58話 失踪
夕食の席に、ショルメは居なかった。
透也もニコラも言葉が無い。気まずい食卓で、事情を知らない透明怪人がドキマギと声を出した。
「あ、あのさ、喧嘩でもしたの? 今日は初めてコッコが卵を産んだのに……」
「悪ぃ、ちょっと、な」
透也が云うと、彼女はそれ以上何も言わなかった。
――そして翌朝。
朝食に呼ぶ為、透明怪人が部屋を見に行くと、ショルメの姿はそこに無かった。
朝食の席。
透明怪人はモジモジとこう云った。
「実はね、ワタシが使ってる時計の裏のあの部屋、全部の部屋の監視が出来るの」
どうやら、時計の機械部分を納めた空間に、その設備があるらしい。
彼女の告白にも驚きだが、その後、彼女によって明かされたショルメ失踪の真相がまた驚愕ものだった。
ショルメの部屋に移動する。透明怪人が集めた盗品が林檎箱に収められ、部屋の隅に積まれている以外、殺風景なものだ。部屋の中央に敷かれた万年床もそのままで、部屋の主だけが消えている。
透明怪人はその布団にスタスタと歩み寄り、敷布団を除けた。
すると、床に人ひとり通れる程の穴があった。
「彼の様子が気になって、監視鏡……あ、筒の中に鏡が配置されててね、それの反射で見えるの……それをずっと見てたんだけど、朝まで布団で寝てたから安心してたのよ。ところが……」
と、彼女は部屋の隅に行き、林檎箱に乗って天井に開いた小穴を塞ぐ紙切れを剥がした。
それは、布団でショルメが寝ている絵。
「つまり、おまえの監視を知ってて、その上で床下の落とし穴から出てったと……」
透也は驚きを隠せないまま顎を撫でた。
そう云えば、ショルメにこの部屋の床の仕組みは説明していない筈……単に忘れていたのだが。どうやって抜け穴の存在を知ったのか?
そして、透也たちの目を誤魔化して、一体何処へ行ったのか?
――その後、透也とニコラの部屋。
二人は、謎の郵便配達が投げていった手紙と、ベージュのジャケットを床に並べて考え込んでいた。
どちらにも、長方形を形作るように、アラビア数字が整然と並んでいる。
これに何か意味があるに違いないのだが……。
「俺、こういうの苦手なんだよな……」
透也は腕組みして目を細める。その肩で、リュウもそれらを覗き込んだ。
「暗号のように見えるでアリマスね」
「そうだよな。ニコラ、読めるか?」
赤毛の少女は、胡坐を揺らしてふたつを見比べる。
「ふむ、二桁をアルファベットに置き換えるパターンでも、五十音に置き換えるパターンでも無い。何故なら、数字の羅列が縦も横も奇数だからだ」
「なるほど……リュウの解析は?」
「過去に使われた数千種類の暗号パターンから符合を検証、該当無し」
「お手上げかよ……」
透也はゴシゴシの癖髪を掻く。するとニコラが人差し指を立てた。
「これは逆に、暗号では無いと見た方がいい」
「…………?」
透也は呆気に取られるが、ニコラは素知らぬ顔で手紙の数字を指差した。
「縦に十五行、横に二十一列の数字が書いてあって、横の十列と十一列の間にちょっと隙間がある。それとここに、不自然な染みがある」
ニコラの指が、文字列の下部にあるインクが垂れたような跡を示す。
「この並び方、何かに見えないか?」
「何か?」
うーん……と透也は頭を捻るが、全く分からない。その様子を愉しむかのように、ニコラはニヤリとした。
「時計塔から見下ろした墓地の形だ」
透也はハッとした。ニコラはよく、時計の裏のあの部屋にいるから、墓地の景色を知っているのだ。
「なるほど、数字が墓ってことだな。けど、ショルメは『南から十三列目、東から九番目』と見抜いたよな。それはどういう訳だ?」
「墓を示す数字に意味はない……ひとつ以外は。数字は全部で十種類しかない。だから、ランダムで墓に数字を当て嵌めていくと、普通どこかで同じ数字が被るだろ? けど、上から十三列目、右から九番目のここだけが『0』だ。インクの染みがこの時計塔を示してるとすると、方角も解る」
透也は感心しつつ顎を撫でた。
ニコラに解説されてやっと納得できたが、ショルメは一瞬でこの数字の意味を見抜いたのだ。やはり只者ではない。
「すると、この血文字も同じなのか?」
透也は、手紙の横に開かれたベージュのジャケットの背中を示した。
「そうだろうな、多分」
と、ニコラは頷く。
「だがそれより、このジャケット自体に意味があるんじゃないか? あいつ、包みを開けた途端に顔色を変えていたぞ」
透也は腕組みしてニコラを見る。
