35話 あの日
細く煙の立つ銃口は、地に転がる屍を向いていた。
その屍――鮮やかな緑色をしたヤモリを見下ろし、透也は拳銃をベルトに戻した。
頭の中で声がする。
「透也……気付いていたでアリマスね!」
「あぁ。リュウは金平糖以外で俺に媚びねえよ」
「それは褒めているでアリマスか?」
「最大級の賛辞だ」
腹を撃ち抜かれた無惨な残骸――それは、透也が思い浮かべた幻影の一部。頭の何処かで燻っていた希死念慮が産み出した産物なのだろう。
しかし、このリュウが云っていたことも半分は真実だと思われる。現実世界の透也は現在眠っており、意識だけが瓶の中の幻影世界を彷徨っている。
だから、現実世界に居るリュウと脳波通信を通して、こうして会話ができるのだ。
透也はリュウに問い掛けた。
「そちらの状況は?」
「ステラと合流したでアリマス。透也とニコラは催眠効果のある香を嗅がされて眠っているでアリマス」
「霧生男爵とかいうあいつは?」
「何度か透也の首に掛かっているステラの鍵を盗みに来たでアリマスが、ワガハイとステラで護っているでアリマス」
すると、義眼に画像が送られてきた。
――窓の無い空間。左右の壁際の寝台で人が並んで眠っている。その数、三十は下らないだろう。
霧生男爵は、肉体と意識を切り離してコレクションしていたのだ。
しかし、何の為に?
透也の疑問にリュウが答えた。
「恐らくでアリマスが、意識のない空っぽの体を使う気だったでアリマス」
「どうやって?」
「――人形使い」
透也は肝の冷える思いがした。
「霧生男爵の香を使えば、暗示を掛けずとも人形に出来るでアリマス」
「……それを、何に?」
「兵士」
再び透也の右目が疼く。
戦場に於いて最も厄介なものが「死の恐怖」だ。倫理観は超えられる。自らの死と比較し、「生きる為に必要なこと」という認識を植え付ければ、他人の死は受け入れられる。だが「自らの死」への忌避は、生物としての原初の本能である為、取り払うのは不可能だ。
だから、薬物を使ったり宗教的な洗脳を行ったり、死と隣り合わせで育ち、死というものへの感覚が鈍化した少年兵を利用したりする。
しかし、意識のない肉体を操るなら話は別だ。操作者は痛くも痒くもないから、どんな死地にも躊躇なく突撃できる。
まるでAMTのような人間戦車。
リュウの視界を共有した義眼は、ベッドで眠る者たちを映している。その多くは肉体労働者と思われる屈強な男たちだ。ちらほらと少年の姿も見える。
そして、透也とニコラ。
意識のない二人は隣り合って寝かされ……誰がやったのか、手を重ねていた。
「…………」
ニコラだけでない。
この部屋に眠る男たちを全員救い出さなければ、大変なことになる。
透也は半ば叫ぶように云った。
「リュウ、此処から目覚める方法はあるのか?」
「様々な方法をシュミレーションした結果、ひとつだけ方法があるでアリマス。それは透也にしか出来ないでアリマス」
「どうすればいい?」
「瞬間移動でアリマス」
――その手があった!
透也の目に生気が戻る。
「透也、そこは二十二世紀末の東京でアリマスね」
「あぁ。だが俺の記憶が不確かなのか、正確な場所が解らない」
「ならば任せるでアリマス。ワガハイのハードディスクに二十二世紀の東京の地図がインプットされてるでアリマス。それで案内するでアリマス」
「何処に?」
「博士の研究所でアリマス」
透也の口元に笑みが浮かぶ……幻影の中とはいえ、あの場所に戻れるのは夢のようだ。
脳の中でリュウは続ける。
「よく聞くでアリマス。そちらの世界は透也の認識を投影しているでアリマス。つまり、透也の認識次第で形を変えられる可能性が高いでアリマス。意味は解るでアリマスか?」
「あぁ――時空転移したあの日を思い出せってことだな」
「その通りでアリマス。ドラム缶タイムマシンと、そこで待つワガハイの姿を思い浮かべるでアリマス」
――確か、あの日は抜けるような青空で、眩いほどの入道雲が南の空に浮かんでいた。
すると、空の色が変わった。
灰色だった空は光に満ち、真っ白な入道雲が彼方から透也を見下ろした。
「…………」
瓦礫の間に草が生え、向日葵が彩りを加える。揚羽蝶が舞い、遠く蝉のざわめきが聞こえだす。
入道雲に向かって駆け出すと同時に、透也は叫んだ。
「ニコラは必ず助け出す。俺を導け――リュウ!」
☩◆◆──⋯──◆◆☩
明智家の門を入ると、小林執事が飛び出してきた。
「お嬢様! お嬢様……ご無事で……!」
オロオロと半泣きで駆け寄る小林に、香子は素直に謝った。
「ごめんなさい、勝手に家を飛び出してしまって」
「とんでもございません。私めこそ、お嬢様の苦悩を知りながら、何も手立てをせず……私めからお話いたします。此方へ」
玄関へ導こうとする手を、だが香子は押し留めた。
「甘えていたのは私の方。探偵ならば、自分で調べるべき、自分の運命くらい。だから、何も云わないで。それよりも」
と、今度は香子が小林を玄関ホールに導き入れる。そして静かに扉を閉めると、誠実な初老の執事を見上げた。
「桐生男爵、知ってるわよね。一度、日下部伯爵にご紹介頂いたのを覚えてる」
すると小林は動揺した目を見せたが、直ぐに平常の如く返事をした。
「お父君であられる亡き子爵様とも、ご交遊のあった御方にございます」
「彼の住まいは確か、池袋の方だったわよね」
「左様。大きな土蔵のあるお屋敷にございます」
その途端、香子は玄関を飛び出す。そして石階段を下りた処で、呆気に取られる小林を振り返った。
「馬車の用意よ――行くわよ、小林」
事情は呑み込めていない様子だが、溌剌さを取り戻した香子を見て安堵したのだろう。小林は一礼した。
「畏まりました、お嬢様」
☩◆◆──⋯──◆◆☩
……一方、白梅軒。
「明智探偵、戻って来ないじゃないか」
野呂は寝癖頭で珈琲を啜り呟いた。
開店準備を始めていたお梅は、心底呆れた声を出す。
「どうして私はこんな木偶の坊に育てちまったんだろうね」
「…………?」
堪り兼ねて、お梅は息子に檄を飛ばした。
「何時まで珈琲啜ってンだい! すぐ中村警部に連絡して、特警総動員で池袋に行くんだよ!」
「はあ?」
「グズグズしてんじゃねえよ、このボンクラ!」
野呂は弾かれたように立ち上がる。そして訳の解らない顔のまま、
「い、行ってきます、ママ」
と店を飛び出した。




