表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
東京ファントムウォーズ  作者: 山岸マロニィ
<肆>──幻影ラビリンス
34/97

33話 苦悩

 香子の介抱を家政婦の文代に任せ、小林執事が応接間に戻って来たのは十五分後だった。

「この度は大変な御無礼を……」

 と頭を下げる小林を中村は止めた。

「いえ、厳しい話を立て続けにしてしまいましたから、謝るべきはこちらであります」


 それから中村は小林と向き合い、事情を訊くことにした。

「失礼ですが、明智家と日下部伯爵とはどのようなご関係で?」


 小林執事は左の片眼鏡を光らせ(しばら)く黙っていたが、やがて短く答えた。

「亡き子爵様よりのご関係にございます」


 その程度の返答で納得はしないと、中村は黙って小林を見据える。

 だが小林も熟練の執事だ。余計なことを云うまいと中村を見返す。


 火花を散らす両者の中に入ったのは野呂だ。

「あ、あの……」

 と、若い刑事は冷や汗を拭きつつ愛想笑いを浮かべた。

「わ、話題を変えましょう。昨夜、怪人ジュークがこの屋敷を訪れたのは何時頃で?」

 すると、少し安堵した表情で小林は答えた。

「昨夜はお嬢様のお気分が優れないご様子でしたので、夜食をお持ちにお部屋に上がりました。それが八時頃かと」

「その時に何か変わった様子は?」

「特に。私めはつい先程まで、そのような者がお嬢様を訪ねて来たとは知りませんでしたので」

「では、先程の明智探偵の話についてです。彼女は『昨夜、怪人ジュークは赤毛の子供を探しに来た』と云っておられましたが、それはつまり、浅草の劇場の一件で、怪人ジュークと赤毛の子供があの現場に居たことをお認めになった、という意味で宜しいですね?」


 それには、小林以上に中村が驚愕した。未熟な印象ばかりが先立つ野呂が、此処まで鋭い洞察を見せると思わなかったのだ。


 これには小林も降参するしかない。

「……はい、あの御方はお嬢様を影男なる不届き者からお護りくださったので、恩を仇で返す真似は出来ず、嘘を申しました」


 ここで(ようや)く中村は息を吐いた。

「その時の状況を、詳しくお聞かせ願えますか?」



 ☩◆◆──⋯──◆◆☩



 香子は間もなく目を覚ましたのだが、起き上がることすら出来ずにいた。

 頭の中に情報が錯綜し、呼吸すらままならない。


 怪人ジューク――遠藤透也は、目的を達せられずに姿を消した。

 そして、これまで全幅の信頼を寄せていた日下部伯爵が、怪盗の黒幕……。


 再び過呼吸を起こし布団の中で悶える。

「……ハァ……ハァ……」


 すると、文代が飛んで来た。

「お嬢様、ゆっくり息をお吐きください。そう、ゆっくり……」

 背中を(さす)られ息を吐く。(しばら)く呼吸だけに集中していると、(ようや)く気分が落ち着いた。

「ありがとう、文代」

「いえ、お紅茶でもご用意致しましょう」


 そう云って扉に向かう文代を、香子は

「待って」

 と呼び止めた。


「お願い、訊かせて欲しいの」

「何でございましょう?」


「――私の魔能は、黒い魔女からのものなの?」


 文代は硬直した。

「それだけじゃない。貴女と小林の魔能の正体は? ――貴女たちは、何者なの?」

 青ざめた老家政婦は、扉に手を掛けたまま立ち尽くした。


 やがて文代はゆっくりと香子に向き直り、深々と頭を下げた。

「お嬢様、申し訳ございません。どうかそれだけはお赦しください。(ただ)、我々はいつ如何(いか)なる時も、お嬢様の味方にございます。それだけは、お心に置いてくださいまし」



 ☩◆◆──⋯──◆◆☩



 中村と野呂が帰った後、小林執事は自室にて思案を巡らせていた。


 あの二人が日下部伯爵に疑いを持った一件を、日下部伯爵に報告しないというのは、経済的な援助を受ける明智家にとって、重大な背信行為であるからだ。


 しかしそれを伝えるのは同時に、香子への裏切りでもある。

 正義を突き詰める為に探偵になった香子はこの先、日下部伯爵の敵となるだろう。香子と小林は一蓮托生。信頼が失われれば、互いの魔能は……互いの存在は、意味の無いものとなる。


