49話 落城
――またまた白梅軒。
「――ッッたく、一晩っつー話じゃ無かったンかい! もう一週間だよ。しかも、汚ねえ外国人なんか連れて来やがって!」
お梅はおかんむりだが、透也は嗤って誤魔化した。
「後で外の水道を貸してくれよ。洗っとくから」
ショルメは本当に浮浪者生活をしていたのか、出されるもの全てを平らげた。その上、
「この国で本格的な珈琲を飲めると思わなかった」
と、優雅にカップに口を付ける……ニコラも流暢に日本語を喋るが、彼も全く違和感なく日本語を話す。お尋ね者の癖に余りにも堂々としているところが、なんか苛つく。
透也は横目をショルメに向けつつ、牛乳を貰ってご満悦のニコラに囁いた。
「本当に大丈夫か、こいつ」
すると、ニコラが云った。
「Gμν=Rμν-1/2Rgμνと仮定した上で幾何単位系を説明せよ」
「Gが宇宙原子量学に於けるエネルギーテンソルを示す数値とすれば、Rは継続的な運動量に対しての相対的な可変質量を示している。例えば……」
似合わない丸眼鏡をクイッと持ち上げ、ツラツラと語るショルメに透也は目を丸くした。
「アインシュタインかよ……」
「内容はデタラメだぞ」
ニコラはニッと歯を見せる。
「だからハッタリの天才だ」
透也は呆気に取られるしかない。
その後、「眠い」と云い張るショルメを裏庭の水道で洗ってやると、意外と若い。二十代半ばくらいだろうか。しかも、眼鏡を外せばなかなかの美形だ。
ずぶ濡れの長髪をニコラに弄ばれ、クシャミを連発しながらも、その後彼は、店の奥でニコラと並んで眠りこけた。
「…………」
透也は二杯目の珈琲を飲みながら、妙に寝間着が似合うおかしな外国人を横目で眺める。
「……で、何者なんだいアレは」
長煙管を吹かすお梅に睨まれ、誤魔化し切れないと透也は云った。
「大西洋結社のお尋ね者」
するとお梅は目を見開いたが、その後心底呆れた顔で特大の溜息を吐いた。
「本当に莫迦だよアンタは。何でこうも煙が立ってる処に飛び込んでくんだい」
「煙が立ってんのか?」
さりげなく透也が突っ込むと、お梅は一瞬「しまった」というように目を泳がせた後、諦めた様子で答えた。
「内務省が直々に調査を始めた。奴らは魔能を手に入れようとしてる」
「…………」
「この国の直ぐそこに、奴らの毒牙は迫ってんだよ」
透也は空のカップをカウンターに置き一息ついた。
「悪ぃな。何時も世話掛けて」
「今更何だい」
お梅は長煙管を弄びつつ透也を見下ろす。
「幽霊塔が手に入りゃ、しばらくは来なくても済むと思う」
「そう云う処だよ、アンタの欠点は」
お梅はそう云うと、火皿の灰を棄てて腕組みをした。
「中途半端に面倒掛けて、自分で背負い込もうとして。最後まで甘えりゃいんだよ――それが、大人の仕事さ」
そんな悠長な事を云っていられるのも今だけかもしれない――と、透也は気付いていた。
これまで、黒い魔女を殺す事だけを考えてきた。
しかしこれからは、黒い魔女の存在が、この国の――いや、この時空線世界の未来を決める事になるのだろう。
透也は使い込まれたカウンターの木目を睨む。
「黒い魔女は、何を考えてるんだろうな」
「今の処、怪盗同盟の連中が大西洋結社を迎合する様子は無いね。それに、日下部伯爵と関係が深い霧生男爵が怪盗同盟に始末されたって事は、黒い魔女は、魔能で大西洋同盟と対抗しようっていう帝国評議会の思惑も蹴ったって事さ」
透也は目を細めた。
「これからは、死ぬ気で黒い魔女を護らなくちゃならない……そういう事なんだな」
そんな透也を、お梅は黙って見下ろしている。
お梅は、彼がどんな境遇で育ち、どんな目的でこの世界にやって来たのかを知っている。その目的を覆してまでこの世界に干渉しようとする彼を、哀れに思ったのかもしれない。
お梅は小さく息を吐くと、カウンターに手を置いた。
「アンタは手を引きな。こっからは、こっちの世界の人間の役目だ」
「そうはいくかよ。この世界での出来事が、未来に繋がってんだから……これから、もっとヤバい状況になると思う。そんな俺がこの店に出入りしちゃ……」
