51話 M
――吉原。
左右に花魁を侍らせ、芸妓の踊りを肴に酒を呑む。
しかしエドガーにとって、この遊びは退屈なものだった。
「この国の男はこれで満足するのか」
部下に尋ねると、彼は気を利かせたのだろう、楼主を呼び出し抗議する。しかし言葉が通じない為に口論となり、カッとなった部下は楼主を射殺した。
パニックになった座敷で、エドガーは女たちを好きにした。彼にとって、言葉の通じない者は蛮族であり、家畜同然の扱いを受けるべき対象なのだ。
この日、吉原遊廓は『大西洋結社東京支部』によって貸し切られていた。
彼らの横暴で多くの遊女が涙を流し、遊廓の掟を守らせるべき男たちは血を流した……荒くれ者の彼らにとっても、世界を渡り歩く海賊の集団には敵わなかったのだ。
蹂躙され、許しを乞う遊女たちを見下ろし、エドガーは満足げに嗤った――蛮族はそういう顔で、強者に媚びるべきなのだ。
遊びにも飽きたところで、エドガーはひとつの報告を受けた。
「ショルメが品川に居るという情報はガセだったようです」
エドガーは「おや?」と思った。
当然、偽情報の可能性もあると踏んではいたが、多方面からその情報が入ってきた為、信憑性が否定出来ないと部下を動かしたのだが……。
「うまくやられたな」
恐らく、彼らを品川に集める為……もしくは、一度品川を調べさせてショルメを安心させる為に、わざと情報を流した……。
偽情報を流したのがショルメ自身という可能性も無くはないが、組織力がなければここまで広める事は出来ない。
一体、どんな組織がこの一件に絡んできたのか。
「偽情報の出元を調べろ」
エドガーは部下に命じた。
――それからエドガーは、ある人物を呼んだ。
エドガーに似た金髪と灰色の瞳をしている癖に、妙に日本かぶれの格好をした若い男。黒の覆面で鼻から下を覆い、黒い小袖にたっつけ袴、そして日本刀を持ち歩いている。組織に居るとある日本人の影響らしい。
冷たい切れ長の目元も合まい、「ニンジャ・ボーイ」と揶揄されているが、本人は褒め言葉だと思っているようだ。
「吉原を楽しんでいるか――M」
エドガーはにこやかに話し掛けるが、跪くMは返事をしない……言葉が発せられないよう、舌を切ってある為だ。
暗殺者となるべく育てられた為、捕まった場合にこちらの情報を敵に与えないよう、徹底的に訓練されている。舌を切ったのもその一環だ。
また、性欲に惑わされぬよう処置もされており、女と見紛うほど細身である。
そして奥歯には、毒入りの義歯……。
一体、何が楽しくて生きているのかと、エドガーはMを見る度に思う。
しかし、そんな境遇にあろうとも、彼は裏切りはしない――何せ、エドガーの息子なのだから。
エドガーは世界各地に子供がいる。そのうち、蛮族では無く、敗戦国の王女との間に出来たこの息子は、王女が産後間もなく自害してしまった為に引き取らざるを得なくなった。
丁度いいと殺し屋に仕立ててみたら、なかなかの才覚を発揮した。名前などどうでもいいから「M」という記号で呼んでいる。言葉も家の再興も奪われた亡国の王子は、こんな扱いを受けても父に膝を屈するしかないのだ。
エドガーは少々回りだした酒精に顔を赤くし、お猪口を畳に投げた。
「この国の酒は不味いが酔える。おまえもどうだ?」
お銚子を差し出してもMは動かない。どんなに呑まされても酔わない訓練を受けているから、酒の面白みを知らないのだ。
フン、と鼻を鳴らしてから、エドガーは云った。
「――ショルメを殺れ」
するとMは立ち上がった。そして父に背を向け去っていく。
エドガーはニヤリとお銚子ごと酒を呷る……これで奴の命運は尽きた。
Mは、失敗したことがない。
☩◆◆──⋯──◆◆☩
――早朝、横浜港。
貨物船に便乗してこの港にやって来た男は、すぐさま係留されているエドガーの高速船を発見した。
「話は本当だったのか」
と、彼は舳先に掲げられた紋章を一瞥してから入国ゲートへと向かう。
耳の長さで刈ったプラチナブロンドの髪が潮風に靡く。濃い色のシャツにベージュのジャケットを羽織っただけでは、この時間の潮風は冷たい。彼は濃い碧眼を細め首を竦めた。
入国審査官にビザと身分証を見せると、彼は物珍しそうにそれらを見比べた。
「国際刑事警察委員会、と……会議か何かで?」
「捜査です」
「おや、国際指名手配犯でも来ているのでしょうか?」
「えぇ……特級の奴が」
すると職員は目を泳がせた……密入国を賄賂で許したのがバレやしないかと心配なのだろう。だがそれはこの国の問題であり、彼には関係ない。
彼は正規の手続きを済ませると港を出た。
そこで彼は、内務省の役人と落ち合うことになっている。
建物を出ると、既に生真面目な公僕は待っていた。
「――国際刑事警察委員会のエルロック捜査官ですね?」
流暢な英語で話し掛けられ、エルロックは流暢な日本語で返した。
「ええ。あなたが内務省保警局の平井局長ですか?」
お互い握手を交わし、馬車に向かう。
平井という男は、地位に驕らない気さくな人物だった。年功序列が重んじられると訊くこの国で、この若さで重職にあるというのは、信頼が厚いのだろう。
馬車に腰を落ち着けるなり、早速平井は語りだした。
「エドガーが来日したとの報を弟さんから頂きまして、ICPCにご連絡した次第ですが、随分と早いお着きでしたね」
「丁度香港に居まして。これ幸いと貨物船に便乗しました……弟は、元気にしておりましたか?」
「えぇ……ですが近頃、結社の連中が騒がしいようで。まあ、社長が来日したのもありますが……」
と、平井は軽く目を伏せた。
「エドガーはどうやら、Mを連れて来ているようです……その目的は判りませんが」
平井の含みのある云い方に、エルロックは鮮やかな碧眼を一瞬だけ細め、だが直ぐに前を向いた。
「諜報員の宿命です。弟も覚悟の上でしょう」
「日本の警察としても、彼の身柄保護に全力を尽くしますが、この国始まって以来の状況に、正直、力不足を禁じ得ません」
「あの男は特別です――『クランの凶犬』は」
大西洋結社社長エドガー、通称『結社の凶犬』。
一級国際指名手配犯に指定される凶悪犯だ……一応は。
しかし、欧州諸国に取り入り、七海艦隊を掌握した今、彼を犯罪者と呼べるのか、エルロックには解らない。
実のところ、ICPC内でも彼の国際指名手配を取り下げるべきという論調が起きている。勝てば官軍……海賊団の首領に過ぎなかった男は、国という権威に護られる立場となったのだ。
現状、エドガーを追うのはエルロックただ一人――弟との約束の為、彼は絶対に降りないと、心に誓っていた。
馬車は横浜を過ぎ、東京へ向かう。
車窓を流れる情景を眺め、エルロックは呟いた。
「無事でいてくれよ……ショルメ」
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【エドガー】
年齢・四十九
異名・クランの凶犬
役職・『大西洋結社』社長兼『七海艦隊』総督
好きなもの・従順な女
嫌いなもの・無能な部下、蛮族
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