37話 生生流転
透也は博士の論文を手に、タイムマシンの最終チェックをしていた。
……といっても、このドラム缶はただの容器で、時空転移を行うのはリュウなのだが。
「強度的には問題無さそうだ。けど、こんなのでよく時空転移なんかしたよな、俺たち」
と、彼は『時空干渉理論』と題された論文に目を通す。
「これは相対性理論を発展させたものであり、一定空間内の質量の落差を人工的に発生させることで、過去へも時空転移が可能であることを証明するための理論である……って、何度読んでもよく解らねえ」
すると、リュウが口を挟む。
「つまりでアリマスな、E=mc²を基本として、mに限定的な制約を加えることでエネルギーの方向性を……」
「難しいことはいいや、実際出来たんだし」
透也はパラパラと論文を捲る。
魔能が至上とされ、科学が野蛮なものとされたあの時代、博士の論文が世に出ることはなかった。それでも、人類の進歩には科学が必要不可欠と信じ、博士は寝る間を惜しんで研究を続けていた。
研究所にあったのは、博士自作の実験装置と、いつの時代のものかも解らないコンピュータと、紙の束。
この論文も全て、博士が自作の鉛筆で手書きしたものだ。
それだけの情熱を研究に注ぎながら、何ひとつ人類の未来を変えられぬまま、博士は……。
不意に視界が滲み、博士の論文を濡らすまいと透也は慌てて頁を閉じた。ところがその拍子に論文を取り落とし、透也は目を擦りつつ前屈みに拾い上げる。
――すると、最後の頁が目に入った。
博士の署名が記されたその横に、明らかに博士の筆跡でない文字が書き込んである。
「…………?」
透也はその走り書きを目で追う。すると、リュウがピョンと肩にやって来た。
「もっと良い未来にする為に、この論文を使います。ごめんなさい――丸山明子……誰でアリマスか?」
「さぁ……」
あの時、こんな書き込みを見ただろうか?
記憶を探っていると、透也は別のことを思い出した。
「そうだ、何でこの論文を持ってきたかを忘れてた。あの時、おまえにこれを読み込ませて、時空転移装置を完成させたんだったな」
「そうでアリマス。しかし今のワガハイには既にセットアップ済でアリマス」
「そうだな……やるか」
痩身をドラム缶に潜り込ませ、蓋を閉じる。普段からパルクール顔負けの動きをしているから何とかなるが、それでもなかなか窮屈だ。しかも、真っ暗闇。
「……あ、そういやあヘルメットが無いぞ」
透也が訊くと、抱えた膝の辺りでリュウがモゾモゾとした。
「ここは幻影の世界であり、透也は意識のみの存在でアリマス。透也が大丈夫と思えば大丈夫でアリマス……多分」
「多分かよ! ……まぁいいや。行こうぜ」
リュウが集中しだす――それに伴い、鮮やかな緑と橙の縞模様が発光する。
「転移物体の容積及び質量を計測中……座標を確認……質量変異範囲を特定……」
そして、眩いばかりの光を発した。透也は瞼を閉じる。
「――時空転移システム『生生流転』、発動」
激しい揺れが透也を襲う。上下左右の感覚すら失い、意識は暗転した――。
☩◆◆──⋯──◆◆☩
「――うわっ!」
目覚めた途端、透也は寝台から転がり落ちた。
そして、頭がクラッとした途端、頭からヘルメットを叩き付けられ電撃を喰らう。
「…………」
床に座り込んでヘルメットの位置を直しつつ、透也は彼を見上げるステラとリュウに目を向けた。
「事情は解った。部屋に催眠ガスが充満してるから、目覚めた瞬間にヘルメットを被せて覚醒させる必要があった、と」
「そうでアリマス。あれだけ苦労して透也を起こしたでアリマスから、また眠られたら堪らないでアリマス」
「だけどさ、もうちょい、何つーか、手心と云うか……」
「ヤモリとヤドカリに手心を期待するのが間違いでアリマス」
「まあいいや……ありがとな」
仕方無く、透也はヘルメットとボディスーツとの接続を確認して立ち上がった。このヘルメットはガスマスクにもなる為、持って来て正解だった。
それから隣の寝台に目を向ける。
そこでニコラは眠っていた。脈を取るが異常は無い。いい夢を見ているのだろう、幸せそうな顔をしているのが救いだ。
薄暗い部屋を見渡せば、リュウからの通信で見た光景が広がっている。雇われたのか、それとも騙されたのか。不運な男たちが並んで眠りこけている様子は異様だ。
そして、漂う香の煙――先ずはこの催眠ガスを何とかするべきだろう。
