27話 影の策謀
その頃、「影」の中。
影男は目の前の人物に細い目を向け、フフフと嗤った。
「いやはや、貴方を呼んだのは大正解だったようだ――霧生男爵」
青白い顔色の痩せた男は、天蓋付きの寝台に腰を下ろして影男を見上げた。
「此処に男は入れないのでは無かったのか?」
「そう。僕は男には興味無いから」
「フン。しかし趣味の悪い部屋だ」
霧生男爵と呼ばれた男は、濃い隈の奥に落窪んだ眼でギロリと辺りを見渡した。
極彩色の襖絵、天井から垂れた七色の更紗、そして、中央に置かれた大きな寝台。
男女が愛を語らう為の空間である。
霧生男爵に毒を吐かれても、影男は動じない。
「僕にとっては神聖な儀式だよ、『影縫い』は」
そう答えると、影男は腕を組み微笑んだ。
「でもまぁ、色々あったけど、あの子を手に入れられたんだから全て良しだ」
「運が良かっただけだろう」
「そうだね、まさか鴨が葱を背負って来るとは思っていなかったよ。それに、貴方がすぐさま応じてくれたのも幸運だった」
「私は忙しいのだ。急な呼び出しは今回限りにして貰いたい」
「はいはい、感謝しますよ――ところで」
影男は意味ありげに霧生男爵に目を向ける。
「彼女は、今何処に?」
すると霧生男爵は無表情に答えた。
「我が城だ。よく眠っている」
「眠れる森のお姫様、か……」
そう呟き、だが一瞬、影男は舌打ちするような顔をした――『幻影城』も、『影』の異空間と同じく、決して他者が干渉できない絶対領域なのだ。
――透也とニコラが浅草電影館を訪れたのは、影男の計画に無いことだった。
「怪人ジューク」名義の手紙で明智香子を誘い出し、彼女を影縫いしたところで透也と接触させる。そこで彼はニコラを奪う計画だったのだ。
そんな回りくどい手順を取るのには理由があった。
――彼の魔能『百鬼夜行』により異空間へ導くには、本人の同意が必須だからだ。
しかし、「影」の使い方は影縫いばかりではない。
彼の領域である「影」へは、影のある処なら何処からでも出入りできる。その為、物陰から偵察をするのに向いているのだ。
そもそもの発端は、人形使いがニコラを匿っているのではないかと、彼が疑いだした処から。
大西洋結社との取引で送られて来た子供が、魔能封じの能力を持つと知った黒い魔女が、人形使いに子供を殺すように命じた。
人形使いは子供の殺害を黒い魔女に報告するも、影男は気付いていた――人形使いなら、簡単に子供を隠せる。
孤児院だ。身元を偽り、孤児として他の子供たちに混ぜてしまえば判別出来ない。
影男もはじめは騙された。
特徴的な赤毛を短く刈られ、男の子として扱われていた為だ。
しかし人形使いの死により、警察の捜査状況を偵察に孤児院を訪れた影男は見たのだ。赤毛の子供が孤児院を抜け出すところを。
隙を見て影に誘い入れようと、影男は子供を追った。
そこで彼は、ステラによる暴漢二人の殺害を目撃する。
下手に手を出せば同じ目に遭うと、影男は慎重に計画を練ることにした。
ニコラが明智家を襲撃し、怪人ジュークと思われる男により奪取されたのは確認済み。明智香子が怪人ジュークを庇ったことから、彼女の持つ感情は使えると思った。
そこで彼は、怪人ジュークの名で彼女を呼び出した――「招待を受ける」という《《同意》》を得て、自ら影の中へ足を踏み入れるという形式を整える為だ。
ところが。
明智香子よりも先に、本命であるニコラが現れた。
そこで影男は一計を案じる。
計画を変更し、この場で確実に彼女を手に入れる為、霧生男爵に協力を仰いだのだ。
眷属の女たちを呼び出して透也が混乱した隙に、影を通って霧生男爵の屋敷へ赴く。そして彼を伴い浅草に戻った。
影の中は、時間や座標の概念のない異空間。
影の中を通れば、現実世界からすれば瞬間移動と代わりない。
そこから影男は派手なショーを催し、霧生男爵の魔能が展開されるまでの時間稼ぎの茶番を演じた。
霧生男爵の魔能――『五里霧中』。
霧を発生させ、そこに幻影を映して惑わせる。
走馬灯を映し出す煙幕は、既に霧生男爵の術中だったのである。
その目的は、敵意を抱かせることなくニコラを誘い出すこと。ステラを使わせない為だ。
「影男が敗北し、透也が彼女を迎えに来る」という幻影を見せ、霧の中の世界へ導いた。
当然、影男は死んでいない。敗北を前提として、透也と明智香子が眷属たちと戦っている隙に、影を通じて別の場所へ移動していた。