「なぁ、あいつ、何者なんだ? 昨日の手紙を見た時の動きと云い、只者じゃねえ。おまえ、何か知らねえか?」
「うーん、知ってるのは、大西洋結社の幹部だったのと、チェスが鬼のように強いのと、足が臭いのと……」
と、彼女は思い出したように顔を上げた。
「兄貴がいる」
「兄貴?」
「うん。何かの時にポロッと云った」
透也は眉を寄せた。
「その兄貴って?」
「多分、云っちゃいけないと気付いたんだろうな、それ以上は云わなかった」
それからニコラは胡座をかいたまま透也に顔を寄せた。
「ボク、あいつをスパイにした設定でよく遊んでたけど、あいつ、めちゃくちゃ嫌がってた」
兄貴、スパイ……。
透也は血文字の染みたジャケットを睨む。
そこから状況を読み解くと、ショルメが結社を裏切ったのは魔能の為でもニコラを救う為でも無く、スパイとしての職務の一環だった。そしてこのジャケットは彼の兄の持ち物であり、彼を誘き出す餌として、兄は拘束されている……。
「あ、あと関係ないかも知れないけど、その当時のことをもいっこ思い出した」
ニコラが胡座の膝をパタパタと揺らす。
「ボクが世話になったヒルダは結社の研究者でな、新型武器を作ってた」
「…………」
「で、暗殺用の武器もあってな。筋力を増強したり、電撃を放ったりするやつ。それを訓練中のアサシンに使わせてるのを見たことがある」
「どんな奴?」
「顔を隠してたから顔は見てない。けど、名前は聞いた。確か――M」
☩◆◆──⋯──◆◆☩
内務省の一室、『東京特務警察』と看板が掲げれた部屋。
中村は資料を眺めながら部屋を見渡した。
ほんの何週間か前まで二人きりだった部署に、今や五十名を越す人員が配置されている。
彼は「室長」と呼ばれるようになり、部下たちから送られてくる情報を整理し判断するのが役目となった。現場一筋だった警視庁時代とは勝手が違うが、現場を知るからこそ下せる判断力は貴重だと、上司の平井から云われた。
先日の明智邸での会談と、昨日平井に聞かされた内容が引っ掛かってはいるのだが、今はやれるべきことをやる迄と、彼は捜査に打ち込んでいた。
すると、外出先から戻った野呂がやって来た。彼は中村に顔を寄せ耳打ちする。
「二日前までのMの所在が掴めました」
「何だと!?」
顔を上げた中村に野呂が囁く。
「帝東ホテルです。ボーイとして潜り込んでいた模様。エルロック捜査官の失踪に関わっていると考えて、まず間違い無いでしょう」
――昨日平井に聞かされた事件だ。
滞在先である帝東ホテルの一室から、エルロック捜査官が失踪。同時に姿を消したボーイの行方を追っていたのだが、まさかそれが大西洋結社の放った暗殺者本人だったとは。
Mの情報は、別口で平井から訊いていた。結社に潜入していた密偵を始末する為という話だったが……。
国際問題に発展しかねない事案の為、この事件は内密に追っている。しかし、野呂と二人で抱え込むには荷が重過ぎると、中村は胃が痛くなる思いでいた。
「奴の狙いはエルロック捜査官なのか?」
中村が眉間を筋立てると、野呂は更に声を低める。
「実は、密偵である『ショルメ』なる人物は、エルロック捜査官の弟なのです」
つまりエルロック捜査官は、未だ行方の解らぬショルメを誘き寄せる為の人質……。
非常にまずい状況だ。
「――で、その情報の出処は?」
すると野呂は、気まずそうに首を竦めた。
「母なんですが……」
「つまりおまえは、昼飯を食いに自宅へ戻っていたと」
「…………申し訳ありません!」
だが中村に責める気は無かった。
彼の母・お梅は、東京の闇を仕切ると云っても過言では無い情報屋なのだ。これ以上確かなネタ元は無い。
「で、女将は何処からそれを?」
「怪盗同盟の幹部、影男」
「何?」
中村は目を瞠る。
怪盗同盟としては、大西洋結社の連中に好き勝手されるのは面白くない。しかし直接手を出せば戦争が起きかねない。
そこでお梅伝いに此方に情報を流してきた、という訳だろう。中村はそう考えた。
「で、今のMの居所は解るのか?」
「残念ながら、そこまでは……」
中村は無精髭を撫でる。
これは早くしなければまずい状況だ。中村と野呂の手に負える案件とは思えない。
と、彼の脳裏に一人の人物が思い浮かんだ。エルロック捜査官の存在を知っており、かつ、これ以上魔能に詳しい者はない人物。
中村は立ち上がった。
「行くぞ、野呂」
「え、何処に……」
「――明智探偵の処だ」




