62話 目覚め
三日振りに目を覚ましたショルメは、見慣れた天井と不機嫌極まる遠藤透也の顔を眺めることになった。
「いい気なモンだぜ。こっちはあのガイコツ女を宥めるのに大変だったっつーのによ」
恨みがましい言葉に身を起こせば、幽霊塔の自室である。
ショルメは寝癖だらけの長髪に手を当て、彼の言葉の意味を理解する……恐らく、自分は死にかけたのだろう。
そんな彼を睨む透也は、尚も恨み言を重ねた。
「おめえがあの程度で死ぬ訳ねえのは解ってたし、本当に殺すつもりで兄貴を撃ったんでもねえとは知ってた。けどよ、勝手にリュウを投げたのは赦せねえ!」
「あぁ、あれね……まあ、その、大丈夫だろうなと思ったんだよね」
「はあ?」
すると、彼の襟元までスルスルと緑色のヤモリが登ってきた。
「もう一回、眠りたいでアリマスか?」
「……やめとく。悪かったよ」
――場所を移し、広間。
「心配掛けないで! もう目覚めないんじゃないかって、こんなに痩せちゃったんだから」
と縋り泣く透明怪人を適当にあしらい、ショルメは透也とニコラに顔を向けた。
「説明、した方がいい?」
「うん。ボクは現場を見てないから興味ある」
身を乗り出すニコラに、ショルメは溜息を吐いた。
「どこから?」
「ジャケットの暗号の答え合わせ」
「そこから、ね……」
ショルメはボリボリと束ね髪を掻いた。
――ニコラの推理は正解だった。
ジャケットの数列の意味を、兄を人質として拘束している場所だと察したショルメは、あの夜、床下の落とし穴から幽霊塔を抜け出した後、旧知の人物を頼った。
「自分が兄を必ず助け出す。手出しはするな」
と、軍用ライフルを用意させ、万世橋に向かう。夜の地下鉄工事現場に人影は無い。彼が侵入するのは容易だった。
そして、囚われの兄を発見することになる――。
「……何時間、あそこで奴と睨めっこしてたんだ?」
透也は呆れ声を出した。
「さあね。集中してると時間の感覚が無くなるから」
ショルメはそう答え、透明怪人が差し出した薬湯を口にして顔を顰めた。
「体には良さそうだね……」
「で、どうなったんだ?」
ニコラが胡座の膝を揺らす。
「その辺りは彼から訊いたんじゃないか? カンテラが燃え尽きたのを合図に、奴が人質を奪って、銃を撃ってきた」
「あの時撃たれたのはわざとだろ?」
透也に云われ、ショルメは肩を竦める。
「まあね。ああでもしなきゃ撃ち返せなかったし。でも、撃つ前に君に止められた」
「――罠、だな」
と、ニコラが身を乗り出した。
「どんな仕組みだったんだ? 図面は無いのか?」
「図面は無いでアリマスが、超音波で撮影した3D画像ならあるでアリマス」
リュウは白い漆喰壁を向き、目から画像を投影する。簡単なプロジェクター機能だが、ショルメとニコラは目を丸くした。
「何だおまえ、こんなことも出来るのか」
「早く言えよ、家で活動写真が観えるじゃないか」
「いや、そういうのは無理でアリマス」
ニコラが壁に近付き、目を皿のようにして画像を眺める。
「ふむ、テスラコイルの応用だな。但し、これを喰らえば焼き鳥になる」
「あー、俺の下駄、片方どうなったっけ?」
「知らね」
「でもさ……」
と、ニコラは画像の片隅を指さした。
「この装置、見たことないぞ」
「だろうな……」
透也は言葉を濁した。そんな彼を見て、ショルメは顎を撫でる。
「まぁ、君には礼を言わないとだね。助けられたんだし」
「それは兎も角でアリマス」
プロジェクターを閉じ、リュウが振り返った。
「ショルメの魔能が気になるでアリマス」
「透明怪人とも発動パターンが違いそうだ。どんな感じなんだよ?」
「そうだね……」
――透也が罠から彼を庇った後、ショルメの中で妙な勘が動き出していた。
その未知の感覚が何なのかを確かめる為、彼は目を閉じ集中した。
すると奇妙なことに、この難局を乗り切る為の方策が頭に浮かんだのだ。
彼自身、初めは出血の為に意識が朦朧として夢を見ているのだと思った。しかし、Mが逮捕される場面に至り、これは夢では無いと確信した。
荒唐無稽に近いこの方法が、問題解決への最短……いや、唯一の道。
そう悟った彼は、目を開いた――。
「それが魔能でアリマスな」
リュウが青く縁どられた目をクリンと見開いた。
「ふむ。俺の魔能は未来が見えるのか」
「いや、ちょっと違うでアリマスね……」
リュウはショルメをじっと見上げる。
「――『深慮遠謀』。誰も思い付かないような解決方法を考え出す能力でアリマス……状況から察するに」
すると彼は怪訝な顔で緑のヤモリを見下ろした。
「名前の割に地味だな」
「それはワガハイに云われても知らないでアリマス」
「つまりだ、絶体絶命のピンチに陥った時に、何か解決策が浮かぶってことだな?」
ニコラが興味津々でショルメの顔を覗く。
「チェスでそれを使えば、おまえ、世界チャンピオンになれるんじゃないか?」
「死にかけないと発動しねえし、発動した後は三日寝込むんじゃ、チェスには使えねえな」
三人(?)のやり取りを眺めていた透也は伸びをした。
「要するに、リュウを放り投げて先に罠を発動させといて、ショルメは兄貴を撃った――Mに、人質が死んで用無しになったと思わせる為に。しかし、胸ポケットの身分証の金属エンブレムを狙い撃ちするとは、正気じゃねえな」
