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東京ファントムウォーズ  作者: 山岸マロニィ
<肆>──幻影ラビリンス
37/97

36話 タイムマシンと青い空

 瓦礫を飛び越え、傾いた壁を蹴って屋上へ出る。

「……思い出した。この辺りはスラムの二丁目、幼年学校のあった辺りだ」

 透也が云うと、脳内でリュウが答えた。

「そうでアリマス。そこを左に進むと市場があって、真っ直ぐ抜けると病院でアリマス」

「了解」


 走りながら、透也はワイヤーガンを発射する。幼年学校の廃墟の屋根から、市場の中ほどに立つ鉄塔を狙う。そこを支点に身を踊らせ、一気に市場を飛び抜けた。

 回転しながら病院に着地。その勢いのまま屋上を駆け、スラムの街並みにダイブすれば、気持ちもあの頃に戻っていく。


 博士の研究所はスラム街の外れ。小高い丘の、緑に囲まれた場所にあった。夏になると蝉が(うるさ)くて、頭が痛くなったっけ。


 破壊され尽くした街並みを駆け抜ける。

 だがその景色の中に透也の目は、(ひな)びたパン屋を、頑固親父の工具屋を、安くて不味(まず)い食堂を見る。

 喧騒が湧き出し、人々が行き交う。

 青空を無機質な建物が切り取り、縦横無尽に張り巡らされた電線が不規則な模様を描く。


 そんな街で、確かに、透也は生きていた。


 その後、透也は小さな森に到着した。

 耳鳴りのような蝉時雨(せみしぐれ)の小路を駆け上り辿り着いたのは、粗末な小屋の連なる建物群。


 妖怪博士の研究所だ。


 合板と錆びたトタンを組み合わせた小屋には蔦が這い、あちらこちらに蜘蛛が巣を張っている。傾いた煙突や配管は、透也もよく修理をしたから強く印象に残っていた。


 ――妖怪が出そうな研究所。

 そんな場所に住む偏屈者だから『妖怪博士』だと、みんなに軽蔑されていた。


 透也は思わず、(かつ)てのように建付けの悪い戸を開いて声を上げた。

「ただいま、博士」


 ……けれど、返事は無い。当然だ。此処は博士がいなくなった後の研究所なのだから。

 戸を抜けると蝉の声が静かになる。薄暗い室内に動くものは無い。造り掛けの機械や部品や工具が散乱し、オイルの匂いが立ち込めていた。


 透也は記憶を頼りに奥に進む。工房と研究室を抜けた先が、博士の書斎。


 本棚に挟まれる形で壁際に置かれた粗末な机には、おびただしい血痕が染みていた。

「…………」

 しかし、透也の目的はこの机ではない。

 本棚の一角。博士の論文がファイルされている場所だ。

 そのうちの一冊を手に取り、透也は研究所を出た。


 目指すは、丘の頂上。

 木の根を階段代わりに坂道を登る。すると間もなく木の葉のトンネルが途切れ、一面の青空が目に飛び込んだ。

 東京を一望できるその小さな空き地には、錆びたドラム缶が置かれていた。処々鉄板を溶接して補強してある。


 ――これが、俺たちのタイムマシンだ。


 その錆びた鉄肌に鮮やかな緑色の小さな体が張り付いて、透也を見上げていた。

 今度の声は、愛嬌のある口先から聞こえた。

「待ってたでアリマス、透也」



 ☩◆◆──⋯──◆◆☩



 登庁した野呂は、息を切らして捜査本部に駆け込んだ。

 そして、正面に座る中村警部の机を叩く。

「――――池袋です。池袋に霧生男爵がいます!」

「何だと!?」

 中村は目を丸くした。

「確かな情報なんだろうな?」

「うちの母が言ってましたから」


 それを聞き、中村は立ち上がった。そして一同に号令を掛ける。

「怪盗同盟幹部の捕縛に向かう! 黒い魔女に最も近しい大物だ。心して掛かれ!」


 ――連なる車列の中程を行く後部座席。

 中村と野呂は並んで座り、緊張した面持ちで前を睨んでいた。

 その途中、野呂が中村にボソリと話し掛けた。

「実は、警部にお伝えしていないことがありまして」

「何だ?」


 野呂は前を向いたまま答えた。

「僕の父は、篠崎(シノザキ)壮二(ソウジ)と云います」


 その途端、中村は目を剥いた。

「――何だと!?」

「十年前、帝国評議会で日下部伯爵と覇権争いを繰り広げている最中、魔能使いに襲われて死んだ、篠崎壮二です……勿論、認知はされていませんが」


 中村は暫く愕然と野呂を見つめた。

「母が高利貸しをしていた当時、部下の借金の肩代わりを申し出た父に、母は惚れたようで。父に諭されて高利貸しを辞めたんですよ。とは云え、愛人未満の関係のまま僕を身篭り、身を引いて……」

