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東京ファントムウォーズ  作者: 山岸マロニィ
<弐>──傀儡人形の涙
15/97

14話 白梅軒

 千駄木の急坂の途中にある寂れた喫茶店。

 ベルの付いた格子の硝子扉を開くと、女将が無愛想な声を投げた。

「いらっしゃい……って、アンタか」

「悪ぃな、俺で……ところで、さ……」

 透也がそう口にした途端、女将はピシャリと云い放った。

「ツケはこれまでのツケを払ってからだよ」

「そこを何とか!」

「無理」

「この通りッ! 何でもしますから!」

 両手を合わせて平服する透也に、女将はギロリと目を向けた。

「幾らツケがあるか解ッてんだろうね」

「あ、いや……」

「ッたく、妙なのに関わったモンだよ……座んな」


 ここ白梅軒は、この時代としては珍しい、珈琲(コーヒー)を出す店だ。とはいえ、立喰蕎麦屋を改装した店内は古めかしい。

 柱や壁に(かぐわ)しい香りが染み付き、心を落ち着かせる居心地の好い空間なのだが、如何(いかん)せん女将の愛想が悪いため、客の入りはさっぱりだ。


 だが、お尋ね者の透也にとってそれは都合が良かった。

 彼女はこの東京で唯一、彼の素性を知る協力者であるから。どうしても困った時は泣き付けば何とかしてくれる、そんな頼れる存在だ……とは云え、この通りの人柄だから、透也としても余り頼りたくはない。


 今ではすっかり貫禄が付き、和髪に江戸小紋で睨みを利かせているが、(かつ)ては「浅草の白梅」と称される、東京でも屈指の美人だった……らしい。


 そんな彼女を変えたのが、夫の死。

 魔能使いに殺されたのだ。


 幼い息子を抱えての苦労が、彼女を鬼のように強くした。生活のため喫茶店を開き、言い寄る男共をあしらううちに……と彼女は言い張るが、実のところは裏稼業にあった。


 ――情報屋。

 東京の裏社会の動向は、全て彼女に集まって来ると云っても過言ではない。

 帝国評議会の黒い繋がりも、怪盗同盟(ユニオン)の内情も、彼女の美貌に惚れた男たちによって、ここ白梅軒に流れ着くのだ。


 伝手(ツテ)なく時空転移して行き倒れかけていた透也が彼女に拾われたのは、運命と云うより他に無い。

 透也の事情を知った上で、「夫を殺した魔能をこの世から消せるのなら」と、何かと援助をしてくれる。

 今住んでいる渋谷川沿いの長屋も、彼女の伝手で安く借りられたし、金に困るとこうして食事をご馳走してくれる……ツケで。


「あいよ」

 五つ並んだカウンター席の一番奥、背の高い円椅子に座る透也の前に丼飯がドンと置かれた。

「飯だけ? 何か他にないの?」

「ア?」

 お梅に剣呑な目付きで凄まれれば、透也は逆らえない。

「喰わせて頂けて感謝であります!」

 と手を合わせて白飯を掻き込んだ。


 ステラとリュウは店の隅で(じゃ)れている。そこに目付きの悪いハチワレ――飼い猫のタマが乱入し、大乱闘に発展した。


 その様子を気にするでもなく、お梅は、透也の横に座るニコラの前にも皿を置く。

(きたね)ぇガキだね。後で風呂に行きな」

 と、透也に向けて十銭を弾いた。片手で彼が受け取ると、お梅は化粧の濃い目元を細める。

「アンタら、何をしたのさ。さっきお巡りが来たよ、モジャモジャ頭の男と赤毛のガキの二人連れが来なかったかって」


 透也は箸を止める……警察の反応が早い。中村警部というのはかなり優秀だ。


「それにアンタ、指名手配されたって?」

「意味解らねえよ。怪盗を捕まえて指名手配とか、阿呆臭い」

 透也は白飯に醤油を掛けて再び掻き込む。そんな彼を見下ろし、お梅は煙草盆を手繰り寄せた。

(あたし)からするときな臭いね」

「帝国評議会と怪盗同盟が繋がってる、ってやつ?」


 煙管(きせる)に刻み煙草を詰めていたお梅は目を丸くした。

「アンタ、それをどこで?」

「若い刑事。特務警察の」

「特警の? 随分口が軽い莫迦だね……」


 そう云うと、お梅は煙草に火を点けた。

「私ャこれでも商売に関しちゃ真面目でね、情報を渡す相手は選んでる。戦争が起きかねないから。裏社会っちゃそう云う処さ。それに、タダで情報は渡さない主義なんだけど、そこまで知ってンなら、アンタには教えてやるよ」

 お梅はふぅと長煙管を吹かす。


「『黒い魔女』と繋がってるのは、日下部伯爵さ」


「…………」

 透也は唖然と、お梅が吐く紫煙を眺める。

「政治資金集めに怪盗同盟を利用している――と云った方が正しいか」

「真っ黒じゃねえか!」

「大人の世界ったァそんなモンさ。だからアンタに、片っ端から怪盗を捕まえられちゃ困るのさ」

「だから俺を指名手配した……」

「警察なんざ、日下部伯爵の(イヌ)に過ぎないッてことさ。これから身の回りに注意するこった……明日くらいには、懸賞金が掛けられる」

「マジか!? 幾ら?」

「十万」

 それには透也も目玉をひん剥いた。

「じゅ、十万……ッ!!」

「黒い魔女と同じ。破格の賞金首さ」

 お梅はそう云ってギロリと透也を見た。

「アンタのツケ、それで払って貰うって手もあるね」


 お梅が云うと冗談に聞こえない。透也は慌ててカウンターの下に隠れた。

 するとお梅はトンと煙管の灰を棄てる。

「まだ売りャあしないよ。アンタのツケはせいぜい五百円……十万を越したら考えようかね」


 すると。

 我関せず食事に集中していたニコラが突然声を上げたから、透也はビクッとした拍子にカウンターの角に頭をぶつけた。

「美味しいよ! この三角の甘いの。なーにこれは?」

「シベリヤだよ。カステイラに羊羹を挟んだやつ」

「オカワリ!」

「よく喰うガキだね……あいよ。牛乳も飲みな」

「ありがとう、お(ねえ)さん!」


 透也は恨めしい目をカウンターから覗かせる。

「何か、俺と扱い違わねえ?」

「さっき、このお兄さん、お姐さんのことをババアって……」

「ちょ、おま……!」

「このクソガキ!」


 ……結局、便所掃除とドブさらいをさせられて、白梅軒を出たのは昼下がりだった。

 途中、警官を見掛ける度に裏道に逸れ、回り道をする。やはり、怪人ジューク包囲網は敷かれているようだ。

 二人して頬かむりでやり過ごし、渋谷の銭湯に入ったのは夕方近く。さすがにここまで追って来てはいないだろうと思いつつ、急いで裸になったのだが……。


 ニコラの服を脱がせ、透也は素っ頓狂な声を上げた。


「――――なッ!!」


 付いてない。

 ということは……


「ん? ニコラ、女の子だよ」



☩◆◆────────────────⋯

【お梅】

 渾名・浅草の白梅

 年齢・秘密

 職業・喫茶『白梅軒』店主

 裏の顔・名うての情報屋

 家族・莫迦息子、猫(タマ)

⋯────────────────◆◆☩

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