22話 影男
――その頃、透也は絨毯に尻餅をついていた。
「……何だ、アレは?」
と目を丸くして闇を見つめる。
その背中で、ニコラは
「ン……」
と顔を上げるが、また眠ってしまった。
透也は状況を整理する。
闇の中から伸びた無数の手。
それはだが、透也に触れる前に消え去った。その瞬間――
「おや? 君から来てくれるとは」
フフフ……と嗤う声がした気がしたのだが、すぐに気配は消えた。
そこに金属球が飛び込んできた――ステラだ。
滑らかな球体に貼り付いていたリュウが、フラフラと透也の膝にやって来る。目を回しているようだ。
「やはり……ニコラの能力は……魔能無効……でアリマ……ス……」
なるほど、そう考えると説明が付く。
闇に潜んだ何者かが魔能で攻撃を仕掛けてきたのだが、ニコラの能力で未遂に終わったのだ。
となると、あの声の云った「君」とは、ニコラの事だろう。
妥当に考えれば、相手は魔能怪盗。
怪盗同盟に売られ、殺された筈が人形使いに庇われていたニコラの「魔能無効」の能力を消す為に、彼らは彼女を探していた――。
何らかの理由で潜んでいたそいつのアジトに、うっかり乗り込んでしまったのだ。これは尾行を撒くなどというレベルの話では無くなった。
ニコラを守らなければ。
透也は立ち上がり義眼を起動する。だがやはり、サーモグラフィーにも暗視にも反応がない。
「どういうことだ?」
すると、漸く目眩から復帰したリュウが答えた。
「空間の歪みを感じるでアリマス」
「空間の歪み?」
リュウは透也の肩にやって来て、闇の向こうを見渡す。
「この闇は異次元に通じている可能性があるでアリマス」
つまり、術者は異次元の中に潜んでいる為、透也の目には見えないし、リュウにも気配が感じられない、というのだ。
「何だよ……それ……」
透也は愕然とした。魔能にそんなことが可能なのか!?
とは云うものの、現状、そう解釈せざるを得ない。
そうなると、ひとつ確実なことがある。
ニコラを背負っている限り、魔能に対しては無敵だ。
「突っ込んでみるか」
透也が云うと、だがリュウは冷めた声で答えた。
「相手の攻撃があの程度とは思えないでアリマスよ。能力を見極める迄は危険でアリマス」
すると、背後で声がした。
「動かないで!」
――明智香子だ! 目を向ければ、拳銃を構えている。
透也は身構え叫んだ。
「来るな! 影に踏み込むのは危険だ!」
だが、時は既に遅かった。
次の瞬間。
入口の扉が閉ざされ、ロビーは闇に包まれた。
――そして。
「キャッ!」
短い悲鳴と、床に落ちる金属音。同時に香子の気配が消える――まさか!
義眼を暗視モードに切り替える。
画質の荒くなったそこに、彼女の姿は既に無い。
――代わりにあったのは、男の姿。
痩せ型の長身に女物を着流し、組紐で滑らかな長髪を束ねている。
色白で鼻筋の通った口元に手を当て、男はフフッと嗤った。
「さて、交渉だ――勇敢な女探偵サンと君の背中の子供、交換しない?」
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野呂刑事はひとり、明智家の門を叩いた。
新米刑事の彼が「刑事の勘」などと宣うのは烏滸がましいが、浅草の行方不明事件がどうにも気になるのだ。
ここはひとつ、中村警部と明智探偵に仲直りして貰わねば……と、来てみたのだが。
「お嬢様は小林と一緒に出掛けております」
家政婦の文代はそう答えた。
「お出掛けは、どちらに?」
「浅草と聞いておりますけど」
「浅草ァ!?」
野呂の声がひっくり返る。やはり明智香子も何かに勘付いたのだろうか?