「それが銃弾を止めていなければ、心臓を貫通していたと、明智家の家政婦が言っていたでアリマス」
「運が良かっただけさ……」
ショルメは苦笑いを浮かべつつ、酷い味の薬湯を呷った。
――目的の為ならば、互いの心臓を撃ち抜く覚悟は、互いに出来ている。
「でも良かったわ、こうして元気になってくれたんだもん」
空になった薬湯のカップを「ありがとう」と透明怪人に渡し、ショルメは透也に訊ねた。
「ところで、Mはチャーミングな女探偵に逮捕されたのか?」
するとどういう訳か、彼は苦々しい表情をした。
「チャーミング、ね……」
その横で、ニコラが首を傾げる。
「知らない人の顔まで解るのか、おまえの魔能は?」
流石にニコラは鋭い。
直接的な接点は無いが、諜報員として、帝国評議会の重鎮である日下部伯爵と関係の深い明智香子をマークしていたのを、迂闊にも悟られるところだった。
だが彼が誤魔化そうとするより前に、透明怪人が壁際に厭そうな目を向けた。
「それにしても、物騒だし、いい加減自分の部屋に片付けなさいよね」
そこに立て掛けられているのは、Mの日本刀だ。透也が流れで持ち帰って来たのだろう。
彼は癖髪をモシャモシャと掻きつつ、どこか満足気な表情でそれに目を向けた。
「ダガーを失くしちまったから、代わりにこれ使うしかねえんだけど……やっぱ、日本刀ってカッコいいよなー」
「…………」
☩◆◆──⋯──◆◆☩
明智邸で平井局長を迎え、エルロックが立ち上がって握手を求めると、彼は驚いた様子を見せた。
「傷の具合はもう宜しいので?」
「えぇ。この家の家政婦さんは非常に腕の立つ裁縫職人ですので」
「…………?」
それからテーブルを挟んで向き合い、エルロックは平井からの報告を受けた。
「やはり、Mは口を割りません……とは云え、舌を切られて喋れないようにされていますが」
「それがエドガーのやり口です」
執事の運んできた紅茶を受け取り、エルロックは口を付けた。
「結局、弟は我々と共に行動をすることを断ったのですね」
――事件後、ショルメも文代の治療を受けたのだが、遠藤透也が連れて帰った……仲間だからと。
「気に入られたようですね」
「いや、弟が気に入ったんですよ、あの若者を」
平井局長は角砂糖をたっぷり入れた紅茶を愉しむ。
「怪我はありましたけど、Mの逮捕まで出来ましたし、今回は大手柄です――やはり、立役者は弟さんでしょう」
「撃たれましたがね」
エルロックはハハハと嗤う。同じく笑みを浮かべた平井は続けた。
「実は、事件前、現場に行く前に弟さんがうちに寄られましてね」
「ほう、何をしに?」
「狙撃銃を欲しいと。照準が正しくて威力の低いやつ」
「威力の低い……」
「軍用ライフルを少し加工してお渡ししました。それが役に立ったようで何よりです」
エルロックは銃創のあった場所に触れる。文代の治療で跡形もなく治っているが、ショルメの狙撃が半インチでもずれていたら命は無かった。
手に触れた、シャツの胸ポケットに戻しておいた身分証を取り出してみる。大仰な金属エンブレムの中央に穴が穿たれていた。ここに銃弾が引っ掛かっていたから、助かったのだ。
あいつは初めから、こうなるのを解っていたのか……。
エルロックが改めて愕然とその事実を認識していると、平井は不思議そうに眉を寄せた。
「弟さんは、未来を見通す能力がおありなのですか?」
「強いて云えば、未来を思い通りにする力、でしょうか」
エルロックはそう答え、窓に目を向けた。
「執念深いのですよ。現実が理想となるまで絶対に諦めないと云いますか……いつか彼は、大西洋結社を潰すような気がします。自慢の弟です」
見慣れないエルロックの穏やかな笑みに感化されたのか、平井も微笑んだ。
「ではこちらも、Mから何としても大西洋結社の内情を訊き出さねばなりませんな――この国の未来の為に」
立ち上がりかけた平井は、そこで思い出したように内ポケットから何かを取り出した。
「そう云えば、彼が我が家を訪問した夜、貴方に渡して欲しいと預かりましてね」
エルロックが受け取ったのは、一冊の本。タイトルは『The Murder of Roger Ackroyd(アクロイド殺し)』だ。
平井が去った後、エルロックがパラパラとページを捲ると一枚のカードが落ちた。ふたつ折りのそれは、彼が本屋伝てに弟に渡したものだったが、よく見ると文字が書き加えてあった。
「ご配慮痛み入る。しかし、俺は彼らとの共同生活が気に入った。今後のやり取りはこの方法で頼む」
……あの事件の前にこれを渡してきたということは、やはり弟には結末が見えていたのだろう。
「我が弟ながら空恐ろしいばかりだ……」
そしてふと思い出した。
彼は未だに、あの二連式ピストルを持っているのだろうか?
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【ショルメ】(追記)
魔能・深慮遠謀
(考えた通りの事象が現実となる)
発動条件①・生命の危機に瀕した時のみ
発動条件②・物理的に不可能でない事象
発動条件③・思考中は無防備となる
発動条件④・使用後は三日寝込む
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