「…………」

 机に向かい額に手を当てる。

 このような状況となったのは、怪人ジュークなるあの若者の所為(せい)……。


 確か、遠藤透也と手紙に書いてあった。

 少々言葉遣いや態度は荒いが、誠実な人柄は行為で解った。勿論、賞金稼ぎなどと云う下賎な生業(なりわい)を選ぶ程だ。立場としては明智家と比べるべくも無い。


 とは云え、香子が恋する相手を貶めることは、小林には出来なかった。


 幼くして両親を亡くし、心の傷を「正義感」に置き換えて気を張って生きてきた彼女が、あの若者を見る時だけに浮かべる表情……その柔らかな眼差しは、小林の知らないものだ。


 嬉しさ半分、嫉妬半分……父親同様に見守ってきた彼にとって、娘の成長を見せつけられているようで、どうしても否定できない。

 その彼が失踪したと訊いた香子の心労は察して余りある。幾ら小林が寄り添ったところで、決してあの若者の代わりにはなれない。


 そこに畳み掛けた、香子が「あしながおじさん」のように慕っていた日下部伯爵への疑惑……。


 日下部伯爵への報告を怠れば、経済支援を打ち切られるだろう。

 しかし香子の正義感を裏切ることは、小林にとって余りにも心苦しい。


 警察が日下部伯爵と怪盗同盟との繋がりを確信した今、香子にとってどちらの手段が正解なのか。


「果たして、一体どうしたものか……」

 小林執事は深く溜息を吐く。


 すると扉がノックされた。

「入りなさい」

 顔を覗かせたのは文代だ。

「お嬢様はお休みになられました」

「お疲れ様。おまえも今日は休みなさい」


 だが文代は出て行こうとしない。少しモジモジと目を泳がせた後、小林にこう云った。

「先程、お嬢様に私たちの魔能のことを訊かれました」

「…………」

「お答え出来ないと申し上げましたが、それで宜しかったのでしょうか?」


 小林は返答に詰まる。

 今の香子は、とてもそれでは納得しないだろう。

 少し考え、小林は答えた。

「明日、私からお嬢様にお話しする。それで良いな?」

「畏まりました」

 文代は一礼し、「お休みなさいまし」と部屋に下がった。


 ――もはや、選択の余地はあるまい。

 小林は心を決めた。


 日下部伯爵を裏切ることにはなるが、香子に寄り添うと。

 その為には、全てを明かすしかない……本当に守らねばならない秘密以外は。


 ところが。


 翌朝、最初に明智家に響いたのは、悲鳴に近い文代の叫び声だった。

「小林執事! 小林執事!」

 息を切らして駆け込んで来た彼女に、身支度を整えたばかりの小林は駆け寄った。

「どうした? 何があった?」

「お、お嬢様が……お嬢様が……」


 小林の五臓六腑が凍り付く。

「香子お嬢様が、どうしたのだ?」

 すると文代は声を震わせた。


「お嬢様が……お部屋にいらっしゃいません」



 ☩◆◆──⋯──◆◆☩



 その頃、明智香子は愛馬ゴローを駆り、千駄木の急坂を下っていた。

「……確か、この辺りのはず」

 ゴローの脚を緩め、辺りを見渡す。


 すると、ビルの隙間に隠れるように、色褪せた看板が掛かっていた。


 ――喫茶 白梅軒。


 日下部伯爵、そして小林……彼女を取り巻く庇護を絶たなければ、真実は得られない。

 そう考えた香子は居ても立ってもいられなくなり、此処にやって来た。


 これ迄の非礼を中村警部に詫び、警察の……いや、中村警部の正義感に全てを託そう。その仲介役を、人の好さそうな野呂なら引き受けてくれるはず。そう考えたのだ。


 店先にゴローを繋ぎ、香子は格子の硝子扉の前に立つ。

 そして取手に手を掛けた。


 ――その瞬間。

 かつての透也と同じ景色に立っていると意識して、心臓がドクンと鳴る。


「…………」


 そこで一呼吸してから、香子は扉を引いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