23話 闇の劇場
「ピ……ピピピ……」
透也の足元で、ステラの起動音がした――レールガンを起動している!
慌てて透也は、ニコラに預かった制御鍵を取り出す。
「ステラの鍵穴は?」
背中のニコラを強く揺らすと、彼女は眠そうな声で答えた。
「どこにあるのか知らない」
「はあ? じゃあ、どうやってこの鍵を使うんだよ」
「知らなーい」
そう云っている間にも、眷属たちは近付いてくる。透也は焦った。
レールガンで影男を撃てば、彼女たちは解放されるだろう。しかし、奴の手にある明智香子が無事では済まない。もしくは、影の中に逃げ込まれたら、いくらレールガンでも手も足も出ない。
ステラを使うのは今じゃない。
「ステラに人を撃たせるな!」
透也が叫ぶと、ニコラは背中からずり落ち、「ほい」とステラを持ち上げた。
すると銃口が引っ込み、脚が畳まれて球に戻る……意外と単純な機構のようだ。
だがその頃には、危機が手の届く距離に迫っていた。
「影さまを悩ませるのはおまえかしら?」
「影さまに寄り掛かる醜女は誰?」
「おまえの身内なら、しっかり教育なさいよ」
彼女たちの何れもが、美しく着飾るうら若い娘。それが鬼のような嫉妬を面貌に浮かべ、透也に襲い掛かったのだ。
とは云え、武器も能力もないごく普通の一般女性。引っ掻くか噛み付くかしか攻撃手段を持たない――だから厄介だ。
防御を知らない彼女らに反撃をしようものなら、怪我をさせてしまう。
ここは一旦、逃げるしかない。
透也はニコラを抱え、ニコラはステラを抱え、リュウは透也の癖髪に潜り込む。
寝ぼけ眼で出てきたため、ワイヤーガンも何の装備も持っていない。そんな彼が使える手段は只ひとつ。
――走る。
女たちの隙間をすり抜け囲みを突破し、近くの扉に飛び込んだ。
扉を閉め鍵を掛ける。これで少なくとも、あの女たちはこちらに入って来られないだろう。
「……やれやれ、どうすんだこれ」
と顔を上げた先も、やはり闇。しかも、先程とは段違いに濃い、漆黒の闇だ。
――劇場。
光による演出をより効果的に見せる為に、人為的に造られた暗黒の世界。
暗がりで目覚めたため目が慣れていたニコラも、これには素っ頓狂な声を上げた。
「うわー、真っ暗だ。なーんにも見えないや」
義眼がなければ指先すらも見えないこの空間では、ニコラは身動きも出来ないだろう。
一面に並ぶ無数の客席。視界に頼らずこれを回避するのは不可能だ。
悩んだ挙句、透也はニコラを座席の隙間に下ろし、肩に手を置いた。
「いいか、ここを動くな。じっとしてるんだ」
ニコラに魔能が通じないのなら、少なくとも影男の能力は効かない筈だ。それに、眷属の女たちにとっても、ニコラを敵視する理由がない。透也が連れ回すよりも、別行動を取った方が安全だと透也は判断した。
「おまえにはステラが付いてる。大丈夫、安心して待ってろ」
透也が帽子をトンと叩くと、ニコラは
「うん」
とステラを抱き締めた。
――さて、やるか。
客席の間を、身を隠しつつ移動する。
その途中、透也はベルトに挟んだ拳銃を取り出した。「影」に取り込まれる寸前、明智香子が彼の足元に投げて寄越したものだ。
罠に掛かったことを察し、咄嗟の判断で透也に命運を託してきた彼女を、助けない訳にいかない。
弾数を確認する。リボルバーの中には六発。女性が持つのに相応しい銃身の短いものだが、手入れされており申し分ない。
――これで、影男を仕留める。
この状況を打破するには、それしかない。
二十二世紀で暮らしていた頃から、銃の扱いは心得ている。義眼のズーム機能を使い照準を合わせれば、まず外すこともない。
あとは、影男がどう出るか。
「リュウ、奴の動きは?」
すると帽子の下から小さな相棒が顔を覗かせた。
「姿を隠したでアリマス」
やはり、この劇場内で奇襲を仕掛けるつもりだろう。
透也は拳銃の安全装置を外す。奴が「影」から姿を見せた瞬間――そこを撃つ。魔能を感知できるリュウの合図があった一瞬。そこが勝負だ。
……ところが、
いつまで待っても影男は姿を見せない。
漆黒の闇と、空気が凍り付くほどの緊迫感の中、透也は前髪を耳に掛け義眼を露わにした。
――と、唐突に光が差し、透也は「ウッ」と義眼を押さえた。
活動写真だ。
舞台のスクリーンに、白黒の映像が映し出されている。チカチカと明滅する光の中で、踊り子たちが踊っていた。
暗視モードを最大にしていた透也にとって、これは不意討ちだった。義眼と繋がる視神経がやられ、しばらく義眼は使えそうにない。
すると、背後で声がした。
「君、あの金属球を制御できる鍵を持ってるんだって?」
影男は座席の隙間から身を伸ばし、透也の耳元に囁いた。
「それ、僕にくれない?」
「――――!」
咄嗟に振り向き引き金を引く。しかし影男はそこにはいない。
