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東京ファントムウォーズ  作者: 山岸マロニィ
<漆>──魔女と凶犬
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74話 相対

 影男の『影』は異空間であり、現実世界とは時間軸が異なる。影へ入ってしまえば、異空間内の法則が優先されるため、現実世界で一里の距離を移動しても、瞬間移動とほとんど変わらないのだ。

 一度、赤坂のビルの影で仕切り直し、品川警察署の車庫に現れた時、現実世界の時間で云うなら、幽霊塔を出てから一分も経っていなかった。


 車庫には、米国を真似て試験運用が始まったばかりのポリスカーが置かれていた。箱型のT型フォードと呼ばれるものだ。三人の警官が毛バタキを手に雑談している。この車の世話が彼らのサボりの口実になっているのだろう。

 その様子を物陰から認めると、透也は目にも止まらぬ動きで車の影から飛び出し、

「悪いな」

 と一声掛け、立て続けに三人を気絶させた。


 それを待ちかねたように、運転席から声が掛かる。

「早く乗れ」


 ショルメの運転で、T型フォードが急発進する。署内の警官たちがこの異常事態に慌てて飛び出してくるが、タイヤを鳴らしてドリフトする鋼鉄の塊を止められる者など居ない。

「振り落とされるなよ」

 ショルメはそう云って、アクセルを全開に踏み込んだ。


 街道に出て南下する。通行人や荷車を避けてハンドルを切るショルメの腕は大したものだが、乗り心地は最悪だ。

「ごめん……僕は此処と繋いだ影に居た方が良さそうだ……」

 後部座席から青い顔をした影男がそう云って、フッと消えた。

 透也は恨めしい目でそれを見遣って、顔を前に戻す。街を抜け、田畑が増えた街道に往来は減り、代わりに夕焼けが薄らと空を染めだしていた。


 道なりに真っ直ぐ進む。その頃になると運転も落ち着いて、透也にも余裕が出てきた。運転席を観察する。二十二世紀にも自動車はあったが、構造が全く違うから、透也は運転出来そうに無い。小刻みにペダルを踏む下駄履きの左足を見ていると、ショルメは呟いた。

「なんか……ごめん」

「何だよ、急に」

「Mにアジトがバレたの……俺の不注意に違いない」

 ショルメは鮮やかな碧眼を正面に据えたまま続ける。

「これまで何度も連絡を取り合っていたのに、彼の本性に気付けなかった。彼なら、Mに情報を流すことも可能だろう」

「おまえが前に五万を持って来た時の話か?」

「ご明察……俺は知り得た情報を、全て平井局長に流していた」

「…………」

「俺がもっと早く、彼らの動きを察知していれば、兄は……いや、本来は俺が兄の代わりにあいつらの元へ送られる筈だったんだ。兄は俺の身代わりなんだ」

 唇を噛む横顔を眺めてから、透也は視線を流れゆく景色に向けた。

「察しの悪さは俺のが上だよ……ニコラから散々ヒントを得てたのに、蛭田博士の存在に気付かなかった」

 そう云って、透也はショルメに顔を戻す。

「大西洋結社に居た頃、蛭田博士に会ってるんだよな?」

「あぁ、何度もね」

「どうだった? ……その、元気そうだったか?」

「うん、そうだね……」

 ショルメはそう云い澱んでから答えた。


「多分、彼は肺の病気だ。長くはない」


 透也は言葉を失った。ショルメは視線を移さず言葉を継ぐ。

「何度か喀血しているのを見た、本人は隠しているようだったけど……もしかしたら、君が二十二世紀で見たと云う血痕もそれじゃないかな」


 透也は堪らず視線を落とす。口を押さえるが、声の震えは誤魔化せない。

「残り少ない寿命で未来を変える為に、博士はこの世界に……」

 自分の鈍さを責める気持ちと同時に、彼ならやりかねないと、透也は納得した……やはり、蛭田博士に違いない。


 車は田園地帯を抜け、下り坂に差し掛かる。遠くに水平線が見え、透也は身を乗り出した。もうすぐ横浜だ。


「なぁ、博士は結社で何の研究をしてたんだ?」

 ショルメは首を傾げた。

「さあね。エドガーの命令で武器の開発をしていたこと以外は知らないな。そこまで親しい間柄でも無かったし。その辺りは、ニコラに訊いた方がいいだろう。彼女は弟子だったから」