「…………」

「でも何時か、僕を父に会わせたいと思っていたようなんです。そんな折に、あの事件が……。それから母は結婚と離婚を何度かしまして、野呂と云うのは最後の継父の苗字です」


 中村は漸く息を吐き、腕組みをした。

「それは不幸だったな」

「不幸なんかじゃありません。母は良くしてくれたし、周囲に恵まれて刑事にもなれましたから……お気付きかと思いますが、僕が刑事になったのは、父の仇討ちの為です。父を殺した犯人を捕まえたいのは勿論ですが、それよりも、父を殺した魔能を消し去りたい」


 ここで野呂は、決意を込めた目を中村に向けた。

「僕は誰より、魔能を憎んでいます。その気持ちは中村警部にも負けていないと自負しています。まだ未熟で失敗だらけですが、どうか、僕を見捨てないでください」


 中村は聞き終わると、野呂の肩をポンと叩いた。

「いいか、刑事の素質で最も重要なのは執念だ。絶対に諦めない気持ちと、絶対に折れない正義心――おまえには、刑事の素質がある」

「警部……」

「素質のある部下は大事にする主義だ。大事にすると云うのは、鍛え上げるという意味だ。これ迄以上にビシバシいくからな、覚悟しておけ」


 中村が鬼瓦のような顔を歪めニッと歯を見せた。

 野呂もそれに応えて背筋を伸ばす。

「はい! 精進いたします!」


 そんな彼らを乗せる車列が池袋に入る。通りを行く人々は、警察車両の隊列に異様な目を向けている。

 当然だ。東京特務警察始まって以来の大捕物が始まるのだから。


「……しかし、厭に天気がいいな」

 車窓を眺める中村が呟いた。

 燦々と明るい青空は底抜けに陽気で、大捕物には似合わない。

「天気がいいと何か不都合があるのでしょうか?」

 野呂が尋ねる。すると中村はギロリと振り向いた。

「俺の関わった現場に限ってのことだがな」

「はい……」

「快晴の日に事件が起こると――人が死ぬ」



 ☩◆◆──⋯──◆◆☩



 警察車両より早く、馬車は桐生邸に到着していた。

 門前に横付けし、明智香子は馬車を降りる。御者席では、小林執事が心配そうな目を彼女に向けていた。

「お嬢様、お一人で大丈夫でしょうか?」

「心配無いわ。以前、お会いしたことがある御方だもの」

 そう云うと、香子は門の前に立つ。


 ……記憶によると、桐生男爵は独身で、通いの使用人の他は一人暮らしだった。

 手入れの様子が見えない庭や外壁を見れば、その使用人すらも近頃は出入りしていないと見える。


 香子は未だ半信半疑だった――日下部伯爵の黒い噂も、桐生男爵の正体も。

 多少の痛い目を見なければ、中村警部や白梅軒の女将の言葉は六腑に届かない……そう考えた。

 誰の助けも借りず、この目で、この耳で、真実を得る。それが香子に与えられた唯一の道だと思った。


 錆び付いた門扉を軽く押す。閂のされていない門扉は不協和音を響かせながら奥へと開いた。


「…………」

 雑草に侵食されつつある石畳が、木立の奥へと延びている。

 遠い記憶が蘇る。桐生男爵はボトルシップの名人で、船だけでなく城やジオラマまでも酒瓶の中に組み立ててしまう。その物珍しい趣味に幼い香子が興味を持ち、日下部伯爵の紹介で彼の作品を見に来たのだ。


 しかし幼い香子は、この屋敷を覆う陰鬱な雰囲気が苦手で、見に来たのは一度きり。

 森のように鬱蒼とした木立に囲まれた屋敷。此処からは屋根の一部しか見えないが、洋館と大きな土蔵が並んで建っているのが分かる。


 ……そして今、その景色を(かす)ませる程の霧が、香子と屋敷の間に立ち込めていた。


 それは気象条件としては有り得ない。すっかり日の高くなった晴天に霧が発生する筈がない。

 やはり魔能か? とも考えるが、それも香子には腑に落ちない。


 『浅草電影館』の件にも霧の怪盗の関与が認められるが、影男以外の魔能の気配はしなかった。

 そして今も、この霧に対し、彼女の感覚は魔能を察知していない。


 進むべきか。

 それとも、留まるべきか。


 明智香子はその場に立ち竦んだ。

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