「私を誰だと思ってやがる」
透也が見上げたお梅の顔は、菩薩のように穏やかだった。
「浅草の白梅だよ――此処は治外法権。誰にも手を出させやしない」
☩◆◆──⋯──◆◆☩
――翌日。
雑司ヶ谷の墓地から幽霊塔を見上げたショルメは即答した。
「三日後の夜に、この城は落ちる」
「…………はあ?」
透也は、丸眼鏡越しの碧眼と幽霊塔とを見比べる。
「どうやって?」
「うーん、昼間だけ、その辺で座ってようか、墓地が一望できる場所で」
「…………?」
「ただ座ってるだけじゃ退屈だな。読書もいいが、折角三人居るんだし、何かゲームをしよう。トランプがいい。持ち金一人百円で、一ゲーム幾らかベットする。勝者が総取り」
「おい、ふざけてんのか?」
しかし、ニコラはニヤニヤとするだけだ。
「まあ見てなって。こいつは嘘吐きだが、結果だけは信用出来る……特に、金が絡む時は」
――一日目。
「…………クッソ! 全部持ってかれた!」
茣蓙に胡座をかいて膝を叩く透也を、ニコラとショルメは余裕の表情で眺めた。
「初日からこれでは賭けにならないな」
「十円、貸すぞ?」
ニコラが差し出した硬貨を仕方無く受け取り、透也は奥の手を提案する。
「明日からはリュウを俺チームで参加させる。異論は認めない」
――二日目。
「それはズルいでアリマス! ルール上認められない行為でアリマス!」
透也の頭でリュウが叫ぶ。しかしショルメはケロッと答えた。
「ルール? 知らないなぁ。誰がいつ決めたんだ?」
「詐欺だ! インチキだ! 貴様、ふざけやがって……!」
透也も激昂するが、ショルメは小銭を数えるのに忙しく、聞いてはいない。
「二十円、貸すぞ?」
ニコラが差し出した硬貨を透也はふんだくった。
――三日目。
持ち金を失ったどころか百円の借金を負った透也は、鴉の声が響く夕空を見上げた。
そして、チャリンと手の内で硬貨を鳴らすニコラが囁いた言葉に愕然とした。
「あのトランプ、手品用のインチキだって気付かなかったのか?」
膝を抱えタンポポを見つめる透也を横目に、ショルメは大欠伸した。
「帰ろ帰ろ。腹が減った……そう云えば、今日はこの国で『彼岸』と呼ぶ日だそうだな。この国は行事毎に特定の料理を食べる風習があると訊く。女将はどんな夕食を用意してくれるのか」
「図々しいぞクズ野郎」
「ボタモチだ。餅を餡子で包んだやつ。ヒルダに聞いたことがあるぞ、秋はおはぎで春は牡丹餅。おんなじものだけど名前が違う。ほら、お墓にお供えしてある」
ニコラが墓地を指差す。するとショルメが、
「折角だから買って帰るか、金はある」
と、たんまりと膨れた巾着を懐から覗かせた。
バリバリの外国人の癖に、「着丈が合うのがない」と女将に渡された着物と袴がやたら似合うのが余計に腹立たしい。滑らかな長髪を雑に束ねているが、容姿は悪くないから妙に格好がつくのだ。
そんなショルメを睨みながら、透也は膨れ面で返した。
「今頃行ったって、どこの店も売り切れだよ。この辺りは閉店が早い。墓地を出る頃にはどこも店仕舞いさ」
「それは残念……」
ショルメは名残惜しそうに云うと、チラリと幽霊塔に目を向けてから歩きだした。
☩◆◆──⋯──◆◆☩
――その夜半。
雑司ヶ谷の墓地を彷徨う影があった。
骸骨のような肢体で墓から墓へと移動するその影は、とある墓の前で脚を止める。そして、供えられている牡丹餅に手を伸ばし……
「みーつけた」
と、懐中電灯の明かりに照らされ、両手で仮面に覆われた顔を隠した。
それを眺め、透也はニヤリとする。
「腹減っただろ。土産に弁当、持って来てやったぜ」
包みを受け取り、影――透明怪人はその場に泣き崩れた。
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【ショルメ】
年齢・二十六
能力・不明
特技・人を騙すこと
好きなこと・昼寝
嫌いなこと・労働
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