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東京ファントムウォーズ  作者: 山岸マロニィ
<漆>──魔女と凶犬
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68話 対流

 遠藤透也はその日の朝、麹町の明智邸の前にいた。


 ――昨日、久しぶりに白梅軒へ珈琲を飲みに行った時、思わぬことを訊いたのだ。

「うちの莫迦猫が割りやがった」

 と、派手に補修された硝子扉を横目に、透也は押し殺した声で、お梅の言葉を繰り返した。

「大鳥公爵と大西洋結社が、繋がってる……だと……!?」

 その意味は透也にも解った――大西洋結社は魔能に頼らず、政治的にこの国を手に入れようとしている。

 相変わらず煙管を吹かしながら、お梅は続けた。

「その上、黒い魔女とも接触を持ったらしい」

「何ッ!」

「まぁ、そっちは失敗だったらしいけどね」

 透也はカップに口を付けるが、珈琲の味などしなかった。

 琥珀色の波紋を眺めながら、彼は呟く。

「どうなるんだよ、この国は」

「さあね……」

 そう云ってから、お梅はジロリと彼に目を向けた。

「そう云や、あの女探偵には近頃会ったンかい?」

「いや……?」

 お梅が何故、明智香子の話をしだしたのか不審に思い、透也は眉を寄せる。

「彼女がどうかしたのか?」

「うちの莫迦息子の話だけどね……」


「…………」

 その会話を思い出し、透也は葉の繁った街路樹の枝の上から、屋敷を睨む目を細めた。


 ――彼女はここ数日、東京特務警察の面々と連絡が取れなくなっている。


 何かあったに違いないだろうが、明智家の様子は平穏そのものだった。玄関前は掃き清められ、雨戸が開いている。

「どう思う、リュウ?」

 すると彼の肩で相棒が答えた。

「馬が居ないでアリマス」

「馬……?」

 透也は義眼を調節する。塀に囲まれた敷地の奥にある馬小屋に、確かに馬の姿が無い。

「馬車も無いでアリマス」

「…………」

 それが何を意味するのか。透也が考える前にだが、答えを知る人物が現れた。家政婦の文代だ。

 彼女は玄関を出ると、真っ直ぐに門扉に向かう。新聞受けの朝刊を取りに来たのだろう。

 透也は枝からスタッと飛び降り、門へと向かった。



 ☩◆◆──⋯──◆◆☩



「あの女探偵が、日下部伯爵の屋敷に?」

 ショルメはチェス盤の向こうから、丸眼鏡越しに透也を眺めた。

「日下部伯爵と云うと、帝国評議会の御意見番の?」

「そうだ……幼い頃、両親を亡くした彼女に、経済的支援をしてたらしい」

「しかし、霧生男爵の一件で袂を分かったのだろう。どうして急に接触を?」

「さあな。あの家政婦からは、それ以上のことは訊き出せなかった。おまえの兄貴が彼女の処に居るんだろ? 何か聞いてないか?」

「いや……」

 ショルメは乱雑に束ねた髪をモシャモシャと掻いた。

「流石に同じ本ばかりというのも飽きてね。クリスティの新作が出るのを待っていたところだ」

 薄々、彼ら兄弟の連絡手段は察していたが、これはつまり、兄エルロックとも音信不通になっているという意味だろう。


「どうなってンだよ、全く……」

 ルークを手に盤面を睨むが、全く筋が読めない。そんな透也の視線の先に、ショルメはポーンを三つ並べた。

「考えられる可能性は、三つ」

 と、彼は右端のポーンに指を置く。

「ひとつは、彼女が日下部伯爵に拐われた可能性」

「それは無い」

 透也は断言した。

「あの執事もついて行ってる。家政婦の話ぶりも、そんな雰囲気じゃなかった」

 すると、ショルメは指の下のポーンを倒した。

「次は、彼女が日下部伯爵の説得に応じた可能性」

 ショルメは真ん中のポーンに指を移す。

「まぁ、皆無とは言い切れねえけどよ、霧生男爵の事件の時の様子を見ると、ちょっと信じられねえな」

 ショルメはそのポーンも移し倒した。そして、左端のポーン。


「最後は、日下部伯爵が魔能使いであり、彼女が其れに操られている可能性」


 透也は息を呑む。

 魔能使いである彼女を幼い頃から知り、尚且つ黒い魔女とも縁の深い日下部伯爵もまた、魔能使いであることを否定する材料は、今のところ無い。


 透也は腕を組む。

 そこに、塔の探索に飽きたのか、ニコラがやって来てこう云った。

