が浮かんだ。
――盲目の琵琶法師――奴にだけは、近寄っちゃならない――
彼はハッと身構え、背中の刀に手を掛けた。
すると影男が嗤った。
「君を此処で殺したら、元も子も無いじゃないか。まぁ、警戒するのも無理は無いけどね……紹介するよ、彼は一寸法師。怪盗同盟で、首領の侍従の次に怖い人」
「斯様な言い草は承服しかねる。拙僧は己の役割を果たしたのみ」
透也は訝しい視線を送るが、一寸法師は表情ひとつ変えない。閉ざした目をあらぬ方に向けている。
そんな透也に、影男が小さなものを手渡した。
「幾ら此処では時間が過ぎないとは云え、モタモタしてはいられないからね。これを先に渡しておくよ」
それは耳栓だった。ショルメも受け取るが、不審な目を影男に向ける。
「これをどうするんだ?」
「彼の琵琶を聴くと、死んじゃうから」
それから影男は、透也の肩のリュウを見た。
「僕はどうすればいい?」
「時空転移は、転移させる容積が小さいほど、消費エネルギーが少ないでアリマス。異空間の大きさは変えられるでアリマスか?」
「此処は僕の想像力が創り出す場所だから、大きさも自由自在さ」
そう云い、影男は掌を前に出す。そして右に滑らせるように動かすと、四方を囲む襖が寝台に迫ってきた。
透也とショルメも寝台に乗る。最後に影男が一寸法師の後ろに立つと、部屋は寝台の大きさ分になる。
「これでどう?」
「良いでアリマス」
艶めかしい寝台で顔を寄せる男四人。傍から見れば滑稽極まりない絵面だが、それを茶化す者は無かった。
彼らの視線の中にピョンと飛び降り、リュウは四肢を踏ん張った。精神を集中させるように目が光る。
「転移物体の容積及び質量を計測中……座標を確認……質量変異範囲を特定……転移先の移動速度を計測中……」
透也とショルメは耳栓を押し込んだ。透也は念の為にヘルメットを装着し、左手のワイヤーガンを確認する。
「計測完了――時空転移システム『生生流転』、発動」
リュウの体が光を放つ。
弾けるように広がった白い光が、『影』の内部を満たす。
そして――。
☩◆◆──⋯──◆◆☩
薄暗い空間に着地した途端、透也はワイヤーガンを放った。壁に刺さった感触と同時に、ショルメを抱えて床を蹴る。
恐らく、航海中の備品の保管や船員が休憩に使っている部屋だろう。船の幅だけある広い空間に雑多なものが置かれ、船員たちが雑魚寝していた。
その頭上を滑り、木箱の影へ身を隠した途端。
「何事だ!?」
と起き上がった船員たちの視線の先で、一寸法師の琵琶が鳴った。
ビーン――と空気を裂く音に、琵琶法師の声が乗る。
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
膝に琵琶を抱え、悲嘆に満ちた唸り声で朗々と唄い上げる。
それを彩る弦の響きが四方に拡がり、その振動が耳に届いた途端、不運な船員たちの体は形を失い四散した。
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
彼らの不幸はそれだけに留まらない。
「どうした!?」
異変を察知した船員が次々と集まってきた。だが目を閉じ琵琶を爪弾く一寸法師を遠巻きにして、彼らも為す術なく肉片へと変貌を遂げていく。
その様子を木箱の隙間から眺め、透也は悪寒を禁じ得ない……これ程までに恐ろしい魔能が存在するとは……!
