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東京ファントムウォーズ  作者: 山岸マロニィ
<肆>──幻影ラビリンス
32/97

31話 霧生男爵

「Who'll make the shroud? (誰が作るの 死装束を)

 I, said the Beetle,(それは私と甲虫(カブトムシ)が云った)」


 ――深い森。

 濃く漂う霧の中に、針葉樹の黒々とした樹影が突き出している。

 その奥に見えるのは、城。

 御伽噺(おとぎばなし)に出てくるような、尖塔が幾つも並ぶ西洋風の城だ。

 その尖塔の窓の傍らに、フリルの付いたドレスを着た赤毛の姫が立っている。


「with my thread and needle,(私の針で 私の糸で)

 I'll make the shroud.(私が作ろう 死装束を)」


 囁くような子守唄(マザーグース)に耳を傾ける者はいない。

 その(はかな)い唄声は、霧に閉ざされた森を超えることなく――霧に浮かぶ城を封じる瓶の外まで、届くことは無い。



 ☩◆◆──⋯──◆◆☩



 無数のボトルシップが並んだ部屋。

 ――いや、厳密に云えば「船」では無い。「城」だ。

 様々な姿をした城が、酒瓶ほどの硝子(ガラス)瓶の内部に組み立てられ、正方形を形作る四方の壁に飾られている。

 その何れもに煙が封じられ、(もや)に霞む幻想的な情景を醸す。


 それを見て、遠藤透也は察した。

 ――霧だ。


 瓶詰めの城に囲まれた空間に座すこの部屋の主――霧生男爵の魔能『五里霧中(ごりむちゅう)』の為せる業。


 幻影城――彼は瓶に封じられた小さな世界をそう呼んだ。


 隈の濃い落窪んだ眼に光は無く、痩せこけた頬は青白い。薄く撫で付けた髪は手入れされ、仕立てのよい洋装に身を包んでいるものの、まるで死人のように生気が無い。

 その身を革張りの椅子に沈め、彼は置物のように動かない。

 一方、透也は向かいの椅子に浅く腰を起き、膝に肘を置いて上目遣いに男を見ている。足元に置かれた黒いヘルメットに、緑色のヤモリがじっと張り付いていた。


 もしかしたら、この部屋自体も魔能の発する異空間なのかも知れない。透也はそうも思った。

 その根拠は、二人を隔てるテーブルに置かれた香炉。銅に透かし彫りを施された()れから、清々しい香気を乗せた煙が立ち上り、部屋に薄く充満している。


 この情景は幻影か、それとも現実か……。

 見極めようとくまなく周囲を観察するものの、透也は未だ答えが出せずにいた。


 すると、霧生男爵が口を動かした。

此処(ここ)は紛れも無い現実だ」

 光のない眼は、透也の心を見透かすように彼を射る。

()れらのボトルも現実――だが、中の城は現実では無い」

 透也は無言で痩せた紳士を睨み返す。

「封じた霧が映し出す幻影に過ぎない。幻影に囚われた者は幻影の住人となる。ボトルを割れば霧は消える。霧が消えれば、幻影の住人も消える」


 これらのボトルの何れかに、ニコラが封じられているに違いない。だが外からの救出は不可能――そう云いたいのだ。


「貴殿の目的は赤毛の少女だ。しかし、私は彼女を渡す訳にはいかない。この国の命運に関わることだ。理解して貰う」


 か細くも断固とした威厳ある声は、透也の反論を(ゆる)さない。

 彼はじっと、落窪んだ眼を見据えるしか無かった。


「その為に、彼女の持つ『玩具』の鍵が必要だ。それを私に渡せば、貴殿に掛けられた指名手配犯という汚名を取り消そう」


 一応、実力行使では無く、交渉という手段を取ってきたようだ。とは云え、その条件は透也にとっては取るに足らないもの――汚名? そんなもの、汚れ切った手を持つ彼にとって、泥沼に浮いた一粒の砂塵に過ぎない。


 透也は云った。

「断る」


 まるでその答えを予見していたかのように、霧生男爵は眉ひとつ動かさない。

 光のない眼を透也に向けたまま、彼は再び口を動かした。

「国の未来よりも利己心を優先する――賊らしい回答だ。だが、貴殿に『否』の選択肢は無い。これは決定事項だ」


 有無を云わさぬ圧は、だが、辺りを包む香の煙を乱さぬ程に静かだ。

「貴殿の理解など必要無い。義は此方(こちら)にある。義の無い賊に選択権は無い」


 だが、透也は見抜いていた――この痩せた紳士の欺瞞を。

 彼は挑発するように口元をニッと歪め、煽る口調でこう云った。

「義がそっちにあるんなら、力ずくで奪ってみろよ。お仲間を集めてさ」

「…………」

「一人でコソコソ動いときながら、『義は此方にある』だって? 面白れぇことを抜かすじゃねえか――ざけんなよ」


 この男がニコラを奪った理由。それはこの男個人の目的の為――この屋敷に他の魔能使いの気配が無いのは、リュウが確認している。少なくとも、彼は『怪盗同盟(ユニオン)』の意思に反し、動いている可能性が高い。