透也は義眼を起動する。鮮明になった視界で霧の流れを確認すれば、部屋のあちこちに香炉が置かれているのが解った。
次に向かうは窓。閉ざされた小窓を蹴破れば、白々とした光が差し込む。窓の外は木立に囲まれ、シンと静まり返っていた。壁の様子から、どうやらこの建物は土蔵のようだと、透也は察した。
広い敷地に建つ大きな土蔵。「男爵」と云うのもあながち嘘では無さそうだ。
その窓から、透也は手当り次第に香炉を投げ棄てた。
窓から入る柔らかな風が霧を薄めていくが、やはり男たちは目を覚まさない。あの瓶の中の城に、意識を封じられているからだ。
それはニコラも同様だった。
小さな体を抱えて窓際に連れて行き、新鮮な空気に当てても、彼女の瞼は開かない。
「ニコラの意識も、あの瓶のどれかに閉じ込められているんだろう。瓶を割れば死ぬとも奴は言っていた。リュウ、どうすればいい?」
ニコラの胸元で様子を見守っていたリュウは、
「さっきの逆でアリマス」
と答えた。
「透也がニコラの瓶の中へ瞬間移動するでアリマス」
「その手があったか! ……いや、大きさ的に無理だろ」
「いいでアリマスか? 『時空干渉理論』と云うのは、時間だけでなく空間にも影響を及ぼすことが可能であり、それはつまり、質量に於ける物質の密度を……」
「要するに、あの瓶の中に入れるってことだな!」
「まぁ、そう云うことでアリマス」
ニコラを抱えたまま透也は出入り口の扉に向かう。外から施錠されたそこはステラがぶち抜く……一応、威力の調節は可能なようで、最小限の被害に留められた。
土蔵を出た先は渡り廊下になっており、その先は洋館。リュウがレーダーで間取りを探る。
「瓶の飾られた部屋には、確か窓が無かったでアリマスな」
「云われてみれば」
「だとすると、屋敷の中心にある、正方形のこの部屋」
義眼に送られる見取り図に従い屋敷を進む。しかし、誰も居ない。霧生男爵どころか、使用人の一人も見えない。手入れが行き届いていない部屋には蜘蛛の巣が垂れ、駆け抜ける拍子に埃が舞う。
生活感の無い部屋部屋は、霧生男爵の醸す妖怪じみた生気の無さを示しているようだと、透也は思った。
――そんな中でも、瓶の並ぶこの部屋だけは整っていた。
壁に飾られたボトルキャッスルの数々に埃は無く、粛然と置かれた椅子とテーブル、そして今は煙を吐いていない香炉も、この部屋の主だけが煙と消えたように、緊迫感を漂わせている。
しかしこの状況で、霧生男爵は何処に行ったのか?
透也は厭なものを拭い切れないまま周囲を見渡した。
四方の壁に打ち付けられた金具に載せられた瓶は百を越す。土蔵の男たちより明らかに数が多い。これは、意識を奪われているのは、あの男たち以外にも多数存在することを示しているのではないか。
とりあえず、透也はニコラを椅子に座らせる。すると肩でリュウが嘆いた。
「しかし、この内のどれにニコラが居るかは、ワガハイにも見当が付かないでアリマス」
「確かにな……」
と透也は、黒く焼け焦げた不格好な塔を封じた瓶を手に取り、床に叩き付けた――これだけは絶対に無い。
ついて来たステラも、六本脚の付け根の目をクリクリさせて見回すが、探し出せないでいる。
「…………」
透也は腕組みしてひとつひとつの瓶を観察していく。西洋風の城が多いが、姫路城のような和風の城や、紫禁城のような中華風の城、アラビアのモスク、ピラミッドも少なくない。そのどれもが精巧に造られており、周囲に森や草原のジオラマを配し霧が漂う。
透也の肩でリュウが云った。
「この城の中で、眠れる男たちは一体何を考えているんでアリマスかね」
「殿様気分、ってとこか?」
すると、リュウが透也の正面の瓶にピョンと飛び移った。
「透也の幻影世界を見ると、瓶の中の世界は封じられた意識に従った姿になるでアリマス」
「そうみたいだな」
「ならば……」
と、リュウは首を伸ばす。
「ニコラが、殿様気分になるでアリマスか?」
「…………」
「女の子が思い浮かべる城と云えば、御伽噺に出てくるような、プリンセスに相応しい城の可能性が高いでアリマス」
「なるほど」
と透也は顎を撫でる。
「それで大分絞れそうだな」
透也は再びボトルキャッスルを見渡す。
西洋風の城以外は除外。その中でも、砦のような実戦的なものは除外。尖塔やアーチ窓の多用された優美なものだけをテーブルに集める。
すると、驚くほど少ない。選択肢にあるのは四つのみ。
――このうちのどれかに、ニコラはいる。