39話 眠り姫
放り出された場所は、森の中。
「――――!!」
針葉樹の枝に背中を何度もぶつけ、苔のむした地面へ落下した透也は呻き声を上げる。
「……ッたく、高さの座標計算をちゃんとしろって、何度も云ってんだろ」
「容積変化を伴う転移は初めてでアリマシたから」
フワフワの苔に着地したリュウは、ケロッと透也を見上げている。
諦めて溜息を吐きつつ、透也は起き上がった。木の根を超えて転がってきたステラも無事なようだ。
「……で、此処はどの辺りだ?」
「あちらの方角に城が見えるでアリマス」
リュウが鼻先で示した彼方の山の上に、確かに城がある。
「めちゃくちゃ距離があるだろ」
「文句を云っていても仕方ないでアリマス。さっさと行くでアリマス」
そう云いつつ、リュウは透也の肩によじ登った。
鬱蒼とした針葉樹林。しかも、霧で視界が悪い。こういう場所ではワイヤーガンを使えない。且つ、腐葉土に苔の深い地面はやわらかく、電磁バネが効かない。その為、自分の脚で歩くしか無い。
登山のような構えで進んでいく。透也は体力に自信はあるものの、瞬発力に特化しており、長時間の行軍には向いていない自覚はあった。横を転がってついて来るステラの方が、余程こういう移動に向いている。
透也は途中で音を上げリュウを睨んだ。
「もっと城の近くに落としてくれよ……」
「何度も云うでアリマスが、容積変化を伴う転移は前例が無く、計算にズレが生じたのでアリマス。ちゃんと瓶の中に転移出来ただけ感謝するでアリマス!」
「わーったよ。ッたく、おまえはいいよな、運ばれてるだけだし」
「ワガハイが無駄に歩けば、帰りの転移が出来なくなるでアリマスよ」
「……すいませんでしたリュウ大先生」
とは云え、歩けば進むのは世の摂理であり、透也の脚が棒になる頃には、城を見上げる場所まで到着した。
そこで脚を止めた透也は、肩で息をしながらリュウに訊く。
「この世界での時間経過はどうなってる?」
「幻影の世界でアリマスから、時間という概念は存在しないと考えられるでアリマス。しかし、それは幻影の内部にあるモノに対してであり、実体として外部から侵入した我々にその概念が通用するかは微妙でアリマス」
「なるほど」
「もうひとつの考え方として……我々は現実世界よりも縮小された状態でアリマス。例えば、ゾウよりもネズミの方が寿命が短いように、我々の中の時間の流れが現実世界より早くなっている可能性がアリマス」
「モタモタしてるとジジイになるのか」
「まぁ、そういうことでアリマス」
透也は城の様子を観察する。
『眠り姫』の物語の通り、城の周囲は深い茨で閉ざされている。その先の最も高い尖塔のてっぺん……あそこにニコラは眠っているのだろうか。
「確か、姫は呪いで百年眠って、王子様が来たら茨が消えるって話だったよな」
「透也が王子様であれば……でアリマスな」
試しに茨に近付いてみる。ところが、茨は道を開けるどころか、蔓を伸ばして透也を巻き込もうとする。
ダガーで蔓を払い退却し、透也は舌打ちした。
「まだ百年経ってないのか……」
「透也が王子様でない可能性も……」
そこで透也は手を打った。
「ドローンで飛べばいい」
「しかし、あのポンコツドローンは、せいぜい十分しか飛べないでアリマスよ」
「充分だろ……行くぞ」
ステラを抱え、バックパックを解放し、ドローンを起動する。折り畳まれたそれは形状を復元すると同時にバックパックから飛び出し、繋がったワイヤーで透也を宙に運ぶ。
急角度で茨の森を飛び越え、尖塔のてっぺんの窓に到達するまで、三十秒と掛からなかった。
窓枠に着地し、石積みの塔に入る。薄明かりにほの白く照らされた室内は、乙女趣味な調度品に囲まれていた。
――そして、部屋の中央に垂らされた天蓋の中で、ニコラはスヤスヤと眠っていた。