「悩んだ時はだな、実際にやってみるに限る」

「聴いてたのか……」

「地獄耳だからな」

 ニコラはショルメの横に胡座をかいて、盤面を覗き込む。

「それはつまり?」

 とショルメが訊くと、ニコラは答えた。

「行って本人に訊けばいい」

 そう云って、彼女は勝手に盤面を進めていく。

 透也とショルメは顔を見合わせた。

「どうやって?」

「透明怪人と一緒に行けば見えない」

「けど、相手は魔能使いだぜ?」

「そんなに魔能使いは多くない筈。女探偵と伯爵にだけ注意すればいい」

「伯爵邸なら、門番や警備が厳しいだろう」

「なら、僕の『影』を通ったら?」


 突然、この場に有り得ない声がして、透也は反射的に動いた。

 傍らに置かれた日本刀を抜きざまに、居合の要領で声のした場所に向けて振り上げる。だが刃は虚空を斬っただけだった。


「そんなに敵意を向けないで欲しいな。僕は君と話がしたくて来たんだよ」


 透也の後ろで再び声がした。振り向きざまの一閃もまた、空気の対流を生み出したのみ。


 すると、刀を持つ手を白い手が覆った。

 後ろから包み込むように、もう片方の指先が首筋を撫でる。

 そして、耳元で声が囁いた。

「ねえ、僕、君と仲良くなりたいな」


 ……全身にゾクッと鳥肌が立つ。

 これが色男のフェロモンなのか。こんな甘い吐息で囁かれたら、女ならイチコロに違いない……男でも、ちょっとヤバかった。


 チェス盤を四人で囲む位置に座ると、声の主――影男はフフフと嗤った。

「まだ浅草でのこと、怒ってる?」

「当たり前だろ!」

「ごめんごめん、心から謝るよ。でもね、別に君たちを傷つけたくてやった訳じゃないから」

「絶対に信用しねえ」


 斜め隣の位置で座る影男は、並んで見るとショルメと何処か雰囲気が似ている。嘘吐きが醸し出す空気感だろう。

 しかし、似合わない眼鏡が整った顔を台無しにしているショルメに対して、影男は自らの持つ強みを最大限に活かしている印象だ。間近で見ると、透也ですら怯むほどの美貌をしている。


 黙々とチェスの駒を動かすニコラの手元を眺めながら、影男は云った。

「初めに、僕の立場を伝えておくよ――僕は、忠実なる首領(ボス)下僕(しもべ)さ。日下部伯爵を敵だと思ってるし、大西洋結社なんてのは問題外。首領同様、魔能を怪盗同盟の外に出してはいけないと思ってる」


 そんな彼の様子を観察するうち、透也はあることに気付いた……彼が「首領」と云う時に、何か特別な感情を込めている、そんな気がしたのだ。

 透也は訊いてみた。

「なぁ、おめえにとって、黒い魔女ってどんな人なんだ?」

 すると、影男は迷わず答えた。

「初恋の人」


 これには透也の方が動揺する。頬を紅潮させ、それを誤魔化すように言葉を重ねた。

「け、けど、おめえ、女の子を(たぶら)かして、その、影縫い……いやらしいことしてんだろ!」

 しかし、影男はキョトンとした。

「何の話だい?」

「影縫いとは何か、具体的に説明したらどうだ?」

 ショルメが助け舟を出す。すると影男はハハハと嗤った。

「もしかして、君、勘違いしてるのかい? 『影縫い』とは、ツボを刺激して血行を促進し、女性特有の体調の乱れを改善する施術だよ。指圧の一種さ。冷え性や肩こり、月のモノの不快感などの症状が楽になるらしくてね。打ち身や捻挫にも効果があるんだよ。体が楽になるから、僕の施術を受けた女の子は、僕の虜になってしまうんだ。口コミで話が広まると面倒だから、施術中は眠ってもらうけどね……とは云え、君みたいに勘違いする人も少なくないから、気にしないで」


 透也は呆然とする。気まずい空気に耐えられず、消え去りたい気分だ。

 そんな彼の表情を見て、影男は微笑んだ。

「僕はずっと、首領一筋だよ。これだけは、信用して欲しいな」


 その時、庭仕事をしていた透明怪人が、ステラとリュウを従えて入ってきた。

「ねえ見て見て、こんなに大きなキュウリが収穫できたのー! ……って、なんでアンタがいるのよ?」

 透明怪人は影男を見て目を丸くする。

「知り合いなのか?」

 ショルメが訊くと、影男が答えた。

「うん、彼女も僕と一緒で、怪盗同盟の幹部だから」


 透也は叫んだ。

「こ、こいつが、幹部、だって――――!!」

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