21話 招待状
明智香子と小林執事が浅草六区にやって来たのは、とある招待状を受け取ったからだ。
暁ノ名探偵殿
浅草電影館ニテ御待チ申シ上ゲ候
怪人ジューク
それは、一枚のカード。
今朝、麹町の自宅の郵便受けに投函されていた。
当然訝しんだ香子だったが、それ以上に興味を持った。
果たして、これは本物だろうか?
偽物だとしたら、誰が、何の目的で?
彼女も、先週の明智邸襲撃以来、動きのない怪盗同盟を不審に思っていた。
赤毛の子供がニコラという孤児で、須永神父――人形使いの仇として彼女を襲った、というのは解った。
しかし、あの人並外れた胆力を持つ子供が只の孤児とは思えない。かといって、それ以前の足取りが全く記録に残っていないのだ。
……ただ、修道院の修道女や他の孤児たちの話では、須永神父によりあからさまに特別扱いされていたようだ。
香子の持つ感覚では、あの子供に魔能の気配はしなかった。
それに加え、ニコラの持っていた謎の金属球による攻撃の威力は、この国の科学水準では説明できないものだし、突然現れた怪人ジュークと思わしき人物の動きも常人離れしたものだった。
あの時、本当は屋敷で何が起こっていたのか?
怪人ジューク――彼は一体何者なのか?
もし本人ではなくともその手掛かりがあるのならば、警察に届け出る前に探ってみたい。小林も一緒だし、危険は無いはず。
だから彼女は、中村警部にも告げずに浅草にやって来たのだ。
しかし、凄い人混みだ。ぶつからないようにすれ違うだけで神経を使う。
浅草の繁華街に足を踏み入れたのは初めてだった。馬車で来ようとしたのを小林に止められた理由も解る。
と、その小林が急に耳元で囁いた。
「お嬢様、前を歩く二人を……」
言われて香子は初めて気付いた――あの二人、もしかして……!
帽子を被り服装は違っているが、ニコラと怪人ジュークらしき男に雰囲気が似ている。
招待状を出しておきながら、今頃こんな場所を歩いているとはどういう訳だ?
香子は小林に目配せした。
「尾行するわよ」
「畏まりました、お嬢様」
☩◆◆──⋯──◆◆☩
……一方。
透也は困難に直面していた。
何とかニコラを宥めようとするが、彼女は口を尖らせ拗ねている。
「仕方ないだろ、活動写真は満席で、十二階の昇降機は故障中なんだから」
「いつなら見えるんだ?」
「それは解らねぇけどさ……じゃ、ほら、ソーダ水を飲みに行こう」
……ところが、カフェーまで満席ときたから、とうとうニコラはへたり込んだ。
「疲れた……もう歩けない……」
「仕方ねぇな……」
透也は背を貸しおぶってやる。そうして、
「また今度来ればいいさ」
と歩き出そうとしたところ。
不意にリュウから通信が入った。
「いつになったら尾行に気付くでアリマスか」
内心焦りつつ、透也はさり気なさを装って建物の影に身を隠す。義眼の広範囲サーモグラフィーをオン――すると、人混みの中で不自然に動かない人影がふたつ見えた。向こうも建物の影に入って姿は見えない。
透也は脳波を通しリュウに訊く。
「何者だ?」
「あの女探偵と執事でアリマス……目が回ってカメラがエラーを起こしたので、画像は送れないでアリマスが」
リュウの悲劇は知る由もないが、透也は彼とステラが近くの屋根にいるのを確認し、考えた。
人混みに紛れて撒くのは、ニコラを背負っている身では難しい。かといって、この人混みで騒ぎを起こす訳にもいかない。どこかの建物に入り、裏口から逃げるのが妥当か。
そこで透也は、気付かないふりをして歩き出した。上演中の劇場みたいな、入口に人気がない処がいい。こちらにバレるのを避けたい追手も近付きにくいだろう。
そう考え、辺りを観察しながら歩いていると、路地を入った奥に劇場が見えた。しかも、おあつらえ向きに入口付近に人気がない。
透也はそちらに足を向けた。
――浅草電影館。
そう看板が掲げられた建物は、扉は開いているものの静まり返っていた。
「…………」
少々不審な目を向けるものの、尾行を撒ければ良いのだ、気にすることも無いと、透也はそこへ足を踏み入れた。
絨毯の敷かれたロビーに人影はない。天井のシャンデリアにも明かりはなく、入口を数歩進めば、闇に支配された空間が広がっていた。
こういう劇場は、週替わり月替わりで催し物が変わる。活動写真や浅草オペラ、レヴューショーなんかを興行するのだが、興行の入れ替えで休館なのかも知れない。
とは云え、入ってしまったのだ。今からノコノコ出て行けば、探偵と執事に出くわすのは必定。
仕方なく、透也は誤魔化す事にした。
「すいません……御手洗をお借り出来ませんか」
少し可哀想な気もするが、ここはニコラの所為にさせて貰う。
当のニコラは眠ってしまったようで、透也の肩にペタンと頬を載せたまま動かない。
その上、劇場内から返事もない。それどころか、建物内部に人の気配が一切ないのだ。
「…………」
義眼で確認するが、間違いない。今、この劇場は完全な無人。
――ならば、尚更好都合。
どこの劇場にも、楽屋口が必ずある。そこから出てしまえばこっちのものだ。
透也は闇の中へと踏み込んだ。
――その時。
「進んではダメでアリマス! 魔能の気配でアリマス!」
悲鳴に近いリュウの声と同時に、闇から無数に伸びる腕。
「…………!!」
声を出す間もなく、透也は闇に捕らわれた。
☩◆◆──⋯──◆◆☩
「…………」
明智香子は、浅草電影館の入口をじっと眺めていた。
怪人ジュークと思わしき男の行動は読めていた。その為、小林執事と二手に別れて、入口と楽屋口を見張っているのだ。
しかし、腑に落ちない。
あの男が怪人ジュークとして、何故あのように不自然な動きで、彼女を誘ったこの建物に入って行ったのか。
やはり彼は、招待状の主ではないのか……?
そう考えていると。
彼女の第六感のようなものが、一瞬だけ、強烈な魔能を感じ取った。
彼女の肌を鳥肌が覆う……これ程までに強い気配を、これまでに感じたことがない。
ところがその後、幾ら感覚を研ぎ澄ませても、気配を一切感じないのだ。
「どういうことなの……?」
不穏な胸騒ぎが彼女の心臓を強く拍動させる。
この状況を冷静に考えた場合、考えられる可能性は多くはない。
そのうち、最も可能性が高いのは、中に待ち伏せていた何者かが、彼を一撃にして葬った……。
すると相手は、魔能の気配を消し去ることの出来る能力者だ。これは厄介な相手に違いない。
――しかし、見逃すことは出来ない。
彼は身を張って、彼女を助けてくれた人なのだから。
上着に隠したホルスターから拳銃を取り出す。こんな物を使いたくはないのだが、例の一件から、小林に持ち歩くよう強く言われている。
だが問題は、小林と連絡を取る手段が無いところ。合流して楽屋口から突入する手もあるが、その間にこちらから逃げられてしまったら元も子も無い。
何度か深呼吸し、香子は拳銃を構える。
そして劇場の入口へ向かい駆け出した。




