15話 白紙
その頃、明智家では何度目かの事情聴取が行われていた。
応接間のソファーに身を預け、明智香子は毅然と答えた。
「何度も申し上げましたが、あれは事故なのです」
着替えてはいるものの、緩やかな部屋着の隙間から包帯が覗いている様は痛々しい。
しかし、香子の表情は憎たらしいほどに冷静だった。
「ですから、その事故に至った経緯が、私には納得できないのですよ」
中村警部はクシャクシャと頭を掻く。
「行き倒れの子供に食事を提供した上、拳銃の試し撃ちをさせたと云われましても、納得する方が難しいでしょう」
「そうかしら?」
「なら、話を変えます……あの子供を連れ去った男に見覚えは?」
「ございません」
「昨日教会にいた、須永神父の事件の第一発見者のあの男でしょう」
「中村警部の見間違いではありませんこと? 私は別人に感じましたが……ねぇ、小林」
香子の横に控える小林執事が恭しく答える。
「はい、私めも別の方のように見えました」
……全く話にならない。
中村は苛立ちを誤魔化せず、踵で床をコツコツと叩く。
こいつら、何を隠しているのか……。
しかし、平然と微笑む彼女から、これ以上何も聞き出せそうにない。
するとそこへ、野呂刑事がやって来た。
「昨日の第一発見者の『大場嘉門』という男の身元を確認しましたが、やはり嘘のようで……」
「そんなことは初めから解っている!」
とうとう中村の堪忍袋の緒が切れた。
「『大場嘉門』――オオバカモンという名で気付くだろう! 私は本人をここに連れて来いと云った筈だ! 半日も何をしていたんだ!」
「も、申し訳ありません……」
逃げるように立ち去る野呂を渋い顔で見送り、中村は再び明智香子に向き合った。
「残念ですが、このままでは貴女を信用できません。捜査協力の話は、一旦白紙とさせて頂きます」
「私も残念ですが、仕方ありません。ご健闘をお祈りいたします」
☩◆◆──⋯──◆◆☩
そして透也は、長屋に連れ帰ったニコラを眺めて途方に暮れていた。
「やっぱ、見ず知らずの男と女が一緒に暮らすのは、良くないと思う」
「何で? 孤児院なんてみんな一緒くただよ?」
「でもだな……」
「ボク、ここ気に入った。見たことない道具がいっぱいあるもん。なあにこの歯車の山は」
「触るな! まだ五万を諦めてねぇ……」
止める間もなく、ニコラは、透也が分解して元に戻せなくなった高級腕時計を弄りだした。
「ふーん、ここがこうで……これがここで……」
「おい、壊すなよ」
「フフーン♪」
鼻歌混じりに作業台に張り付いて、透也の話など聞いちゃあいない。透也は諦めて、林檎箱を並べただけのベッドに身を投げた。
――しっかし、面倒な奴に関わってしまった。
特務警察の協力者である明智香子を殺そうとした殺人未遂犯。警察が威信を懸けて捜索しているに違いない。
その上、俺は十万の賞金首……。
この先に待ち受ける困難がどれ程のものか、想像に易い。行動を共にするなら、互いに命を預け合う信頼関係が必要となってくる。
そこで透也は寝返りを打ち、ニコラの痩せた背中に顔を向けた。
「なんであの女探偵を殺そうと?」
「…………」
「拳銃はどこで手に入れた?」
「……ウム」
「あの女探偵を殺してどうするつもりだった?」
「ほえ……そうきたか」
ダメだこりゃ。
何かに集中すると、他のことに気が回らないタイプなのだろう……俺と一緒で。
しばらくぼんやりと、昔は井戸だったらしい天井の石組みを眺めていると、瞼が重くなってくる。軽く微睡みに意識を預けだした頃。
「出来た!」
という甲高い叫び声に叩き起こされた。
「何だ!?」
「時計」
「は?」
「元に戻した」
「…………はあ?」
飛び起きて作業台に向かう。
そこにあったのは、驚くべき技術で滑らかに動く、瑞西製の高級腕時計そのものだった。
透也は唖然とした。
「これ……おまえがやったのか?」
「うん!」
「どうやって?」
「歯車を組み立てて螺で締めた」
「…………」
リュウも作業台に飛び乗ってまじまじと眺める。
「信じられないでアリマス……透也の手に負えなかった代物を、ワガハイの手を借りずに組み立てるとは……」
「何? このヤモリ喋るの?」
「今頃気付いたでアリマスか……」
リュウの腹をモニモニと揉むニコラの横で、透也は腕時計を摘み上げた――これなら五万で売れる!
