53話 ノックアウト
留守を確認し、文字盤の窓から時計塔に侵入したMは、様子を伺いながらゆっくりと部屋を移動する。外観の割に手入れされた部屋を抜け、急な階段へと向かう。
そして、踏み段に足を掛けたところで軋みに気付き、ピタリと足を止めた。そっと足を浮かせて床に戻すと、彼は左手に装着したものを前に向ける。
――ワイヤーガン。
それを天井に向け発射。フックを梁に絡めたところでワイヤーに身を預ける。踏み板を踏まずにスルスルと階段孔を降り、ワイヤーを回収する。
物音ひとつ立てない、忍者の如き動きだ。
……その様子を眺める者がいた。
物陰に隠れ首を伸ばす緑色のヤモリと、彼を頭に乗せた鋼鉄のヤドカリ。
彼らは侵入者を予見していた訳では無い。ショルメを見張っていたのだ。
ヤモリは執念深かった。彼を騙した男を信用していなかった。
またヤドカリもショルメを敵と認識していた。以前、彼の主であるニコラを裏切ったからだ。
二匹はそれぞれの主が留守中、得体の知れない同居人が妙な行動を起こさないか、見張っていたのだが。
「……しかし、妙なのが入り込んだでアリマスね」
リュウが囁くと、ステラが
「クピ」
と、小型レールガンを展開する。
「ま、まだ撃つのは早いでアリマスよ。折角手に入れたアジトを破壊したら、透也もニコラも悲しむでアリマス」
そもそも、侵入者が何者で、何が目的なのかも解らない。それを解明する前に対象を破壊してしまったら、この先も同じようなことが繰り返されるだろう。
「あいつ、何者でアリマスか」
リュウは魔能レーダーで探知してみる。しかし魔能の反応はなく、顔認証でも彼のデータベースに合致するものは無い。
その間にも、侵入者はそろそろと足音を忍ばせ、ショルメの部屋へと近付いていく。
「…………」
リュウは検証する。あの男がショルメと出くわし、互いに敵意を持った戦闘となった場合。
「あのショルメという奴、魔能はあるみたいでアリマスが、どんな能力なのかがワガハイにも解らないでアリマス」
「クピ?」
「恐らく、黒い魔女に魔能は与えられたでアリマスが、未だ発動してないんでアリマス」
「ククピ」
「でアリマスからここは、ショルメの身体能力のみを組み込んで検証するでアリマス。相手は忍者っぽい何か妙な奴。ワイヤーガンを使っていたでアリマスし、透也並みの身体能力を持つと仮定。対してショルメは、呆気なく透也に捕まる程度の身体能力」
「ピ……」
リュウは青く縁取られた目を細めた。
「十秒でショルメは死ぬでアリマス」
すると二匹は、同じことを考えた。
「…………ま、それでもいいでアリマスか」
しかし……と、リュウは首を横に振った。
「いやいや、一応は仲間でアリマスし、死ぬのはまずいでアリマス。ワガハイたちが何をしてたかということになるでアリマス」
「クピ」
「ならばワガハイたちに出来るのは、あいつの足止めでアリマス」
「クピッ!」
「……レールガンで脚を吹っ飛ばすのは、最後の手段にするでアリマス。それより先に……」
とその時、リュウのレーダーがもうひとつの侵入者の存在を感知した。それは、思わぬ方向から近付いてくる。
「これは……」
侵入者の背後。唐突に壁が開いて現れたのは、透明怪人。仮面に奇抜なコートドレスと云ういつもの姿だ。
「ぬ? あんな処に入口が……!」
目を丸くしたリュウの前で、彼女は平然と歩いて来ると、手にした一升瓶を迷い無く、侵入者の後頭部に振り下ろした。
「ふざけんじゃないわよー! また知らないのが増えてるじゃないのよー! 何なのよもう! いい加減にして!」
茶色の硝子が砕け散る。
侵入者は一瞬昏倒したが、直ぐに起き上がって身構えた……が、透明怪人の姿は彼には見えない。金髪を血で染めながらも、身を低くして日本刀を抜き、周囲を見回す。
しかし、透明怪人は容赦ない。
「出て行きなさいよ! もうたくさんよ!」
と、近くに置かれた壺を再び侵入者に叩き付けたのだ。
「ウグッ!」
呻く侵入者。飛び散る陶器片。
