55話 アフタヌーンティー
明智邸で外国人の来客を迎えるのは初めてかも知れない。倫敦への留学経験のある明智香子に言葉の不安は無かったが、家政婦の文代は戸惑っている様子だった。
「お嬢様、どのようなお飲み物をご用意すれば?」
「イングリッシュスタイルでいきましょう。丁度お昼だもの、アフタヌーンティーで。お紅茶と、焼き菓子やビスケットのような軽食を用意できる?」
「畏まりました、お嬢様」
ところが。
英語で握手を求める香子に対し、その男は流暢な日本語で挨拶を返した。
「初めてお目に掛かります。私は国際刑事警察委員会の捜査官、エルロックと申します」
午後の陽射しに包まれた応接間。
ゴブラン織りの長椅子で、アフタヌーンティーを囲むのは五人。
エルロックと、内務省保警局の平井局長、彼の管轄下にある東京特務警察の中村と野呂、そして香子だ。
エルロックと平井局長が上座に当たる暖炉の前、テーブルを挟んで中村と野呂、所謂お誕生日席に香子が座る。
会談の口火を切ったのは平井局長だ。紅茶で喉を潤してから、彼は静かにカップを置いた。
「前置きは省きます――東京に於ける『大西洋結社』の動きが活発化し、我々は警戒を強めております。そこで国際警察のエルロック捜査官にご協力を仰いだ次第ですが、ここで一度、情報を共有しておこうと思いまして」
そう云って、彼は香子に顔を向けた。
「先ずは、『怪盗同盟』と魔能についてを、エルロック捜査官にご説明しようと思います。特に明智探偵は魔能についてお詳しいと訊き及んでおります。私も書面では把握したつもりでおりますが、実際に現場をご覧になられた明智探偵より、魔能について詳しくお聴かせ願えないでしょうか?」
そこで香子は四人に向き直る。
「その前に、皆様にお話ししておきたいことがあります」
そう云って、少し離れて控える小林執事に目を向けた。
「構わないわね?」
「お嬢様のお考えのままに」
それから一呼吸し、香子は告げる。
「――私は、魔能使いです」
しかし、一同に驚きは無かった。戸惑う香子に、コホンと咳払いしてから中村が云った。
「薄々感じておりました。『暁の名探偵』――夜に起きた事件を夜明け前に解決する。その秘密は、魔能なのですね」
「その通り。しかし、個別の能力については、此処では省きます。私が魔能について詳しい根拠として、お心に留めて頂ければ」
「承知いたしました」
平井局長が深く頷く。
「では、その魔能について。手元の資料によると、七年ほど前から魔能を使う『怪盗』による犯行が散見されるようになったとあります。この辺りの説明から」
「はい。まず、魔能とは、一般的に『黒い魔女』と呼ばれる人物が与える異能力とお考えください。彼女は手下に魔能を与え、『怪盗同盟』を組織しました。構成員の規模は現状不明。ただ、幹部と呼ばれる魔能使いの内、二名が既に死亡しております」
「でも、例外があるんですよね、明智探偵みたいに」
ビスケットを手に取った野呂が尋ねると、香子は軽く頷いた。
「えぇ。記憶にある限り、私は黒い魔女とも怪盗同盟とも無関係です。それから……」
と、彼女は微かに目を逸らす。
「怪盗専門の賞金稼ぎをしていた『怪人ジューク』なる人物にも、魔能があるのではという噂がありますが、彼もまた、怪盗同盟とは無関係かと」
すると、エルロックが軽く手を挙げた。
「我々魔能を知らない者にとって、異能力とはどのようなものかが想像しにくいのですが、具体的にご説明頂く事は可能でしょうか?」
「えー、その辺は実際の事件に準えて、私からご説明しましょう」
中村が膝に手を置き身を乗り出した。
「魔能怪盗の起こした事件は数多くありますが、単純な能力ですと、硝子窓を水のように通り抜けて盗みに入ったり、蜘蛛の巣を投げて一瞬で宝飾品を盗み取ったりといった事例がありました。また、幹部クラスとなると非常に複雑でして、影の中に異空間を発生させて姿を隠したりですとか、霧の中に人の意識を閉じ込めて幻影を見せるなどというものも……」
その話に、エルロックは濃い碧眼を大きく見開く。
「驚きました。そんな能力を使われては、警察では手も足も出ないでしょう」
「左様。ですので警視庁では怪盗に懸賞金をかけ、広く情報を募ったのですが、成果は上がらず。ところが二年ほど前に突如現れた賞金稼ぎにより、多数の怪盗が捕まりました。それが先程、明智探偵の仰った『怪人ジューク』です」
エルロックは手元の書類を捲る。
「怪人ジューク……常人離れした身体能力を持ち、正体不明、神出鬼没であると、公式にはなっていますね」
