72話 対抗
「うおりゃあああ!!」
気合いの一蹴が透也の頭上を狙う。
「うわっ!」
と避ける拍子に透明怪人にぶつかって、二人揃って尻もちをつく。腰を押さえながら、透也は蹴撃の主を見上げた。
――明智香子は、何時ものように乗馬服に身を包み、強気な視線で透也を見下ろしていた。
咄嗟に言葉が出ない……彼女は今、どんな気持ちで俺を見ているのだろうか?
掛ける言葉に逡巡していると、だが香子は二人に冷たく言い放った。
「怪盗同盟の幹部である透明怪人と、賞金稼ぎの怪人ジューク……揃って私に何の用?」
「あ、あの、探偵さん? わ、ワタシたちと一緒に来て欲しいの。日下部伯爵が悪いことを企んでるんじゃないかと思って、アナタを助けに来たのよ」
透明怪人が説得を試みるも、香子の返事は冷めたものだった。
「日下部伯爵が悪いことを企んでる? 盗人如きが口にしていい言葉じゃないわ」
……違う。これは彼女じゃない。透也は感じた。
彼を『怪人ジューク』と認識しても、記憶の鍵は開かれない。
影男の奴、やっぱりいい加減なことを……! 透也は歯噛みするが、状況は、後悔する余裕すら彼に与えないようだった。
香子はニヤリと目を細めた。
「丁度いいわね、捕まえて実験台にしてあげる」
その言葉を合図とするように、庭から、廊下から、屈強な男たちが入って来た。謀られた――透也は気付いた。
もしや、影男も日下部伯爵の手下なのか……と疑ったが、直ぐにそれを否定する。あいつが黒い魔女に向ける言葉だけは、嘘だとは思えない。
考えられるとすれば、明智香子が偵察中の影男の魔能を察知、影男対策としてこの部屋に侵入者を誘い込んだ、というものだろう。
「逃げるわよ」
と透明怪人が透也の腕を掴む。しかし、香子はせせら嗤った。
「無駄よ……彼らは魔能を見えてるから」
そう云われ、透也は気付いた。男たちは皆、黒い眼鏡をしている。魔能を探知するゴーグルなのだろう。魔能の軍用化は、形に出来る処まで来ているという意味だ。
そこに、庭から犬が飛び込んで来た。大柄な体躯で頭を下げて牙を剥く。
完全に取り囲まれた。観念しなければならないようだ。
こうなったら、透明怪人を逃がすことを最優先に考えるべきだろう。そう思い周囲に視線を奔らすが、ヘルメット越しの視界では死角が多い。
透也はヘルメットを外し、床に転がす。そして透明怪人に囁いた。
「俺が逃げ道を作る。おまえは影男と合流するんだ」
「……アナタはどうする気?」
「一人の方が動き易い。自分のことだけを考えろ」
彼女は透也が捨て身に出ると察したのだろうが、同時にそれより他に策が無いとも理解したのだろう。
「解ったわ」
と呟いて、透也と背中合わせに身構えた。透也も男たちの様子を注視しつつ、刀の柄に手を掛けたのだが……。
どういう訳か、男たちは動かない。一様に戸惑ったように、明智香子に視線を向けている。
その彼女は、まるで「待て」とでも云うように、掌を床に向けていた。俯いた顔から表情は伺えない。
膠着した時が流れる。しばらくして、状況に耐えられなくなったのだろう、静寂を打ち破るように犬が飛び出した。
「逃げろ!」
透也は咄嗟に反応する。透明怪人を押しやりつつ刀を抜こうとしたのだが、ここで思わぬ邪魔が入った。
「彼女に血を見せる気でアリマスか?」
リュウが脳波にそう囁いたのだ。一瞬の躊躇で牙は目前に迫る。透也は腕で身を庇うのが精一杯だった。
……ところが。
犬の牙が腕に喰い込んだ感触はあるものの、圧迫される程度にしか痛みを感じない。不可解に思うも、彼にとって、この感覚は初めてでは無かった。
ゆっくりと腕を解く。するとそこには、ステッキを前に突き出す小林執事の姿があった。
彼はいつも通りの落ち着いた口調でこう云った。
「被験体を傷付けてはなりません。犬を下げなさい」
――彼の魔能『不撓不屈』だ。
漸く男たちが動く。牙を立てる犬を透也から引き離し、庭の奥へと連れて行く。