更に透明怪人は、壺の置いてあった台を持ち上げ、侵入者を殴り付ける。
「ここは! ワタシの! 家なの! おまえは! 出て行くの! 日本語! アンダースタン!?」
ボコボコに殴られる侵入者は、見えない相手に手も足も出ない。
「…………」
リュウは少々侵入者が可哀想になってきた。それに、正体が解らないまま死なれても、それはそれで困る。
仕方なく、リュウは動いた。
ソロソロと背後から透明怪人に近付き、足首に張り付いて放電したのだ。
「――ッたーああッッ!」
透明怪人は飛び上がって足元を確認する。しかしリュウはそそくさと天井へ逃れているから見付からない。
その隙に、侵入者は逃げ出した。一目散に階段へ向かい、ワイヤーガンで階段を飛び抜けて、文字盤の窓から飛び下りた。
その間、僅か二秒……念の為、ステラがレールガンを向けていたのだが、照準を合わせられない速さだった。
「……もう、何なのよ一体……」
一方透明怪人は、脚だけになった台を投げ棄て、仮面を外す。そして、
「運動したら汗が出たわ。顔を洗いたいわね」
と、階下へ降りる階段に向けて歩き出そうとした。
ちょうどそこに、漸く昼寝から目覚めたショルメが部屋から出てきた。
「あーあ、よく寝た。さて、昼飯はどうしようか……」
鉢合わせる二人。
ショルメの存在を予期していなかった透明怪人は、ギクッと立ち止まり素顔を彼に向けた。
そしてショルメは、寝起きで眼鏡を忘れたようで、透明怪人の存在に気付くと、糸のように目を細めて顔を近付けた。
二人の真上の天井に張り付き、リュウは息を呑んだ。一難去ってまた一難。やはりショルメはボコボコにされる運命から逃れられないようだ……と思ったのだが。
ショルメはまじまじと透明怪人の顔を見ながら、こう言ったのだ。
「どこの美人かと思ったら、あの時のレディじゃないか。一緒にランチでもどう?」
「…………」
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帰宅した透也は、広間でショルメにベッタリと身を寄せて座る透明怪人を唖然と眺めた。
「……何があった?」
「さぁな……」
ショルメは束ね髪をモシャモシャと搔いて目を逸らした。
代わりに、ピョンと透也の肩に乗ったリュウが囁いた。
「ショルメは寝起きが悪く、極度の近眼でアリマス。それでも、まさか透明怪人を口説くとは思わなかったでアリマス……」
……透也も人のことは云えない。夢に出てきた赤毛の美少女と浅草に行ったことがある。
一方、透明怪人はしおらしく透也に頭を下げた。
「色々と酷いこと云っちゃってごめんなさい。貴方が提案してくれた通り、一緒に此処に住むことにするわ」
「……まぁ、別にいいけど」
買ってきた歯車を早速弄りつつ、ニコラも新たな同居人を歓迎しているようだ。
「部屋はどうすんだ?」
と彼女が訊くと、透明怪人はショルメの肩に頭を乗せた。
「この人と同じ部屋……」
「時計台の部屋が空いてる」
ショルメは即答した。
「まぁ、いいわよ。覗き穴から見えるし」
「え?」
「いや、何でもないわ」
なんかよく解らないが、仲間が増えたようだ……ピーキーな奴だが。
透也はニコラと顔を見合わせた。
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――一方、Mである。
全身に傷を負った彼は雑木林を彷徨うも、力尽き枯葉の上に倒れた。
「…………」
息も絶え絶えでありながら、だが彼の目は生気を失っていなかった。
――絶対に殺してやる、ショルメ!
心の中でそう呟く。
彼が失敗しない理由――それは、絶対に諦めないから。
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【M】
年齢・二十一
職業・暗殺者
武器・日本刀、ワイヤーガン他
好きなこと・忍者修行
嫌いなこと・諦めること
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