 そう云ってから、ショルメは思い出したように付け加えた。


「そう云えば、昨日おまえが見せた『時空干渉理論』という論文を、彼が持っているのを見たことがある」



 ☩◆◆──⋯──◆◆☩



 横浜港に着いた時、夕日は西に大きく傾いていた。波間を赤く染めながら尾を引いて、水平線に下端を接しようとしている。

 その景色を眺めながら、透也とショルメは立ち尽くしていた。


 エドガーの高速船の姿が、既に無かったのだ。


 それはつまり、エドガーはこの国での用件を済ませたということ――大鳥公爵と大西洋結社との間で何らかの取り決めが行われたことを意味する。

 もはや、エルロックの身柄だけの問題ではなくなった。この国の行く末に関わる事象となるだろう。しかし、今彼らに出来るのは、仲間の兄を助け出すことしかない。


 透也の肩でリュウが目を動かす。

「ワガハイの目なら、船影は辛うじて確認出来るでアリマス。距離は四海里ほど先、二十ノットで南南西に向かってるでアリマス」

 透也の横で、ショルメは握った拳を震わせている。掛ける言葉も無く、透也もまた立ち尽くすしか無かった。


 そんな二人の肩にポンと手を置く者があった――影男だ。

「影に行った間に、ちょっと調べて来たよ、芝浦の奴らのアジトでね」

「…………」

「確かに君の兄上は、あの船に乗っている」

「おまえの影で何とかならないのか!」

 透也が声を上げたが、彼は目を伏せて首を横に振った。

「もう影の届く距離に無い。海の上では、影を継ぐことも出来ない」

 ショルメが膝を折る。石畳に拳を打ち付け、言葉にならない呻きを漏らす。


 すると、リュウが彼の背にピョンと飛び降り透也を見上げた。

「行けるでアリマス――強耐性スーツを着た透也だけなら」


 瞬間移動だ。透也の目に光が戻る。

「よし、俺をあの船に連れて行け」

「ちょっと待って、それは余りにも危険じゃないかな」

 口を挟んだのは影男だ。

「それに、対象を探すまではいいとしても、彼をどうやって連れ出すつもりだい?」

 反論のしようが無い。透也は唇を噛んだ。

 すると、影男は悪戯っぽく目を細め、こう云った。


「それよりも……君の瞬間移動で、僕の『影』をあの船に移動させることは出来ないかな?」


 透也とリュウは目を見開いた。互いの考えを無言で確認した後、影男に視線を移す。

「影男の『影』を、物理的衝撃を保護する容器と考えるなら、理論上可能でアリマス――ただし」

 リュウは影男を見上げて首を傾げる。

「大人数の転移はやったことが無いでアリマス。消費エネルギーの予測が難しく、システムの再起動までの時間が長くかかると思われるため、帰りは期待しないでアリマス。それでいいでアリマスか?」

 それに答えたのは透也だ。

「問題ない」

 リュウはその意図を察したのか、透也の肩によじ登った。


 ショルメが立ち上がる。

「頼む……この通りだ」

 深々と頭を下げるショルメを見て、二人と一匹は頷いた。一方、影男はニヤリと顎を撫でた。

「実は、こんなこともあろうかと、助っ人を待たせてあるんだ、影の中に」

「何だと!?」

「間に合った時に、と思ったんだけど、役に立ちそうで何よりだ」

 影男はそう云って、けれど……と表情を消した。


「彼を使うと云うことは、怪盗同盟としても後戻り出来ないという意味だ――首領の命令でね、エドガーを殺せっていう」


 透也はゴクリと唾を呑んだ。影男は、満ちた月の色の瞳を細めた。

「大西洋結社相手に戦争を起こす――その覚悟はある?」

「元より覚悟は出来ている」

 ショルメが即答した。一呼吸置いて、透也も答えた。

「此処で逃げたら、何の為にこの世界に来たのか解らない――俺も乗るぜ」

「なら、決まりだね」


 夕日が建物の影を長く石畳に焼き付ける。太陽の動きと共に影も動く。そして、三人の姿を影が吞み込んだ処で、影男は指を鳴らした。

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