透也は腕を確認するが、無事なようだ。強耐性スーツに傷も無い……リュウは初めから、小林執事の存在を見越していたのだろう。
「早く云えよ……」
と脳波で抗議するが、リュウは素知らぬ顔でポケットに収まっている。
だが、これで小林執事が味方であると判断するのは早計だろう。先程彼は、透也のことを「被験体」と呼んだ。彼もまた、日下部伯爵の影響の内にあると考えた方がいい。
男たちを下がらせ、小林執事がサンルームに入って来た。そして無言の香子に目を向ける。
「此処は私にお任せを。それで宜しいですな?」
香子は目を伏せたまま、コクリと頭を動かした。
すると小林執事は、ステッキを頭上で横に持ち、足を大きく開く奇妙な構えを見せた。
何をする気だ……? と透也も身構える。すると小林執事は、「刀を抜け」とでも云うように顎を動かした。
「…………?」
意図が解らないが、平等な仕合を求められているのなら応じるのが礼儀だろうと、透也は刀を抜いた。小林執事は満足そうにひとつ頷き、こう云った。
「バリツは紳士の武術。公平でなければいけませんのでな」
「…………」
唖然とする透也に鋭い視線を送りつつ、小林執事は「参りますぞ」の一声と共に踏み込んだ。
ステッキが振り下ろされる。それを刀で受け止めると、彼は身を翻して透也の背後に回る。
すれ違う瞬間、小林執事は透也に囁いた。
「日下部伯爵は何やら企んでおられます」
ステッキを弾いて身を引く。距離を取って刀を構え直し、透也は小林執事の言葉を脳内で咀嚼する。
……これはつまり、彼は日下部伯爵に操られている訳では無く、男たちの視線を誤魔化しながら俺に何かを伝える為の演技をしている、という訳か。
とすると、彼女もまた……。
小林執事の背後で、香子は未だ俯いている。先程のような覇気を全く感じない。
――これは、彼女の記憶の鍵が開いた、ということではないのか。それも、『怪人ジューク』では無く『遠藤透也』によって。
彼の動揺を見抜いたように、小林執事がステッキを前に突き出した。その一撃をいなしつつ、透也は刃をステッキに絡ませた。
小林執事の耳元に囁く。
「奴は何を企んでる?」
「私めに詳細は解りません。しかし、彼を止めなければ、この国の根幹が揺らぐ一大事になるかと」
ステッキが強く押され、透也は振り回される格好で体勢を立て直した。
何だよ……どういうことだよ……? と、脳内で思案を巡らせつつ、今度は透也から刃を繰り出す。小林執事はそれなりに武術の心得があるようで、ステッキを横に構えて一撃を受け止める。
顔を寄せ、老執事は云った。
「今、お嬢様を伯爵から引き離せば、誰も彼を牽制出来なくなります。此処は一旦引き上げてくださりませんか」
ギリギリと睨み合う格好で、透也は一歩踏み込んだ。
「絶対に……絶対に、彼女を護ってくれ」
「貴方様に云われずとも、承知しております」
すると、背後に気配があった。刀を握る腕を取られたと察した一瞬後……透也は明智香子に組み伏せられていた。
後ろ手に床に押し付けられる彼に、彼女は囁く。
「私が道を開けるから逃げて……私は大丈夫。それより、保警局の平井局長に呼び出されてから、国際警察のエルロック捜査官の行方が解らない。嫌な予感がする。彼を探して」
香子はそう云うと、「キャッ」と弾かれたように身を起こし、廊下から覗き見る男たちの中に飛び込んだ。
「彼は危険よ! どんな手を使うか解らない。私たちが足止めするから、もっと人を集めて!」
「は……はい!」
男たちは一斉に散って行く。それを見送り、香子は悪戯っぽく微笑んだ。
「今のうちに、早く」
透也は、そんな彼女を哀れに思った。
自身の置かれた境遇から逃げず、自らの意志を通す強さの中に、本当の自分を押し殺す悲鳴のようなものを感じ取ったから……その叫びは、ニコラのものとも似ている。
しかし、彼に猶予は無かった。
「行くわよ」
透明怪人に促され、透也はヘルメットを拾い、影男の待つ隣室へ向かう。その途中、すれ違いざまに、
「必ず助けに戻る」
と、香子に伝えるのが精一杯だった。




