26話 ライスカレーの為に
――その頃。
「ヒマだああーッ!」
ステラと遊ぶのにも飽きて、ニコラは大きく伸びをした。それに、着慣れないドレスは窮屈で、じっとしていると眠くなる。そんな彼女を、忠実な眷属は六本脚で見上げている。
ニコラは大欠伸をして、目尻に涙の溜まった顔で見下ろした。
「なあステラ、早く終わらせる方法無い? 腹が減ったぞ。ソーダ水が駄目ならライスカレーが喰いたい」
「ピ……ピク……」
走馬灯の色を反射して、ステラは頭を小さく傾げた。
「そうだよな。自動巻きのおまえは腹が減らないんだよな。リュウみたいに金平糖でも食べてみるか? 甘くて美味いぞ」
「ピ……」
ステラのスベスベした頭を撫でて、ニコラは胡座をかく。
「うーん、こうしてても暇だし、あのヘンな奴をやっつける方法を考えよう」
「ピ」
「あいつは、今は舞台のところに座ってるけど、影の中の異空間を行き来できると云ってたよなぁ、確か」
「ピク」
「だから、銃弾も当たらない。異空間に入るのは一瞬だからな。異空間に入ってしまえば、こちらの世界から干渉できなくなる」
「ピピ」
「つまり、あいつをやっつけるには、異空間に入るのを阻止しなければならない。ならどうするか」
「クピ?」
「光だ。真上から強い光を当てて、あいつの足元の影を消してしまえばいい。そうすれば、異空間への入口が塞がれてしまうからな」
と、ニコラは上を指した。
「今はちょうど昼頃だ。しかも、天気がいい」
「ピクピク」
「という訳で……」
ニコラはニッと歯を見せる。
「屋根がなくなれば、透也の用事は終わる」
ニコラはステラを持ち上げ、舞台近くの天井を示した。
「斜めの光じゃダメだからな。真上だ。建物の構造上、あの辺りが弱そうだ。透也は人を撃ってはいけないとは云ってたけど、屋根なら大丈夫だろう。ステラ――あそこを撃て」
と、ステラを床に置く。
その途端。
軽い動作音がして、脚の隙間から小型レールガンの銃身がせり出した。
そして……
ピシュン。
銃口が火を噴いた。
床に置かれ三秒……この奇襲に気付く者は、この場に誰一人居なかった。
間髪入れず天井が砕け散る。梁を砕かれた屋根が軋み崩落。轟音を立て崩れ落ちる瓦礫と共に、光が影男の頭上に降り注いだ。
「…………え?」
間の抜けた声を出すのが精一杯。
逃げ場を失った影男は瓦礫に押し潰された。
☩◆◆──⋯──◆◆☩
「――――なッ!!」
崩れ落ちた天井と穴が空いた屋根を見て、透也は素っ頓狂な声で叫んだ。
しかし、状況は理解した――ニコラだ。
この状況に導けるのは、この場でステラのレールガンだけ。時間的にリュウはまだ彼女らの元に辿り着いていないだろう。あれはニコラが自分の判断でやったのだ。
「あれ程撃つなと……」
……いや、人を撃ってはいけないとは云ったが、屋根を撃つなとは云っていない。
恐らく、透也と同じく「影男の足元の影を消す」という発想を実現する為に、屋根を消し去る方法を選んだのだ。
しかし、これでは異空間への逃亡を阻止するどころか、直接攻撃だ。影男にはまだまだ聞きたい事があったのだが、こうなっては仕方がない。
透也は諦めて、舞う埃から口を庇った。
急な日差しで、再び義眼が悲鳴を上げている。仕方なく前髪を下ろし、左目を細めて辺りを確認する。
屋根の歪みで断線したのだろう。光を失った走馬灯は傾き、ぶらんぶらんと揺れている。
濃く立ち込めた白煙は、屋根の穴から吹き込む風に散らされ、急激に濃度を薄める。
その向こう、舞台付近に積み重なる屋根の破片はぴくりとも動かない。あの下敷きになって生き残れる者はいないだろう。
一方、眷属の女たちは、咄嗟に座席に身を隠していたが、恐る恐る顔を出した。
「…………」
しかし、状況を把握しても取り乱すことはない。まるで記憶喪失のように辺りをキョロキョロと見回している。
「あの、此処はどこですか?」
「何? 何が起こったの?」
自分の意識で動いていたとは云え、異空間越しに召喚された際の記憶は残らないのだろう。そうでなければ、影男の所業がここまで明るみに出なかった理由が解らない。
そんな彼女らに、返答をしたのは明智香子だ。
「詳しい話は後ほど。まだ屋根が崩れる可能性があります。一旦ここを出ましょう」
恐ろしく冷静な声でそう告げ、舞台裏から現れた小林執事と共に女たちを出口に導く。
「ワガハイたちも逃げた方がいいでアリマス。この騒ぎを聞き付ければ、すぐに警察が駆け付けてくるでアリマス」
リュウが肩に戻って来た。
「そうだな」
と、透也も出口に向かおうとした。
――その時。
「警察だ! その場を動くな!」
多数の警官たちが劇場に雪崩込み、透也は咄嗟に座席の隙間に身を隠した。
騒ぎを聞き付けたにしては、早過ぎはしないか――!
隙間からそっと覗く。
すると、警官隊を率いる中村警部の姿が見えた。
東京特務警察――魔能怪盗、そして怪人ジュークを追う彼が、何故この刻、この場に居合わせるのか。ツイてないにも程がある。
「どうする、リュウ」
「ホール周辺は警官隊に囲まれているでアリマス。逃げるのは困難でアリマスね……」
すると、低い声がした。
「楽屋口からお逃げなさい」
透也が顔を上げると、少し離れた処に小林執事が立っている。
彼は透也を見ずに続ける。
「今なら包囲も手薄でしょう。お嬢様が彼らの注意を引きますので、今のうちに」
「――助かる」
透也はもう一度状況を確認し、座席の隙間を舞台袖へと移動する。
その途中、
「リュウ、ニコラを連れ出してくれ」
と、彼の相棒を放つのも忘れない。
身を低くして素早く走り、未だ漂っている白煙に身を隠す。白煙の流れに乗るように舞台袖のカーテンに身を滑らせ、そこから透也は一気に楽屋口へ走った。
楽屋口を出た処は、薄暗い裏通り。未だ警官隊の包囲は届いていない。
透也はブーツの電磁バネに身を任せ屋根へ跳ぶ。そこへ身を伏せ、ニコラが来るのを待った。
……ところが。
しばらくして警官隊が楽屋口を発見し、周囲を固めだしても、ニコラの姿は現れなかった。
「…………」
血の気の引く思いで様子を伺う。
だが、やって来たのはリュウだけだった。
素早く透也の上着のポケットに身を隠し、彼は相棒を見上げた。
「ニコラの姿が見えないでアリマス」
「警察に見付かったのか?」
「それはないでアリマス。サーモグラフィーで確認していたでアリマスから。まるで煙のように消えたでアリマス」
「…………」
ニコラにはステラが付いている。
ステラはニコラに危険が迫ればレールガンを撃つ。その為、ニコラが誘拐されたとは考えにくい。
ならば、何が起きた?
「ここは危険でアリマス。一旦安全な処へ逃げるでアリマス」
「……解った」
透也はそっと向きを変え、屋根の上を浅草の街並みに向けて駆け出した。