崩れた落ちた屋根に押し潰されたのは、霧生男爵による幻影に過ぎない。
こうして彼らはまんまとニコラを奪取した。
それを成し遂げた霧生男爵には、もうひとつの特徴があった。
影男が目の前に彼の存在を見据えていても、魔能の気配を一切感じない。その上、彼の操る霧が、周囲の魔能の気配を撹乱させる。
ニコラや香子に魔能の感知能力があってもその存在を知られなかったのには、そういう理由があった。
「影が薄いんでね」
と霧生男爵は自虐するが、殺気のない暗殺者ほど恐ろしいものがないのと同義だと、影男は知っていた。
顔色の悪い酷く痩せた初老の紳士――彼は、怪盗同盟で最も古参の怪盗である。
同時に、首領の座を狙っているという噂が囁かれている。
彼らがニコラを欲したのも、怪盗同盟の内部抗争で優位に立つ為。
彼女の持つ魔能封じの能力は、敵に回せば致命的であり、味方に付ければ無双できるものだからだ。
一方影男は、霧生男爵に協力を仰ぎながら、隙を見てニコラを奪おうと考えていた。しかし霧生男爵も抜け目のない人物。そう易々とはいかないようだ。
影男はすぐさまいつものニヤついた表情に戻すと、霧生男爵にこう云った。
「このまま貴方と私が手を組めば、怪盗同盟が手に入る……とか、考えてない?」
しかし彼は影男の策には乗らない。言質を取って裏切る程度は何とも思わない奴だと知っているから。逆に、
「それは、貴殿が先んじてあの子供を手に入れる権利があるという意味か?」
と、首領の座を狙っているのはおまえの方だと云いたげな視線を、霧生男爵は影男に返した。
影男は自嘲した。
「正直、貴方の力が無ければあの子を連れ出すのは無理だったから。それに此処とは違って、霧のお城の方が子供は好きそうだし、しばらくお任せするよ」
霧生男爵はフンと鼻を鳴らして脚を組む。そして、憂いを含んだ声で云った。
「幹部会に五人目を入れないのは、私は得策では無いと考える。中堅の怪盗たちがこの座を狙い、既に小競り合いを始めていると聞く。そこへあの子供を巻き込めば争奪戦となろう。我々幹部会があの子供を匿っておくのが最善と考え、貴殿に協力した」
「ならいっそ、首領に渡してしまうのは?」
すると霧生男爵は落窪んだ目をギロリと光らせた。
「そもそも、なぜ首領はあの子供を人形使いに託したのか」
「…………」
「殺したくなかったからだ」
その発想は影男には無かった。しかしよくよく考えれば、ニコラを手に入れる事で優位に立てると気付かない訳がない。
それを、黒い魔女も承知の上で、人形使いに任せたのだ。
影男は目を細め、霧生男爵の陰気極まる顔を眺めた。
「何故?」
「彼女は子供を殺せない。しかし、あの子供を手元に置いておけば、『竜の巣』の魔術が解ける。子供を預けるのに、孤児院が都合良かったのだ」
霧生男爵は当然、黒い魔女とも付き合いが長い。
その上、黒い魔女の背後にいる『あの御方』とも直接繋がっている。
そんな彼が何故今更、首領の座を狙うのか。影男には理解し得ない部分だ。
しかし、困った状況になった……と、影男は細い顎を撫でた。
あの子供を擁したまま霧生男爵が反旗を翻せば、怪盗同盟は彼の――いや、彼と繋がる『あの御方』のものになるだろう。
それは影男にとって、受け入れ難いものだった。
暫く彼は顎に手を当て考え込む素振りを見せた。それからやおら顔を上げ、ニコリと霧生男爵に微笑んだ。
「そうそう。ひとつ言い忘れていましたけど」
「何だ?」
「あの子供が持っている鉄の球――あれの鍵を、怪人ジュークが持っているようですよ」
すると霧生男爵は目を見開いた。
「何だと――!」
その反応は、影男の予想を超えるものだった。
彼なら金属球の持つ恐ろしい攻撃も幻影で回避出来るだろうから、唯の伝達事項として伝えただけだったが……。
これはもしかしたら、子供だけでなく、あの金属球にも何か意味があるのか?
だがすぐさま霧生男爵は平静を取り戻し、そそくさと立ち上がった。
「私の用は済んだだろう。そろそろ屋敷に戻して欲しい」
ここは影男の領域。
彼の魔能がなければ、何人たりとも出入り出来ないのだ。
ハハハと嗤って、影男は軽く手を挙げた。
「これは失礼。貴方との話も悪くなかったから、つい」
そう云って指を鳴らす。
すると霧生男爵の輪郭が上下にぶれ、半秒後にはその姿は消えていた。