 ならば、鍵を渡す理由など何処にも無い。


 透也は(おもむ)ろに立ち上がると、ベルトの拳銃を抜き銃口を霧生男爵に向けた。

「――ニコラを返せ。そうすれば、この先、怪盗に関わらないでおいてやる」


 これは彼にとっての最大限の譲歩だ。

 二十二世紀から遥々(はるばる)ここ二十世紀初頭に時空転移した理由すら棄てて構わない――彼の存在意義を賭けた譲歩。


 しかし、霧生男爵は暗い(まなこ)を揺らしもしない。

「それは出来ない。先程も云ったように貴殿に選択権は無い。だがそれ以上に、絶対的に不可能なのだ」

「…………?」


「どんな手段で奪うつもりか知らんが、一度私の『幻影城』に入った者は、現実世界では生きては行けない」


 透也の全身に冷や汗が浮かぶ。突き付けた銃口が細かく震える。


 ――幻影世界に心を囚われれば、心は現実世界を拒絶する――


「もうひとつ教えておこう。何故魔能の効かぬあの子供が私の霧に囚われたか」

 霧生男爵はゆっくりと身を起こし、テーブルの香炉に手を伸ばした。

「この霧は魔能では無く、霧の中の幻影も魔能では無い。この霧は少々特殊な香によるものでね、様々な効果を示す。脳の働きに影響を及ぼし、本人の望む幻影を見せるものもあれば……」


 と、霧生男爵は香入れの抹香を香炉に足した。

「毒もある」


 透也は咄嗟にヘルメットに手を伸ばす。

 だが前屈みになった途端、彼の視界は滲みバランスを失った。

 床に転がる。

 その体を無表情に眺め、霧生男爵は続けた。


「私の真の魔能は、香の効果が効かぬと云うものだ」


 透也の顔色が失われていく。荒い呼吸が徐々に弱まる。

「透也! 透也!」

 彼の小さな相棒が駆け寄り必死に呼び掛けるも、黒い手袋に包まれた指は床を彷徨うばかり。虚ろな目は光を失い、もはや相棒の姿を認識していない。

「駄目でアリマス、しっかりするでアリマス」

 毒の効かぬ機械の体は、必死で彼の頬を叩く。

 だが呼び掛けも虚しく、透也の瞼は完全に閉ざされた。

 


 ☩◆◆──⋯──◆◆☩



 始発で登庁した中村警部は真っ直ぐに資料室へ向かった。

 そこで彼が取り出したのは、「霧の怪盗」事件の捜査資料。

 内密の借金の返済に困った挙句の家人の狂言。そう結論付けられている為、資料は多く無い。


 しかし中村は見たいのは、何度も見返したそこでは無い。持ち込んだ帳面を開いて並べる。

 それは、帝国評議会の動向を記した記事の切り抜き。

 以前から、怪盗同盟と帝国評議会の繋がりは噂されており、彼は独自に新聞記事を調べていた。


 ふたつの資料を比べると、霧の怪盗による三件の事件とほぼ同時期に、帝国評議会で動きがあるのが解る。

 一件目は十二年前、日下部伯爵の帝国評議会入り。

 二件目は十年前、対立する議員の死亡と帝国評議会の首席の交代。

 三件目は七年前、日下部伯爵の国務大臣就任。


「これは……」

 奇妙な符合は、中村の眉を(しか)めさせるに足りるものだった。

 偶然と考えるのが普通の頼りない符合。しかし昨夜のお梅の話と併せると、ひとつの推論が浮かび上がる。


 日下部伯爵は、怪盗事件で政治資金を賄い、自らの地位向上に利用している。


「…………」

 中村警部は無精髭を撫でる。

 人形使いが修道院名義で日下部伯爵に多額の献金をしていたことも、その推論に合致する。


 ――これは、警察の手に負える案件では無いだろう。


 中村は、長年の警察勤めで骨身に染みて解っていた――警察に、真の正義など存在しない。

 政府の都合で善悪を定め、政府の顔色を伺い正義を騙る。

 現場には正義感を持つ警官は大勢いる。だが一定以上の役職者は、地位の安寧にしか目を向けていない。


 だからそこ、明智香子の態度が羨ましかったのだ。

 怪人ジューク。

 不当な罪を着せられた義賊を正々堂々庇う姿勢は、生活に不自由の無い彼女だからこそ出来ること……家族の生活を背負った奉公人に、そんな自由などない。


 しかし、果たしてこのままで良いのか?


 彼の中に僅かに残る青臭い正義感が、じわじわと彼の心を締め付ける。


 ――正義なんてのは星の数ほどあるモンさ。あんたの正義が何処に在るか、(あたし)に示してご覧よ。


 一度は惚れた女の言葉が、棘のように突き刺さる。

 同時に妻子の顔が脳裏に浮かぶ。仕事に明け暮れ、(ろく)に抱いたこともない我が子を、懸命に育ててくれた細腕。

 青臭い正義感に身を任せれば、最も大切なものを苦しませることになる。


 中村が考え込んでいると、誰かがポンと肩を叩いた。

 彼は慌てて資料を閉じる。そして振り向いた先にあったのは、野呂刑事の顔だった。

「警部、少しお話が」

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