再び、背後に気配が出現した。
「無駄だよ。僕には当たらない」
「クッ!」
声に向けて再び発砲する。
すると、甲高い悲鳴が響いた。
「イヤーーッ!!」
――眷属の女だ。
肩に銃弾を受けた彼女は、激しく泣き喚き床に転がる。
「痛いッ! 助けて! 誰かーッ!!」
透也は青ざめた。影男はいつの間にか、眷属を劇場内にも召喚していたのだ。
闇の中でのたうち回る甲高い悲鳴が、彼を混乱の極致に導く。
「畜生! どこだ! どこに居やがる!」
その問いへの返答は、すぐ足元であった。
「ここだよ」
反射的に引き金に置いた指に、だがリュウがかぶり付く。
「落ち着くでアリマス! 人を殺してはいけないと、博士と約束したでアリマス!」
それで漸く我に返り、透也はその場にへたり込んだ。
すると触れる、柔らかい感触。
手探りでその存在を確かめて、透也の全身の血液が凍り付いた。
――明智香子だ。
リュウが止めなければ、彼女を撃ち殺すところだった。
それだけではない。
彼女の持つ魔能『因果応報』により、彼もまた、命を失っていただろう。
劇場内に嗤い声が響く。
「惜しかったなぁ。最高のショーに出来るところだったのに」
「貴様――ッ!」
激昂する透也の脳内に、リュウの思考が侵入する。
「酷く目を回した所為で本調子じゃないでアリマしたが、漸く復旧したでアリマス」
脳に送られてきたデータ――それはリュウ視線の暗視映像。
視神経という脆弱性のないリュウの眼は、光の強弱によるダメージを受けないのだ。
「影男はまた消えたでアリマス。しかし解らないでアリマス。何故この女探偵を解放したのか」
リュウの言葉に、透也はゾッとした――まさか、彼女は「影縫い」をされたのでは……!
そう考えて目を向ける透也の前で、彼女の手が動いた。
「ん……」
と呻き髪が揺れる。透也は一歩退いた。
しかし予想に反し、明智香子は虚ろな目で起き上がり、周囲を見渡した。
「あれ……此処はどこ?」
「劇場だ。影男の術中に嵌った」
舞台に流れる映像のおかげで、先程よりも視界が拓けた。彼女は透也を認識し、ハッと起き上がった。
「あの男は?」
「さあな……ってか、大丈夫か、おまえ」
「多分……体は繋がってるみたい」
だが、油断は出来ない。本人に認識なく「影縫い」されている可能性も十分にある。
しかし、もし香子が何もないまま返されたとすると……。
そこに思い当たり、透也の血の気が引く。
「ニコラ! 無事か!」
だが返ってきたのは、呑気な声だった。
「約束通り、動いてないぞ。ステラと遊んでる」
そう云えば、ステラの制御鍵を影男は求めてきた。ということは、ステラがいる限り、あの男はニコラに手が出せないのだ。
ならば、余計に解らない。
なぜ影男は、明智香子を解放したのか。
すると、再び声がした。
「僕はね、人を愉しませるのが一番の悦びなんだ。愉悦こそが人生の至上。そうだろ?」
バシン――とスポットライトに照らされた舞台横の演台。活弁士が口上を述べるその場所に、影男の姿がある。
透也は銃口を向けるが、リュウが銃身から彼を見上げた。
「アレは幻影でアリマス」
「なっ……!」
「魔能の気配がないでアリマス」
「フフッ……ほんものの僕はここだよ」
次の刹那。スポットライトが舞台上に移動する。
「闇は僕の領域。そこに踏み入れた君たちに勝ち目は無いんだ。折角だから、とっておきのショーを見せてあげるよ」
光の輪の中で、影男は微笑み、指を鳴らした。
それを合図に、天井に吊るされた筒が回りだす。回転の中心で電灯が光り、筒に施された透かし絵を、周囲に湧き出した煙幕に映し出す。
――走馬灯。
色とりどりの花が揺れ、蝶が舞う。
その中に女たちが出現し、手足を大きく振るって踊りだした。
それに合わせ、蓄音機の音楽が劇場内の空気を揺らす。
「……何なの、これは……」
愕然と見開く香子の目を極彩色が染める。その異様な光景を、透也も呆然と見据えるしかない。
それは熱に浮かされた時に観る悪夢のようであり、また心地好い微睡みに浮かぶ幻想のようでもある。
蝶が乱舞し女たちが踊り狂う。狂騒のレヴューショーは終わりを見せない。
舞台上に着飾った女たちが登場する。彼女らは一列に肩を組み、脚を高く上げ歓声を上げた。
華やかなラインダンスを背景に、再び影男が姿を現す。彼は客席の通路を花道のようにやって来ると、戸惑う香子に手を差し出した。
「解き放ってごらん、君の心の欲望を。押し隠したままでは、本物の悦びを味わえないよ。悦楽に身を任せるんだ――僕と一緒に。さあ、おいで」
満ちた月に似た影男の眼が香子を射抜く。彼女は魂を抜かれたようにトロンと影男を見返し、唇を動かした。
「私、心に決めた殿方がいるの。だから、貴方の誘いは受けないわ」




