6.嘘の味
グラスの麦茶を一口含み、両手を結露に押し当てる。
ひんやりとした感触が、熱を帯びた掌に心地よく広がる。
今なら聞けるかもしれない。
初めて電話をもらったときから、ずっと気になっていたこと。
「ねえ、高比良くん……」
「あれ? 彩人くんって呼んでくれないの?」
余裕たっぷりの微笑み。
私の動揺を楽しんでいるような声色。
「あ、彩人くん……」
「なに?」
喉の奥でずっとつっかえていた小骨を、素直な言葉に変えて吐き出す。
「どうして、私を家に呼んでくれたの……?」
ただ、納得できる理由が欲しかった。
「涼風ちゃんに会いたかったからだよ」
返ってきた言葉は、胃もたれするほど甘ったるくて、飲み込むにはあまりにいびつな形をしていた。
そんなの……。
「信じられない?」
「だって……! そんな簡単に信じたら、おはようの返事すらもらえなくて、一人で泣いてた昨日までの私が、馬鹿みたいだから……」
沈黙が流れる。
心を引き裂くような空気の中、涼風は自分の言葉を後悔した。
「急に変なこと言って、ごめんね……」
やっぱり、聞かなきゃよかった……。
すっかり冷え切った手の中で、グラスの水面がゆらゆら揺らぐ。
「俺、涼風ちゃんに嘘はつかないよ」
震える膝に、大きな手が優しく重なる。
「だから、こっち向いて……」
耳元で囁かれる声。
頬にそっと触れる指先に、胸が跳ねる。
本当に……信じていいの……?
最後の勇気を振り絞って顔を上げた。
今、顔を上げれば、彩人くんが優しく微笑んでくれるような気がしたから。
だけど。
彩人くんは、涼風もよく知るあの冷たい表情を浮かべていた。
ああ、そうだ……。
これが私が最初に好きになった彩人くんだ……。
舞い上がって忘れていた。
彩人くんとの、本当の距離。
「なにもしないから……信じてくれるなら、目を閉じて」
声でわかった。
さっきまでの彩人くんはもういない。
そっか……。
理由なんて、最初からなかったんだ……。
選ばれてなんか……なかったんだ……。
まぶたを閉じると、あの日と同じ涙が溢れた。
彩人くん……大好きだよ……。
薄く開いた少女の唇に、冷たい口づけが落ちる。
きっと私は、彩人くんの恋人になれない。
「どう? 嬉しいでしょ?」
彩人くんの言葉が、私を対等な存在として見ていないことを決定づけた。
「私……初めてだったよ……」
精一杯の笑顔を作った。
ずっと夢見ていた幸せの光景に、少しでも近づくために。
「あれ、嫌だった……?」
「ううん、嬉しいの……」
彩人くんが、私の涙を長い指ですくい取る。
そして、今度はさっきよりもずっと深い口づけを落とした。
蛇のように長い舌が口内を這うたび、全身の神経が痺れていく。
知らないキスをいくつも教えられ、考える力さえ次第に奪われ――。
もう……だめ……。
指先から滑り落ちたグラスが、カーペットの上で鈍い音を立てる。
力の抜け切った華奢な身体は、あっけなくソファーの上に押し倒された。
今から私……彩人くんのものになるんだ……。
息をするタイミングすら、彩人くんに支配されていく。
もう、涙を流すのはやめよう。
これが、私の幸せなんだ。
「ねぇ、彩人くん……」
「なに?」
「好きって言って……嘘でいいから……お願い……」
彩人くんの瞳が、ガラス玉のようにギラギラと輝いた。
あっ……。
笑ってるところ、初めて見た。
なぜか、直感がそう思ってしまった。
これが、彩人くんの本当の笑顔だと。
「涼風ちゃん、大好きだよ」
ああ……もう、戻れない……。