「あ、浅草には、どのような御用で?」
すると文代は少し考える素振りを見せた後、云った。
「刑事さんに黙っている訳にはいきませんから……実は今朝、怪人ジュークから手紙が届いたのです」
「怪人ジューク!?」
これは想定を大幅に超える展開になってきた……と、野呂は咳払いをして気持ちを落ち着かせた。
「そ、その手紙は、どんな内容で?」
――内容を手帳に記し、捜査本部に駆け込んだ野呂は、興奮を抑えられないまま中村警部に伝えた。
「浅草電影館に怪人ジュークが……?」
「もしかしたら、大手柄かも知れません。明智探偵はその手柄を独り占めしようとしているのかも」
だが中村は冷静だった。
「明智探偵とは事件で何度も顔を合わせたが、決して自分の手柄にするような人物ではない」
そう断言した中村に、野呂は不可解な目を向ける。
「あれ、明智探偵は信用できないのでは?」
「そんなことは云っておらん……少々行き違いがあっただけだ」
中村はそう云って考え込んだ。
「彼女が襲撃事件の後、事情聴取に正直に答えなかったのは、彼女を助けた怪人ジュークを庇う為だ」
「はぁ……」
「彼女には、その手紙が本物であるという確信があったやも知れん。だから我々に伝えずに出掛けた。それならば納得がいく」
そう呟くと、中村はやおら立ち上がった。
「浅草六区に警官を配備しろ。鼠一匹通すな!」
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冷や汗が透也の背を伝う。
暗闇で目が利くのか、男はそんな彼を見て愉しそうに肩を揺らした。
「あれ? 僕の見立てでは、君、彼女に好意があると思ってたんだけど」
「はあ?」
「でなければ、正体がバレる危険を犯してまで彼女を助けないよね――怪人ジュークさん」
全てお見通しという訳か……透也はゾクッと息を呑む。
魔能使いとしても、これ迄に対した奴らとは訳が違う。得体の知れないオーラが、この男の全身から放たれている。
しかし、応じる訳にはいかない。
透也は低く男に云った。
「断る、と云ったら?」
すると、男は答えた。
「じゃあ、僕の魔能について教えてあげるよ」
男は緩やかな動きで腕を組む。
「僕が『影』に出入りできるのには、気付いてるよね?」
「あぁ」
「その影の中は、どうなってると思う?」
細面の顎に指を添え、男は妖艶なまでの笑みを浮かべた。
「フフッ――子供には云えない、大人の楽園」
「…………」
「そこに導かれた女の子たちは、何でも僕の云うことを聞いてくれるんだよね。でも、それは魔能じゃない。云うならば、僕の魅力? だから僕の魔能は、影を出入りするだけ。言ってる意味、解るかな?」
その直後。
透也の背後に気配が現れる。
「――――!」
咄嗟に蹴りを繰り出す。すると彼女は床に転がり、蹴られた腹を押さえて呻き声を上げた。
「痛い……ッ!」
「…………!!」
透也は動揺した――女!?
それを見て、男はハハハと愉しげに嗤った。
「酷いな、女の子にそんな手荒な真似をするなんて」
血の気が透也の全身から引いていく。まさか……!
男は続けた。
「云ったよね? 僕の魔能は影を出入りする……出入りさせるだけ。僕の魅力にメロメロの彼女たちは、現実世界の存在。君が蹴った彼女もね」
「…………」
「彼女たちは、僕が望めばいつでも僕の元に来てくれる。これを僕は影縫いと呼んでる。一度影縫いすれば、何処からでも来てくれるんだ。そして、僕の敵は許さない――もう解ったよね」
透也の周囲に次々と若い女が現れた。その誰もが、透也を敵視するように目を光らせている。
男は云った。
「彼女たちは、僕の眷属。僕を敵に回すと、彼女たちを相手にすることになるけど、君にできるの? 義賊サン」
「クッ――!」
奥歯を噛み締めながら男を睨んだ透也の目に飛び込んだものは、更に彼を絶望させるものだった。
男に撓垂れ掛かる、明智香子。意識を失い、彼の腕に身を任せている。
男は嗤った。
「君が断れば、この子も影縫いしちゃうけど、いい?」
「貴様――ッ!!」
「貴様という呼び名は好きじゃないな。どうせだから、自己紹介をしておくよ」
男は香子に顔を寄せる。
「――怪盗同盟の幹部の一席、影男だよ」
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【影男】
年齢・不詳
職業・遊び人
能力・百鬼夜行
(影の中の異空間を出入りする)
特技・ナンパ
弱点・子供、熟女、恋する乙女
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