ショルメも彼の横で、その様子をじっと見ている。
屍とすら呼べない肉の残骸が積み重なる中心で、琵琶法師は滔々と平家物語を弾き語る。
奢れる人も久しからず
ただ春の夜の夢の如し――
そこに、リュウから通信が入った。
「透也、無事でアリマスか?」
むせ返るような血の匂いに顔を顰めつつ、透也は安堵した。彼の相棒の機械の体には、一寸法師の琵琶は無効だったようだ。
「こちらは大丈夫だ。おまえは何処に居る?」
「船内の構造を超音波で探りながら、操舵室を目指しているでアリマス」
なるほど、船を乗っ取るつもりのようだ。どこかに隠されているだろうエルロックを探すよりも、それが最も効率的だろう。
「了解。俺たちも向かう」
通信が切れると同時に、超音波の画像が義眼に送られてきた。この船室は甲板と、船底にある機関室との間にあるらしい。操舵室は通常、見晴らしの良い船首に近い場所にある。上へ向かえということだ。
ショルメに合図を送り、二人は移動をはじめる。小窓から入る西日を頼りに木箱の間を抜け、壁際の梯子を登る。
此処まで来れば、琵琶の音も届かない。意思疎通に不都合な為、彼らは耳栓を棄てた。
そして、甲板に出た途端、侵入者に対する洗礼が降り掛かった。
荒くれ者たちの手には、斧や鉈や湾刀が握られ、透也が現れると同時に刃が一斉に彼に向けられた。
「ショルメ、隠れろ」
と、透也は床を蹴り、ワイヤーガンで上方へ退避する。そして……
ワイヤーガンを解放すると同時に刀を抜く。重力に任せ落下しながら、敵対者を薙ぎ払う。
博士との約束がある。殺しはしない。武器を持つ手首を斬り落とし、血飛沫で目潰しし、膝を割り砕く。戦闘力が削げればそれでいいのだ。義眼越しに見るスローモーションの景色でなら、その程度は楽なものだ。
だが、傍でそれを見ていたショルメには、普通でなく見えたようだ。
僅か数秒で鎮圧した透也に、化け物を見るような目を向ける。
「おまえ……何者なんだ!?」
「昔……いや、未来か。あそこで生きてくには、このくらいやれなきゃ話にならなかったのさ」
二人は甲板を、構造物の影伝いに船首へと移動する。その途中、リュウから再び連絡があった。
「三本ある煙突のうち、一番前のものが立ってる建物の二階前方が操舵室でアリマス。ワガハイは此処で待機するでアリマス」
「了解」
空はいつしか星に支配されていた。
紺青の闇から見下ろす月と、他の船舶へ存在を報せるものだろう、各所に取り付けられたライトとで、真昼のように明るい。
だが、彼らの行程はスムーズにはいかないようだ。
高級船室らしい洒落た意匠の窓に差し掛かった時、内部から銃撃を受けたのだ。
しかし、透也の義眼は襲撃者を把握済み。身を伏せ回避しつつ、発射された弾数を数えて弾倉が空になったのを確認してから、割れた窓に腕を突っ込み銃身を捕えると、梃の要領で襲撃者ごと海に放り込んだ。
「面倒臭えな……」
透也が呟くと同時に、ショルメが声を上げる。
「後ろからも来るぞ」
透也はショルメと入れ替わり刀を構えた。
……しかし、丁度ライトの影になったそこに、突如人影が現れたのだ。
「はーい、君たちは僕と遊ぼうね」
その途端、消える追跡者たち。
その直後に、嫌な振動……。
『影』を通して海中へ落とされた彼らは、スクリューに粉砕されたのだろう……と、透也は察して首を竦めた。よくよく考えれば、この男――影男も、その気になれば大量殺戮が可能な恐ろしい存在になり得るのだ。
だけど……と透也は色男を睨む。
「女の子は、此処には呼ぶなよ」
「僕がそんなに無粋だと思う?」
振り向いた影男は微笑んだ。
「此処は僕に任せて。一歩も通さないから」
影男に背後を任せ、透也とショルメは走った。間も無く船首の建物に到着し、電磁バネの一蹴りで二階へ上がると、ショルメに手を貸し引き上げる。
そして、窓を蹴破り操舵室へ侵入したのだが……。
そこは無人だった。
普通に考えれば、航行中の操舵輪を誰も握っていないのはおかしいし、傍で前方を注視する人物が居ないのも有り得ない。
警戒しつつ操舵輪へ向かう。するとそこにリュウがいた。彼は操舵輪に貼り付き、前方を注視している。
そして背中に透也の存在を感じ、彼はこう云った。
「前方十海里ほどの位置に、岩礁があるでアリマス」