ステラの推理は当たったようだ。
透也はそっと彼女に近付き、声を掛けた。
「迎えに来たぞ、ニコラ」
ところが、彼女は目を覚まさない。瞼を閉じ、静かに寝息を立てている。
「おい、起きろって」
と、透也が肩を小突いても結果は同じ。
すると、ベッドに降りたリュウが彼を見上げた。
「眠り姫の目を覚ますおまじないがアリマス」
「…………」
「それをしないと、眠り姫は起きないでアリマス」
透也の手からステラが転がり出てリュウと並ぶ。そして脚の根元の目を彼に向ける。
「クピ」
「……いや、それは色々と問題あるだろ。ニコラは子供だし……」
「でも、そうしなければニコラは目覚めないでアリマスよ」
透也は腕組みして二匹を睨む。しかし二匹は期待する目でじっと見てくる。
透也は諦めた。
「わーったよ! 但し、見るな。超音波やサーモグラフィーで感知するのも無し。いいか、あっち行ってろ」
リュウを乗せたステラが部屋の隅に行くのを確認し、透也は溜息混じりにヘルメットを外した。
ニコラは相変わらず眠っている。僅かに微笑むような表情は、透也の知っているものよりも遥かに穏やかに見えた。
「…………」
透也は意を決してベッドの傍らに膝をつく。そして……
そっと、唇に唇を触れた。
顔を離した瞬間。
ラムネ瓶のように透き通った瞳が視界に入り、透也は慌てて身を起こした拍子にひっくり返った。
「おおおまえ、め、目が覚めた、のか」
ベッドに起き上がったニコラは、透也を見下ろして眠そうな目を擦った。
「ううん、起きてた」
「……はあ?」
「誰が来るのか、気になって待ってた」
「…………」
呆れと憤りのごちゃ混ぜになった感情そのままに、透也は立ち上がった。そして腕組みしてニコラを睨んだ。
「なら、さっさと起きろよ」
「やっぱ寝る」
「寝るな!」
透也は乱暴にニコラの腕を掴み、ベッドから引き摺り出す。
「早く現実世界へ戻るぞ。でなきゃ、俺がジジイになっちまう」
「ジジイ?」
「いいから来い!」
ところがニコラは透也の手を振り解き、逆に透也の手を掴んだ。
「外に出るのは厭。此処に居る」
「は?」
「此処はボクの城。だから、此処に居る。外の世界は好きじゃない。辛いことばっかだし。でも此処なら、何でもボクの思い通りになる――透也も一緒だよ」
その途端。
窓の外が暗くなった。目を向ければ、茨の蔓ですっかり覆われている。
「おい……」
透也の背筋に悪寒が奔る。
――幻影世界に心を囚われれば、心は現実世界を拒絶する――
霧生男爵の言葉の意味が頭を過ぎる。
そんな透也に、ニコラは続けた。
「逃げようと思っても無駄だよ。この城はボクの思い通り。塔の階段も茨で塞いだし、窓からも出られない。死ぬまで一緒に此処で暮らすんだ」
子供とは思えない握力で掴まれる手を、透也は見下ろす。
「何を云ってるんだ……」
「パパもママもヒルダも神父さまもいる。後で紹介するよ。ボクの幸せが詰まった城なんだ。透也が来てくれて嬉しい」
――これはまずい!
透也は叫んだ。
「一旦退却だ! リュウ、出口の確保……」
「ダメ」
まるで意思あるもののように、窓から、出口から、壁や床の隙間から現れた茨の蔓が、触手のように透也の手脚に絡み付いた。蔓は束となり柱になって、透也を磔にする。
「クッ……!」
茨の棘がギリギリと締めてくる。強耐性スーツのお陰で、この程度ならば傷は受けない筈だが、凄まじい圧が四肢と体を拘束する。
それを見ながら、ニコラは口ずさむ。
「Who'll be chief mourner? (誰が弔う あなたの葬式)
I, said the Dove,(それは私と鳩が云った)
I mourn for my love,(私は愛する人を悼む)
I'll be chief mourner.(私があなたの喪主になる)」