その時、彼の碧眼は明智香子と中村、野呂が素早く視線を交わすのを見逃さなかった。
エルロックは静かに香子に顔を向ける。
「彼は、一体何者ですか?」
香子はしばらくの間、答えられなかった。香子自身、彼の素性については何も知らないからだ。
思い悩んだ挙句、香子は答えた。
「彼が今、何処で何をしているのか、私には解りません。解っているのは、彼が怪盗を捕まえる目的は、黒い魔女の正体を探り出して魔能を消す為だったこと……そして今の彼は、魔能の悪用を阻止したいが為に動いていること。そのくらいです」
エルロックは眉を顰める。
「魔能の悪用を防ごうとしている彼が何故、指名手配犯として賞金首になるのですか?」
すると、平井局長が手にした書類をテーブルに置いた。
「ここからは他言無用に願います」
平井局長は極めて事務的に口を動かす。
「私の方で調査している内容に関わる部分の為、私からご説明いたします――大西洋結社が東京での活動を活発化している目的は、魔能の獲得と考えております。大西洋結社が関わる世界情勢は、ご存知の通り」
エルロックは心から不快そうな表情をした。
「えぇ。欧米諸国による世界各国……特に亜細亜地域の植民地化に伴い、奴隷貿易、阿片の密輸、不法な土地取引等、犯罪行為が後を絶ちません。ところが彼らは欧米諸国に取り入り、我々国際警察の手の届かない処へ行こうとしています」
そんな彼に同情的な視線を向けてから、平井局長は続けた。
「しかし、本邦への侵略行為は未だ行われておらず、その理由として『魔能』の存在があるのではと考えられております。魔能は正体不明の異能力であり、反撃を受けた場合にどのような影響が出るかが未知数な為です。その為、本邦としては、彼らが魔能を手に入れることは絶対に阻止しなければならない」
彼の口調が厳しくなる。
「そして、怪盗同盟の動向であります――彼らを操っているのは、帝国評議会の日下部伯爵。それは間違い無いかと」
中村と野呂は軽く視線を交わす。香子は黙ってそれを見た。
「生憎、証拠はありません。先日起きた事件で、重要な証人となり得る桐生男爵が死亡した為です。しかし、彼の行っていた行為により、彼の目的は明らかになっています。それは……」
平井局長は声を低めた。
「魔能の軍事目的での利用」
ひりつくような緊張が五人を包む。
やがて平井局長は紅茶を一口飲んで顔を上げた。
「日下部伯爵は保守派の重鎮。彼と桐生男爵との繋がりがこの目的であると仮定した場合、彼らは大西洋結社による侵略への対抗策として、魔能の研究を行っていたのではないかと考えられます」
「しかし、それは妥当な方策ではないでしょうか。世界最強と謳われる『七海艦隊』を擁する大西洋結社にこの国が対抗するには、むしろそれしか無いのでは」
エルロックの発言に、だが平井局長は首を横に振った。
「これは独自の情報ですが……黒い魔女は、魔能の軍事利用に反対しています」
「何と……」
「黒い魔女がいなければ魔能使いは増やせない。しかし帝国評議会としては魔能を使いたい。そこで黒い魔女を通さずとも魔能使いを増やせる……もしくは、魔能を兵器等に封入できる技術の研究を、日下部伯爵は行っているのではと」
そこで野呂が手を挙げた。
「何故、黒い魔女は魔能の軍事利用に反対なのでしょう?」
「ここからは、憶測に過ぎません」
平井局長はテーブルに置かれたティーポットを眺めた。
「黒い魔女は、実は真の平和主義者なのかと」
「盗みや殺しをしておいて?」
「そこに彼女の矛盾があるのですが……例えば、彼女が日下部伯爵に脅迫なり洗脳なりをされているとしたら?」
「…………」
「彼には黒い噂が尽きません。政治資金集めや敵対議員の抹殺に、怪盗同盟を利用しているとも言われています。実際、桐生男爵の行っていた研究らしきものも、極めて非人道的なものでした。黒い魔女は不本意ながら、これまで従順に日下部伯爵の指図に従っていた。ところが何らかのきっかけで、彼女は反旗を翻した……」
穏やかな陽射しだけが部屋を包む。
しかしその暖かな光も、一同に沸き起こった墨流しのように複雑な闇を照らすことは出来ない。
やがて、中村がボソリと云った。
「我々は、どこを向けばいいのでしょう?」
深く息を吐きながら平井局長が答える。
「私にも解りません。しかし今、我々に出来ることは、大西洋結社の動向を徹底的に監視し、怪盗同盟との接触を防ぐこと――魔能の国外流出を防ぐこと。それ以外にありません」