そしてニコラに目を向けた。
素性ははっきりしないが、少なくとも機械工作技術に関しては、天才と呼んで差し障りのないだけの能力を持っている。
これは使えるかもしれない。
☩◆◆──⋯──◆◆☩
翌朝。
古物商に腕時計を売った透也は、温まった懐に足取りも軽く白梅軒に向かった。
ニコラはまだ長屋で眠っている。孤児院を抜け出してから眠っていなかったのだ。そのままにしておいてやろうと、一応見張りにリュウを置いてきた。
ベルを鳴らして扉を開く。すると相変わらず暇そうに、お梅は煙草を吸っていた。
「今日は何だい?」
「ツケの返済」
と、透也はカウンターにポンと百円札の束を置いた。
少し驚いた表情を見せたが、直ぐにお梅は胡散臭い目を透也に向ける。
「穢い金じゃないだろうね」
「穢くはない……そんなに」
まあいいさ……と、お梅は懐に金を納め、紫煙を吐いた。
「しっかし、変装もせずに出歩くとは、解ってないようだね」
と、彼女は扉の硝子窓に目を向ける。
「面倒事を連れて来んじゃないよ」
「…………」
透也の義眼なら解った。
扉の影に、五人、身を隠している。
「賞金首ってンのは、歩く大金なんだよ。しかも、怪盗相手にやりたい放題してきたろ。立場が逆になったのを自覚しなきゃ、明日の命はないね」
慌てて椅子の影に身を隠そうとすると、お梅は鼻で嗤った。
「私の店ン中で騒ぎを起こす莫迦は、この東京にゃいやしないさ。けど、これ以上は庇えない。自分で何とかしな」
出された珈琲を空にしてから、透也は席を立った。
「毎度あり」
お梅はそう云って、カウンターに黒い球を置く――催涙手榴弾だ。
こんな物をどうやって手に入れたのか……という疑問は、この女将に対しては意味がない。その気になれば「黒い魔女」と渡り合えるほどの裏の繋がりを持っているのだから。
黙ってそれを受け取り、透也は店を出た――途端。
五つの銃口が透也に向けられる。それらが火を噴く前に、透也は催涙弾を路地に叩き付けた。
「グフッ!」
低い唸り声。
それが発せられる頃には、透也は既にそこにはいない。
二十米先の二階建てビルの屋上。
ワイヤーガンをベルトに挟み、透也は悶え苦しむ男たちを見下ろした。
こんなこともあろうかと準備はしてきたが、相手が五人では逃げ切れる保証は無かった。お梅には感謝しなくてはならない。
しかし、しばらく白梅軒には顔を出せない。なかなかいい珈琲を出す店だったのに、残念だ。
そこで透也は目を細める――奴らに指示を出したのは何者か?
奴らは魔能すら与えられていない下っ端。やられるのを覚悟で偵察に来させられたのだろう。
すると、どこから尾行されていたのかが問題になってくる
透也は今朝からの行動を思い返した。
長屋を出る時は常に細心の注意を払う。サーモグラフィーで不審な人物を確認するから、まず住処はバレてないない。
ならば……
思い当たるは、古物商。
身分不相応な高級腕時計を売りに来た若い男を怪しんで尾行させたと考えるのが自然だ。
古物商は堅気の一般市民。それが透也を賞金首だと疑い、追っ手を差し向けてきた。
今こうしていても、あの五人の他に仲間がいて、透也の様子を伺っているかもしれない。
そう考えると、全てが敵に見えてくる。
透也は舌打ちして、癖髪をモシャモシャと掻き乱した。
「畜生、これは面倒だな……」
とはいえ、こうして突っ立っていても仕方がない。
透也はポケットから光学迷彩マントを取り出し身に纏う。深々とフードを被り顔を隠すと、屋根伝いに千駄木の街を抜けて行った。
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【野呂】
年齢・二十一
職業・東京特務警察付刑事
好きなもの・珈琲、猫
嫌いなもの・血塗れの死体、残業
趣味・活動写真
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